7.Trojan Milvus
2017.12.25 三点リーダーを修正。
飛行機の組み立ては順調に進む。翼が取り付けられて。プロペラが取り付けられる。
設計図通りの形に組み上がったのは年が明けた三月。僕は十五才、成人を迎えていた。
◇
「機首引上速度で補助翼を操作する。そうすれば、機首が上がって、あとは揚力のままに飛びたつはずだわ」
「飛び立った時点で車輪を格納すると。ここまでが離陸の手順だね」
フレイと最後の確認をする。離陸、飛行、着陸、それぞれの手順を。熱空機関起動から離陸までは僕が速度を伝えて、フレイが舵を取る。
推力は僕が、舵はフレイが担当する以上、意思疎通は重要になる。言葉を決めて、聞いた方は「了解」と返事を返すことにする。
離陸時だと、最後の確認をするときの速度を判断速度、飛行機が宙に浮いて車輪を格納する速度を離陸速度、そんな感じで言葉を決める。
飛行中も同じ。旋回する時は右旋回、左旋回とフレイが言って、了解と僕が返す。離陸時は僕がフレイに指示を、飛行中はフレイが僕に指示を出すような感じ。
着陸の時の流れ、旋回中の細かい舵取りと推力の変化、片方が上手く出来なかったときどうするか、決めるべきことはまだまだたくさんある。こうして、飛行機開発の最後の時は、静かに過ぎていった。
……
フレイの淹れてくれたお茶を飲みながら、一息つく。ふと壁際の机を見る。そこには、フレイの原点の小さな飛行機。僕たち二人で飛ばした試製飛行機の模型が二つ。飛行機に搭載された魔法駆動の熱空機関の模型が一つ。
最初は広かった机が、今では様々な模型が置かれて。この二年間でやってきたこと、駆け抜けてきた成果。それらが所狭しと並べられて。
そして……
「いよいよね」
フレイの言葉に一つ頷く。
僕とフレイの視線の先。そこには、次に飛ばす、有人飛行が可能な飛行機の模型が飾られていた。
出来ることは全てやった。あとは飛ぶだけ。そんな所まで僕たちは来ていた。
◇
ビオス・フィア郊外。街道と接するように作られた滑走路。中天にさしかかろうとする太陽に照らされた飛行機。
少し離れてリョウ・アーシさん、メディーナさん、イーロゥ先生。リョウ・アーシさんが言うには、見学を希望した研究者は沢山いたみたい。だけど、警護の関係で断ったと。そんなことを言ってた。
試製飛行機よりも少し大きい、全長12メートル、全巾10メートルの機体。白く塗られた総木製の機体。重くなった機体でも十分な推力を得るために大型化したプロペラ。十分な揚力を得るために二枚に増やした翼。今日この日のために点検を繰り返した、人が空を飛ぶための飛行機。
その飛行機に、まずは僕、次にフレイの順に搭乗する。シートに体を固定する。飛ばすために幾度となく確認した手順を思い起こす。やがて、フレイが最初の言葉を口にする。
「……いくわよ。機関始動」
「熱空機関始動」
こうして、飛行機を飛ばす、最後の作業を開始する。
◇
魔法を起動する。左手の魔法杖から冷却魔法を、右手の魔法杖から加熱魔法を。
熱空機関の加熱部は熱く、冷却部は冷たく。500度を超える高温とマイナス195度の低温が、空気の流れを生み出し、回転力を発生させる。
「熱空機関安定」
「了解」
熱空機関と主軸を接続する。魔法動力が生み出す回転が、ニ翼のプロペラを回転させる。ゆっくりと、やがて唸りを上げて、プロペラが回る。
高速に回転するプロペラはやがて機体を前に進める。ゆっくりと。歩くような速度で。走るような速度で。馬車よりも速く。馬よりも速く。
「判断速度到達」
「了解、離陸継続」
離陸中止出来ない速度に到達したことを伝える。そのまま離陸する事を確認する。誰よりも速く、何よりも速く、飛行機が滑走する。
「機首引き上げ」
「了解、機首引き上げ」
フレイが補助翼を操作する。昇降舵を操作する。主翼と尾翼から生まれた揚力が機首を持ち上げる。機体を持ち上げる。前輪が宙に浮く。
「離陸速度到達」
翼の生む揚力が、正面からぶつかる風が、機体を宙に浮かせる。
「後輪浮上確認、車輪格納」
「了解」
車輪への加重が無くなったことを計器で確認する。車輪を格納する。
同時に、声を揃えて、最後の言葉を叫ぶ。
「「離陸!」」
◇
飛行機が大空を舞い上がる。直線に伸びた滑走路に影を落としながら。力強く。なにものにも負けない速さで。
眼下には巨大なビオス・フィア。真っすぐに伸びる街道。春の草原は青く、林は様々に彩られ。遮るもののない視界は、彼方の街や村までをも見渡して。
高くそびえる山脈を見下ろし。巨大なビオス・フィアも小さく。広大な大地。丸みを帯びた地平線。彼方の海までも視界にとらえ。飛行機は風を切り、空を飛ぶ。雲を掴み、大空を自由に駆け巡る。
◇
「海! 海が見える!」
「山を見下ろしてるわ! 山の向こうも見える!」
フレイと二人、はしゃいだ声をあげる。心が弾む。どこまでも高く。フレイが飛行機を右に旋回させる。機体が横転し、高度が下がる。機首が上がり、進路を右向きに変える。体にかかる加速感が心地いい。
目的地もなく、ただ自由に。しばらくの間、無人の空を飛び回る。
ふと、悪戯心がわいて、熱空機関と主軸の接続を切り離す。動力を失ったプロペラは惰性で回り続ける。
「ちょっと、王子!」
推進力を失ったことに気付いたフレイが、声をあげながら振り返ろうとする。多分、操縦桿やペダルに足を置いたまま。
うん。それは無理。離されても困るけど。
「フレイ。合図、忘れてる」
「合図って、な…、……! じょ、上昇!」
「了解」
フレイの言葉に返事を返して、熱空機関と主軸を接続する。機首を上げ、再び推力を得た飛行機が上昇を始める。
外の風景を見て。真っすぐに伸びる街道を見て。豆粒みたいな街道沿いの村を見て。街を見て。ふと思う。二年前、僕が旅した道のりのことを。
太陽の位置から方向を測って。いまは北に向かってるから、王都は右側かな、なんて考えてると。
「この飛行機、名前ないわよね。何か良い名前無い?」
フレイからそんな言葉を投げかけられて。えっと、名前、名前……ね……
「ミルバスなんてどう?」
「ミルバス?」
「うん。鳶の別名」
……なにか、前から吹き出したような声が聞こえたんだけど?
「王子らしいわ。もうちょっとひねれない?」
「じゃあ、鷲、鷹、隼……」
「見事に鳥ばかりね……」
「……じゃあ、フレイは?」
「そうね……。空、雲、星……」
うん。見事に空に関するものばかりだ。
「……フレイも人のこと言えないと思うんだけど」
「悪かったわね。……そうね、トロア点なんて言葉があるわね」
「トロア点?」
「すごく空高くにある、物が落ちない場所のことよ」
「落ちない場所、か」
「トロア・ミルバス。落ちない場所に住む鳶、良くないかしら?」
「……そうだね。落ちない場所に住む鳶。うん、悪くない」
トロア・ミルバス、心の中でつぶやく。改めて、今、空をとんでるんだなって思いながら。そんな気分も、はしゃいだ声に引き戻される。
「ところで王子? 王都ってどっちの方?」
「多分、東の方だから、右の方の街道の先じゃないかな?」
「ちょっといってみましょうよ。右旋回!」
「えっ! とと、了解」
僕の返事とともに、機体が傾き、景色が流れる。
……って、王都!?
「ちょっと!? 王都はまずいよ! だいいち距離が……
「大丈夫よ! 途中で引き返すわ! 左旋回!」
「ああもう、了解、そんな勝手な……」
「村とか結構あるわ。立ち寄ったりしたの?」
「……途中の街や村には立ち寄らなかったよ。安全上の理由で」
「そう」
「ずっと馬車の中だったから。だけど、外の景色は見てて飽きなかったな、いろいろ変化があって」
「……」
「山間の道、草原の道、荒野の道、林間の道。風景はもちろん、そこに吹く風、周りの音、みんな違ってて」
「……王宮に住んでたころはどうだったの?」
「王宮かぁ、なんかすごく昔のことのような気がするよ。中庭が結構広かったんだけど、周りが壁に囲まれてて……」
昔のことを思い出しながら。チェンバレンさんが一言余計と言っては笑い、イーロゥ先生は変な勘違いをする人と言っては首を傾げ。むしろ勘違いされやすいんじゃないか、なんて言いだして。
母さんが亡くなったときはしんみりとして。メディーナさんをずっと慰めてたのに驚いて。メディーナさんと一緒に王都を出たのにはもっと驚いて。そのときのイーロゥ先生には首を振って。「人は見かけじゃないわね」なんて感慨深げに。
フレイのこともいろいろと聞く。技術者が普段から出入りしてたこと。小さいころから遊び相手をしてもらったこと。機械技術概論で初めて飛行機のことを知ったときのこと。
鳥のこと。風船のこと。家族のこと。話すことは尽きなくて。その間、ビオス・フィアの上空を旋回し、時には急上昇して、急降下して。笑って、叫んで、話をして。
中天から降りようとする太陽に照らされて、トロア・ミルバスは滑走路に着陸する。補助翼が機体を地面に押し付け、制動装置が車輪を止める。
◇
着陸して、トロア・ミルバスから降りたら、リョウ・アーシさんとメディーナさんにこっぴどく叱られた。
「何時間飛んでんだ! 常識ってもんを弁えろ!」
「見えなくなる所まで飛ぶのはやりすぎじゃないかな!?」
ごもっとも。フレイと二人で肩をすぼめる。……研究室で、フレイと二人でこっそり笑いあってたけど。ちょっと言えないよね、これは。
リョウ・アーシさんの家に戻って、お祝いの食事会を開いてもらう。出席者はリョウ・アーシさんとその奥さん、フレイ、メディーナさん、イーロゥ先生、僕の六人。内輪だけの、ほんのささやかな祝賀会。
なぜかフレイの両親は出席しなくて。リョウ・アーシさんに理由を聞いたんだけど、「ありゃあ、ちょっとな……」なんて口を濁すばかりで。
食事が終わり、お酒が運ばれてくるまで、その理由はわからないままだった。
◇
「バード君が王城から目を付けられてるから距離を置けって! おかしいよ!」
「ああ! 王子たちがどれほどのことをしたかわかってねえんだ! あいつは!」
……メディーナさんとリョウ・アーシさんが、意気投合しながら、交互にフレイの父親を非難する。
「そうだよ! すごかったよ! あんな速さで空を飛んで!」
「だろう! ウチの研究員だって想像以上だって騒いだんだ! なのにそれを見ようともせず! 『これじゃ貰い手が……』なんてぬかしやがって!」
「なんで!」
「『あれじゃ相手の面目が……』とか! そんなことを気にするような奴はこっちから断れって言っても聞きやしねえ!」
「そんな相手、フレイちゃんだってお断りだよ! ねえ、フレイちゃん!?」
「……そうね、確かに嫌だわ」
「ほら! やっぱり! 第一、フレイちゃんの気持ちを無視してるのがまずだめだよ! ありえないよ!」
「おう! その通りだ! まったく、なんであいつは……」
メディーナさんとリョウ・アーシさん文句は延々と続いて。それを横目に小声でフレイと会話する。
「いつからあの二人、あんな仲が良くなったの?」
「知らないわ、そんなの」
「『貰い手』とか『相手』って、何?」
「……父様がね、縁談の相手を比べてるみたいね」
「縁談?」
「私、一応良家のお嬢様だから。結構縁談の話が来るみたいね。どの家が良いか必死に選んでるみたいよ」
「……受けるの、縁談?」
「知らない人と結婚なんてする気はないわ」
きっぱりとフレイが断言する。その言葉に納得する。……ちょっとだけ安心しながら。
「叔父様と父様がいつも言い合ってるわ。よく飽きないわね、って思うくらいに」
「そうなんだ」
「最近、良い縁談が良く来てるみたいね。喧嘩も激しくなってるわ。ちょっとうんざりね」
向かいの席では、いつの間にかイーロゥ先生とリョウ・アーシさんの奥さんが静かに談笑しながら飲んでて。なにか、魔法のことを話してるみたい。城外街では冷却魔法で氷を作って、それで飲み物を冷やしたり、食べ物を保存しているみたいなことを話してる。「それは便利そうねぇ~」なんて、ちょっとおっとりした声が聞こえてくる。
結局、そんな雰囲気のまま、僕たちの祝賀会?はお開きになって。イーロゥ先生がメディーナさんに肩を貸しながら部屋に戻って。
……次の日、メディーナさんが「頭が痛い……」なんて言って、イーロゥ先生に介抱されていた。
◇
飛行試験の結果をまとめて。好き勝手に飛んでるように見えて、ちゃんとデータを取ってたのにはちょっと驚いたけど。フレイも僕のことを驚いてたからおあいこだよね。
運搬能力を向上させた二号機の設計が始まる。もっとも、一号機で十分な飛行能力を立証したから、あんまり変更はない。すぐに組立が始まる。
それが終わったら、次はデュアルキャスト無しで稼動可能な機体。飛行機を飛ばしたからって研究が終わることは無くて。まだまだこんな毎日が続くと、この時は思ってた。
だけど、そんな毎日の終わりはすぐそこに来てて。単に僕たちが知らないだけだった。
城外街と王弟グリードの和解が成立したこと。ビオス・フィア自治領を王族誘拐の実行犯を匿っていると糾弾、討伐の兵がこちらに向かっていること。
未だ僕たちはその事実を知らぬまま。
事態は風雲急を告げ始める。




