3.王と臣
王城の屋上。正殿と御殿で構成された屋上回廊。正殿正門の真上。国王セリオスは真っすぐに前を見据え。その視界に。正面に上がる光の魔弾を確認する。
「突破、されましたな」
傍らに立つ男がセリオスに語りかける。
「ああ」
短く返事を返し、セリオスはふと思う。たった二月。城外街との和解が成り、自治団最高評議員から肩書きを変えた男。この混乱した状況でただ一人、自分の隣に立つ男。王都執政官リフィック。開戦の報に先んじて王城を混乱に陥れた、新兵器による襲撃の最中。この男だけが自分の傍らにいると。
「避難は、されぬのですな」
「ああ。余はここで全てを見届ける」
セリオスは心の中で嗤う。豪奢に飾られた外見、他者を見下ろす口調。その実、中身など無い、ただそこに居るだけの王。自分の意志など誰も意に止めず。グリードによって飾られただけの存在だと。
故に。混乱し、慌ただしい王城にあって。宰相すら姿を見せぬこの状況で。セリオスは、王城の屋上で状況を見届ける。それこそが、唯一の、彼が思う、彼に果たすことのできる王の責務なのだから。
(バード、か。あれが弟なのか。私の……)
正面を飛ぶ飛行機械を見て、セリオスは想う。自分よりも遥かに困難な立場にありながら、それを覆しつつある弟。本当に自分はあそこにいる者と血を分かつのかと。同じ血が流れているのかと。
空が燃え、混乱の最中。空飛ぶ機械を視界におさめて。セリオスはそこに留まり、襲撃者をただ見据える。
この日、数多の運命が変化を遂げる。
◇
王城が近づく。王都の風景が、街並みが、視認することすら困難な速さで流れる。王都上空三十メートル。王城の手前二キロ。
「このまま真っすぐ。王城の正面広場で鉄球を切り離す!」
「わかったわ!」
近づく王城。王城よりも僅かに高い高度を保ち、中央通りの上空を高速で、真っすぐに飛行する。切り離すタイミングを計る。格納庫の、鉄球の固定を解除するスイッチに足を乗せる。
緊張で魔法杖を握る手が汗で湿る。音が消える。時の流れを遅くする。極限まで集中力が高められる。時間が引き伸ばされる。その中で。
王城の屋上に人影を見る。
僕たちの進路の先に、その人は。慌てることもなく。逃げることもせず。ただ、静かにこちらを見続けていた。
◇
王城の城壁を越え。正面広場を飛び越え。王城の手前百メートルで、機首を軽く下げて鉄球の固定を解除。王城を飛び越えるために機首を上げる。鉄球は吸い込まれるように王城に。機体は王城すれすれを通り過ぎる。それでも、その人は動こうとせず。
高速で王城を飛び越える、その刹那。視線が交錯する。
その人は、豪奢に飾られた服装を身に纏って。
王の装束。煌びやかな剣。王国の紋章が描かれた外套。
この状況で恐れを見せず。退く素振りすら見せず。
思い至る。僕に兄弟がいたことを。会ったことのない兄のことを。僕が回避した、他者のグリードの傀儡。僕の代わりに犠牲になった人がいたことを。
轟音が響く。鉄球が王城に衝突した音。壁を貫いた音。幾重にも渡る破壊音。その音もすぐに鳴りやんで。
「……今の人」
「なに?」
フレイに話しかける。
「多分、今の人が国王にされた人だと思う」
「そうね。そんな感じだったわ」
どう話せば良いかわからない。だけど、それでも。誰かに話さずにはいられない。
たった今思い至った、僕とは違う人のことを。逃げれなかった、逃げることすら許されなかった人のことを。
「多分、あの人が僕の兄さんで」
「……そうね」
機体が減速する。大きな弧を描いて旋回する。視界が流れる。青い空が、雲が、街並みが、正面から側面に、側面から後方に移り行く。やがて視界に王城が映る。
正面の中央、多分二階のあたりの壁が崩れた王城。騒然とした正面広場。逃げ惑う人が見える。悲鳴が聞こえる。そんな中で、僕たちと同じように混乱を眼下にしながら。あの人は動こうとせず。僕たちの方を見続ける。
その姿は揺ぎ無く。広場を逃げ惑う人たちとは対照的で。その姿に、眼下の騒々しさよりも、王城の壁にあいた大穴よりも、視線を惹きつけられる。
その姿に、自然と言葉が出る。
「きっと王様にふさわしい人なんだと思う」
僕の言葉にフレイは無言で。トロア・ミルバス二号機の機首をビオス・フィアの方に向ける。
こうして、王城への襲撃は成功を納め。僕たちはビオス・フィアに帰投する。
次に来る時には、イーロゥ先生を乗せて帰ると誓いながら。
◇
「行ったか」
「行きましたな」
正殿正門の真上で。国王セリオスはつぶやく。そのつぶやきに王都執政官リフィックは反応し、返事を返す。その声に、セリオスは気付く。あの飛行機械に、何者にも縛られずに飛び回るその様に、周囲の事など忘れ、ただ見惚れていたことを。
「貴公は逃げなかったのか?」
「陛下を置いて、ですか?」
その言葉に、セリオスは改めて隣の男を見る。逃げた所で誰も処罰などしないだろうにと苦笑する。自分はただの傀儡、そのような実権は無いと。だが、その言葉が終わる前に、慌ただしく兵士が現れ、セリオスの横で跪く。王に対する兵士としては当然の、だが、過去に行われたことの無い礼を受け、セリオスは戸惑いながらも問いただす。
「何だ」
セリオスの問いに対する答えは、彼を驚愕させるに足る内容だった。
「宰相、王母リーディを含む一派を、敵前逃亡の罪で捕縛しました」
◇
「つまり、意図的に危機を煽ったのだな」
「まさか。ウチらが知ったのは、空飛ぶ機械が開発されたって事だけさ。そいつで攻撃してくる可能性があるってね。きっちりと伝えたさ。その新兵器で、討伐軍を無視して王都を破壊しに来る可能性があるってね」
ぬけぬけと姉上は言い放つ。王都が攻撃対象だと。そう推測して動いたと。
「飛行機の数、輸送能力、その位はつかんでいただろう。大型馬車と同程度の積載量だということも。目標は絞らざる得ない、そうなれば王城が目標になるなんて容易にわかると思うが」
「どうしてウチらにそんな事がわかる。虎の子の新兵器だ。密かに数を揃えているかも知れない。実はもっと運べるかも知れない。第一、空飛ぶ機械なんて常識外れのものを作ったんだ。他にも新兵器があるかも知れないじゃないか。そんな無責任な楽観論、とてもじゃないが言えないね」
平然と建前を全面に押し出し、とぼけてみせる姉上に、頭を押さえる。そうだ。姉上はこういう人なのだと。
「空を燃やすことも伏せていたのか?」
「当たり前さね。情報が洩れて対処されちまったら元も子も無い。どこから来ても迎撃できるように兵を全方向に展開するとしか言わなかったさ。ちゃんと迎撃して見せたんだ、文句を言われる筋合いは無いね」
常識外の空飛ぶ機械で襲撃を受けると知らされ、襲撃の報の直後に空が燃える。事前に知らなければ、なぜ空が燃えたかすらわからない。わかるのは、空一面を覆いつくす非常識が展開されていることだけだ。
そんな状況だ。逃げたいと思う人間は当然出てくるだろう。だが、王都が標的だと知らされているのだ。当然、逃げるためには王都を脱出しなくてはいけない。逃げたいと思う人間をあぶり出すために情報を操作した以外には考えられないのだ。
それでも、どこまでもぬけぬけと、姉上はとぼけ続ける。白々しい口調で。誰にでもわかるような軽薄な口調で。
だが、それもここまで。真面目な口調に切り替え、語りだす。
「だがね、事前に知らされていなかったなんてのは、理由になりゃしない。私はたまたま陣中にいたけどね。城外街の中にも王城に職場を移した人間だっている。そいつらだって等しく危険な目にあってるんだ」
辛辣な口調。そこに、姉上の心情が漏れ出る。新参者ですら筋を通したこの状況で何をやっているのかと。そんな輩は不要だと。
「陛下がどう行動するか、ウチらじゃわからなかった。陛下がどんな方なのか、ついこないだ接したばかりのウチらじゃね。だが、陛下はそこに留まったんだ。なら、臣下が勝手に逃げ出すなんざ論外さ。過程はどうあれ、その罪は言い逃れなどできない」
臣下なら筋を通せと。王を無視して逃げるなど、筋が通らぬと。
「逃げ出した輩はね、同時に陛下を下に見てた連中さ。傀儡、形式だけの王、一国の王をそんな風に見下した奴ほど、我先へと逃げ出す。……まあ、実の母親まで逃げるとは思って無かったがね」
筋を通せぬ奴はその程度だと。そんな輩は、誰よりも価値が無いと。
そして、改めて。姉上たちの目的を、重んじる道理を、求め続けた価値を思い知る。どのような状況でも変わらず、筋を通しながらも貫き通したものを。姉上たちは……
「まあ、これで、腐敗した王城もちっとは綺麗になるだろう。商売もちっとはマシになるだろうさ」
始めから、この一点のみを求め続けたのだと。
◇
「さあ、そっちの要求は独立承認だろう? 承認しなかったら、他の都市で同じことをすると。その交渉は私の仕事じゃない。とりあえずは王都執政官の元に案内してやるから、思う存分、脅してくるんさね」
自分たちのことは語った、次はお前だと言わんばかりに、姉上が言葉を発する。その言葉に苦笑しつつ、言葉を返す。
「それは私の仕事でも無いのだがな」
「どうせ直ぐに交渉官が来るんだろう? あの飛行機械に乗って。だったら根回しくらいすませておきな。ボウズもその位はできるだろう」
そう言って、姉上は王都に向けて馬を歩かせる。ついて来るのが当然とばかりに。後に続いて歩を進めつつ、ふと思う。この騒動の真の勝者は誰なのだろうかと。
最後まで、自らの血を一滴も流さずに。王都を手に入れ、早々と。戦争の終結を待たずして目的を達成した城外街こそが、真の勝者ではないかと。
◇
夜の空。星の位置だけを頼りに、闇夜を進む。やがて、一際大きな街の明かりと、囲うように瞬く篝火の明かりを視認して。ビオス・フィアまでたどり着いたことを確信して。フレイが悪戦苦闘しながら着陸する。
身体の固定を解除して。はしごが立てかけられて。降りようとして、身体が休息を求めてることに気付く。壁際まで歩いて、床の上に座り込む。隣にはフレイが同じように座り込んでて。お互い何も言わず。ただ時間だけが過ぎていって。
気が付いた時には、眠りに付いていた。




