3.白衣の少女
2017.12.24 三点リーダーを修正。
「ちょっと待って!」
屋敷から出かけようとする少女。バード達三人とすれ違う。
そのまま立ち去ろうとする少女を、少年は呼び止める。
「何?」
少女は静かに立ち止まり、振り返る。
「ごめん! 名前、名前聞いていい?」
少年は少し慌ててながら、少女に名前をたずねる。
「フレイ。フレイ・ウェイよ」
少女は静かに名前を告げる。
「僕はバード。バード・パラ……」
少年は少女に名前を伝える。伝えかけて、迷い、言いよどむ。
言いよどむ少年に、少女は短く、彼女の知る事実を伝える。
「ええ、知ってるわ。うちに匿われた王子様ね」
そうして、少女は、一月前、彼らを初めて知った日のことを思い起こす。
◇
「わが家でパラノーマ王国の第四王子を匿うことになった」
一月前、リョウ叔父様が夕食の席でそう伝えてきた。
「そう。今はいないみたいだけど?」
食事はいつもの面々で。リョウ叔父様の夫婦、私、父様、母様の5人。
「ああ、この席だと部下達が突然来ることがあるからな。別で取ってもらうことにした」
そこまで秘密にしなくても良いみたいだけど、公的には明らかにしない。だから、屋敷の中で別々に生活する。
叔父様の話はそんな感じ。
そうね。宿泊者向けの客間であれば、普通に生活できるし。
そんなことを考えていると、父様からいつもの話題が振られる。
「そんなことよりフレイ。まだ研究者の真似事を続ける気か?」
「ええ、もちろん。プロペラを取り付ければ『飛行機』の構成要素はそろう。あとは、少しずつ性能を上げて時間を伸ばしていくだけよ」
「だからって、あんな玩具にだな……」
いつもの言葉。いつもの通りカチンとくる。いつも通り叔父様が間に入る。
「まあ落ち着け。確かに今は玩具だが、あれだって捨てたもんじゃねえんだ」
「だけど。フレイはもう15才です。いつまでも遊ばせる訳にはいきません」
「そういうがな。見たくれこそは玩具だが、実際飛んでんだ。この前なんざ、十分間か? たまたまで出る数字じゃねえよ」
「それでも玩具ですよ。実用性の全く無い、遊ぶための道具」
「飛行機ってのはな、『機械技術概論』に記載されてるのに、ほとんど研究が進んでねえんだ。サバン共和国ですらな。それを玩具、玩具ってのは頂けねえな」
「……一年前、フレイが飛行機のことを研究したいって言ったとき、『どうせすぐ飽きる。それまでやらせれば良いだろ』とか言ったのは兄さんじゃないですか!」
「飽きてねえんだ! しょうがねえだろ!」
「大体、この家は職人だの、研究者だのが自由に出入りしすぎだ。フレイにまでおかしな影響を与えてしまって……
「ふざけんな! 自分の娘だろ! 俺の部下のせいにすんじゃねえよ! 第一、フレイのどこがおかしいんだ!」
「おかしいですよ! 普通の女の子は研究所に出入りなんてしたがらないでしょう!」
……何か、今日はヒートアップしてるわ。
叔父様と父様が激しく口論しているのを眺める。
◇
飛行機を知ったのは四年前、始めて「機械技術概論」を読んだ時。
空を飛ぶ機械がある、なんて驚いて。
今の技術じゃ手が届かない、雲をつかむような話と聞いて落胆して。
勉強して。難しいことを理解して。それでも、雲をつかみたいと思って。
雲をつかむと決意したのが一年前。
夕食時に家族みんなに話をして。父様と母様には反対されて。
叔父様だけがわかってくれた。
その時も、今と同じような大喧嘩。その時は私も怒鳴ってたけど。
そして、結局、母様が折れ、父様も折れて。
叔父様の研究室で、私は一人、飛行機のことを研究してる。
正直、私も玩具だと思う。だけど、叔父様は「最初ってのは大抵こんなもんだ。だけどな、それを積み重ねて一つのもんが出来上がる。馬鹿にしちゃいけねえ」とずっと言ってくれた。
その言葉を励みにここまで来た。
始めは翼の形すらわからなかった。
どうして尾翼が必要かもわからなかった。
重心の意味すら知らず。揚力という言葉も知らず。
一つ一つ、調べて、作って、試して、ここまで来た。
父様の言うこともわかる。でも、まだ諦める時じゃない。
最近芽生えた、私の中の何かがそう言ってる。
小さい、今はまだ玩具みたいな。
だけど、全部がそろった、私の飛行機。
明日、私の全てを空に飛ばす。
◇
次の日、研究所で入念に点検する。
翼の角度、重心、そしてプロペラと、その動力となるゴム紐。
胴体と翼の接点。尾翼の接点。
プロペラを回し、ぶれがない事を確認する。
何度も、何度も。入念に、入念に。
簡単な点検を慎重に。ただ慎重に。
それだけで、午前の時が過ぎる。
◇
昼食を取る。
最後の点検を終える。
そして、近くの公園に向かう。
◇
公園で、飛行機を手に持ち、構える。
プロペラを回す。ゴム紐が捻じれる。
不安。緊張。期待。恐怖。焦燥。満足。
私の心が見えない結果に悲鳴を上げる。
私の心がここまで来たと叫びを上げる。
今ここで、私の全てが空を舞う。
◇
ゆっくりと。そっと投げるように「飛行機」を前に飛ばす。
前にとばした飛行機は弧を描くように上を向き、空高く舞い上がる。
前の方についていたプロペラがくるくる回って。自分の力で上昇する。
やがて、プロペラの回転が止まり、上昇を止め、弧を描くように。空高く舞い上がった飛行機はゆっくりと降りてくる。
ゆっくりと、ゆらゆらと。風に流されながら。ほんの少しの上昇をはさみながら。
弧を描きながら。ゆっくり下降しながら。それでも、間違いなく、飛行機はゆっくりと飛び続ける。
ゆっくりと、ゆらゆらと。
そして、私の中の何かが、また一つ形になる。
◇
ふと、私の飛行機を見つめる二人がいることに気付く。
……怖っ。何、あの人。凄い筋肉だよ。
いえ、そうね。叔父様ほどじゃないわ。けど、何か違うのよ、あの筋肉。なんていうか、立ってるだけなのにすごい迫力。
だいたい何で頭剃ってるの?
なんであんな人が私の飛行機を見てるの?
なんか気に障ったかな? 微動だにしないんだけど。
いけない。気付かれちゃいけないわ。気分を損ねたらマズいに決まってる。平常心よ、平常心。今はそれどころじゃないんだから。
だけど大丈夫かな。怖いよ、なんであんな人がこっち見てんのよ。違う。飛行機よ、あの人たちは飛行機を見てるの。私じゃない。だから大丈夫。
そうだ、飛行機を見てれば落ち着くよね。
よし。私は気付いてない。ずっと飛行機を見てた。
落ち着け、私。落ち着くんだ。
とりあえず、二人には気付かなかったことにして、飛行機に視線を戻す。
◇
無理に決まってる。
あのインパクト。気付かないわけがない。
気付かなかったことになんてできない。
だけど、時と共に気分は落ち着いてくる。
ふと思う。もしかして、見た目に反して繊細な人かもしれないと。
ダメね。そんな訳ないわ。私だって未熟とはいえ研究者。事実から目を背けちゃいけない。
現実逃避なんてしたら、名前に傷がつく。ちゃんと現実を見据えなきゃ。
そんなことを考えながら。
それでも心は落ち着きを取り戻していく。
そして、もう一人の少年に目が移る。
◇
均整の取れた体。たぶん鍛えているのだろう。細身ながらもひ弱な感じは無い。
濃い茶色の髪。黒い瞳。目鼻立ちは整ってる。
多分年下。幼さが残る顔立ち。
だけど。直感だけど。
ただ前を見て歩く、そんな意志の在り方と。
広く物事を知りたいという、そんな心の在り方と。
彼の目にはそんな光が宿っている気がした。
◇
そうして、飛行機を回収して。
私の研究室に戻る。
飛行時間は十分程度。いままでの最高記録とほぼ一緒。違うのは動力。今日は推進装置の助け無しに飛び続けた。
成功。そう言っていい結果に満足する。
その満足を胸に家路につく。
◇
次の日、朝食を取り、何気なく窓の外を見る。
私の家から、強烈なインパクトの剃りあがった頭の人が出ていくのが見える。
なんであの人がいるの? やっぱり怒らせて怒鳴り込んできた? いや、ちょっと落ち着こう、私。
「ああ、あれがこの前話した、パラノーマ王国の第四王子だな」
え! あの強烈なインパクトの剃りあがった頭の人が? ……違うにきまってるわね。もっと落ち着こう、私。
表情にでないよう気をつけながら、窓の外を見る。
そこには、昨日見た少年と、もう一人、女の人が歩いていくのが見える。
そうね。あの少年よね。王子様っていうのは。
第一、あの強烈なインパクトの剃りあがった頭の人なら、逃げずに相手を叩き潰しそうな気がするわ。
……変ね。すごい違和感があるわ。なんで?
◇
その後、強烈なインパクトの剃りあがった頭の人がイーロゥさんって名前だと聞く。
研究所で魔法を教えることになったことも。
えっ。あの人が教えるの? とても見えないんだけど?
「あれでも、王都の城外街特別区で教鞭を振るっていた男だ。戦闘術、魔法、戦術、どれをとっても一流だと思っていい。教えるのも上手い。相当な逸材だ」
叔父様がそんなことを言う。
ほんとに? ほんとに? ……ホントに?
◇
次の研究を始める。
……残念だけど嘘。始められない。
昨日、自力で飛び続ける飛行機はできた。
プロペラが回る限り上昇する。
重力を推進力に変えて飛び続ける。
揚力、滑空、重心。全てが揃った。
普通に考えれば高性能化。
もっと上昇距離を長くする。
もっと滑空時間を長くする。
昨日までの私もそう思っていた。
だけど。私の中の何かが「違う」とささやく。
もっと他のことをやるべきだと。
筆記用の木板に考えを書き連ねて。
矢印で考えを書き加え。
番号をふって。丸で囲って。
まとめきれずに全部消して。
そんなことを繰り返して、今日の一日が終わる。
研究室の片隅で、私の全ては物言わず、ただ静かに時を過ごす。
◇
「一旦、研究結果を本にしたらどうだ?」
叔父様に相談する。そんな返事が返ってくる。
「自力で飛行するところまで行ったんだ。本の一冊にはなるだろう。そうやって、頭の中を整理して外に出せば、また違った考えも出てくんじゃねえか?」
なるほど。言われてみれば、いままで研究結果をまとめたことは無かったわ。
一度、やってみるのも良いかもしれないわね。
印刷原稿用の木版を私の部屋に運んでもらう。
この一年を振り替える。
「まずは。そうね、機体構造からね」
そう呟き、執筆にとりかかる。
◇
わかりきったことでも、文章にするのは難しい。
時に図書館で調べなおし。
時に実験結果を見直して。
同じことをもう一度検討もして。
またたくまに三週間が過ぎた。
そうして書き上げた研究結果は三十頁くらいの分量。
研究所の事務局に木板を渡して。
活字印刷を依頼して。
三日後、紙に印刷された「本」を渡される。
本とはいえないくらいに薄い。
紐で綴じられたそれは、誰も本とは思わないかもしれない。
だけど、私の一年がすべて詰まった。
一つの成果が、そこにはあった。
◇
渡された日は研究にならなかった。
頁をめくっては表情がゆるみ。
中を見てはにやけ。
ただ意味もなく、出来上がった本のページをめくり。
……後になって、個室の研究室で良かったと、つくづく思った。
◇
意識を現実にもどして。
研究結果を読み返す。
だけど、次の研究のヒントは得られず。
とりあえず、飛行時間を延ばすための研究を始める。
◇
私の中のなにかが「違う」と叫ぶ。
そこから学べることはもう無いと。
次はそこじゃないと。
それでも、研究を続ける。
次が見つかることを信じて。
そんな時、忘れ物を取りに研究所に戻ろうとして。
家の前で、初めて、王子様を目の前にする。
◇
「ちょっと待って!」
王子様が私を呼び止める。
「何?」
私は静かに立ち止まり、振り返る。
「ごめん! 名前、名前聞いていい?」
王子様は少し慌てて、私の名前を聞いてくる。
「フレイ。フレイ・ウェイよ」
「僕はバード。バード・パラ……」
私は王子様に名前を伝える。王子様は名前を言いかけ、よどむ。
そんな王子様に、私の知りうる事実を伝える。
「ええ、知ってるわ。うちに匿われた王子様ね」
◇
私の言葉に、王子様は一瞬きょとんとして。
小さい事はどうでもいい、そんなことを考えたのだろうか。
再び勢いを取り戻し、聞いてくる。
「この前。一ヵ月前。公園で飛ばしてたの、何?」
「『飛行機』のこと?」
王子様の質問に、すこしとぼけた質問を返す。
あの時のことは良く覚えている。
傍らのイーロゥさんの迫力はそうそう忘れられるものじゃない。
……実は今もちょっと怖いのよ。
だめよ、余計なこと考えちゃ。表情に出すな。平常心よ、平常心。落ち着け、私。
「そっか。『飛行機』、空を飛ぶ機械ってこと?」
「そう。『機械技術概論』の記述の一つ。私の研究テーマ」
そう。私の研究テーマ。
今は少し停滞気味だけど、いつか実現させると誓った、私の夢。
この一年で、私の中を塗り替えていった、私の全て。
「飛行機、あの大きさで完成なの?」
「違う。もっと大きな、馬車に代わるようなものを目指しているわ」
「じゃあ、なんであの大きさで作ったの?」
「まずは飛ぶことを実証するため。あの大きさなら、一人で作れるから」
目の前の王子様との会話を続ける。
少し心が弾んでくるのを自覚する。
そう。数年前の私はきっとこんな感じ。
空飛ぶ機械に憧れて。
空飛ぶ機械を知りたいと願って。
今では、私の飛行機がその憧れの対象になった。
目の前の、徐々に熱をおびてくる王子様の様子を見て。
私の一年間が間違いじゃなかったことを実感する。
達成感に似た幸せが私をつつむ。
次の王子様の言葉を聞くまでは。
◇
「じゃあ、次はもっと大きい飛行機を作るんだよね?」
その言葉で、思い出にひたる私はなりを潜める。
研究者の私に切り替わる。
「いえ。今は飛行時間を延ばすことを考えているわ」
事実を話す。私の中の声を無視して。
「今は、飛んだと言っても十分程度の話。大型化するには材料がいる。人手がいる。費用がかかる。絶対に飛ぶと確信できるまでは、今の大きさで研究を続けるわ」
そう。当たり前の判断。飛び続けることを立証する。
今の飛行機は玩具だと。父様の言い分こそが普通の見方。
それを覆さなきゃ次には進めない。
だけど、目の前の王子様は。
そんな真っ当な判断を真っ向から否定する。
鳥に例える形で理由を添えて。
「それじゃ駄目だよ。その研究には意味がないんだ。大きい鳥と小さい鳥では飛び方が違うんだから」
飛び方が違う?
いえ、そのことよりも、まずは反論よ。
いくらなんでも、鳥と比べるのは暴論だわ。
「私が研究しているのは飛行機よ。鳥じゃないわ」
「だけど、あの飛行機の飛び方は小さい鳥の飛び方なんだ。自分の力で体を持ち上げるような。飛行機の前についてた平たい木の棒…
「プロペラのことね」
「プロペラが回っている間は上昇して、止まると風に乗って下降する。そんな飛び方だった」
「そうよ。飛び方は間違ってないわ」
一度しか見てないのに良く分かるわね。
「プロペラを回して真上に上昇するのが駄目なんだ。飛行機を大きくしたら、上昇しなくなる。そこは多分、鳥と一緒のはずなんだ。だから、大きな飛行機でも上昇する方法を試さなきゃいけないんだ」
……目の前の王子様の言葉を考える。
そこにはまだ理論が無い。だけど、切り捨てられないものを感じるのも確か。
「羽ばたいて空を飛ぶのは小さな鳥だけ。大きな鳥には自分を持ち上げるだけの力が無いんだ。だから、風にのって空を飛ぶ。飛行機だってきっと一緒なんだ」
なにより、私の中の声が同意してる。納得してる。
そして、目の前の王子様から感じる熱量は熱さを増す。
「あの飛行機は、上昇するときは小さな鳥のように自分の力で、その後は大きな鳥のように翼で風に乗って。そんな飛び方をしているんだ。上昇するときは翼を使っていない。それじゃダメなんだ」
理解する。
目の前の王子様は、私とは違う形で、空を飛ぶことを知っていると。
その知識と照らし合わせて、問題点を指摘しているのだと。
「風に乗って上昇する。次に考えなきゃいけないのはこれのはずだ。だけど、風の乗り方は大きな鳥と小さな鳥で違う。だから、次は大きい飛行機を作らなきゃいけない、そのはずだよ」
そう言って。目の前の王子様は。
最初に目にした時の、静かな、大人しそうな雰囲気をかなぐり捨てて。
発する言葉とは裏腹に。熱のこもった口調で。強制力すら伴わせて。
私の反論を自説でねじ伏せる。
私の中の何かが我が意を得たと歓喜する。
◇
研究所のことが頭から消えて。
忘れ物など忘れて。
王子様の言葉を反芻する。
そこに、一定の理があることを認める。
◇
こうして、少年と少女は邂逅を果たす。
少年は自由に旅することを夢に見て。
少女は雲をつかむことを夢に見て。
共に、夢をかなえるための翼を熱望する。
たったそれだけの小さな物語。そんな物語の小さな一幕。
その物語を、少年と少女は全力で駆け始める。
作者注:プロローグみたいなことを書いてますが、そろそろ物語も終盤です。
作者注追記:そんなことを思っておりましたが、意外と中盤でした。




