1.状況の悪化
2/16 暦年修正
第二章開始。
イーロゥ先生視点です。
こんなことになるとは、夢にも思わなかったが、思ったより悪くない。ふと、そんなことが頭をよぎる。
私は御者台で馬車を操り、王都から離れていく。馬車の中にはバード殿下とメディーナ殿。向かう先は自治領ビオス・フィア。今、王都は混乱のただなかにある。ビオス・フィアに到着できれば、バード殿下の安全と自由がとりあえず確保できる。
後ろから、バード殿下のはしゃいだ声が聞こえてくる。その声を聞き、自分の決断が間違ってなかったことを確信する。「その時々で、価値ある方を選べばよい」、姉上の言葉はまだ実践できていないが、今回の決断は正しかったのだろうとは思う。そうして、「その時」のことを思い起こしていた。
◇
ことの起こりは、メディーナ殿が罷免されて一年後の王国歴149年6月、王城で大々的に発表された人事だった。
新たに王妃の父親を宰相に据え、現在の宰相は彼の補佐役とする。また、王弟の補佐だった男も彼の補佐役とする。彼の元、朝廷を一新した後、正式に皇太子を定める。皇太子殿下が成人され次第戴冠して頂き、新たな国王陛下を新しい朝廷が支えていく。発表を要約すると、このような内容だった。
この発表の意味を知ったのは、道場で姉上と話をしたときだった。
◇
「要するに、王妃派から父親が引っこ抜かれてグリードについたってことさ。勝負あったってことになるね」
なぜ、そのような結論になるのだろう? 王妃の身内が宰相となったのなら、王妃派が勝ったのではないかと思ったのだが。
「王妃派が勝ったのなら、宰相の補佐役にグリードの腹心だった男を付けるわけがないのさ。しかも、グリードの身分に触れずじまいだ。今はグリードが政務を取り仕切ってる。事実上の後継者なんだ。王妃派が勝ったのなら、宰相よりも下の地位に置くことを明言しているはずさ」
ふむ。しかし、宰相以上の職など無いのだから、次の宰相を明言したのなら、自動的にその下になるはずだが。
そのような私の常識は、次の姉上の言葉で吹き飛ばされることになった。
「だから、あえて明言しなかったってことは、宰相以上の職を作る気があるってことさ。まあ、そうなったら臣下の立場に甘んじたままでいられるかも疑わしいさね」
◇
「つまり、バード君を傀儡にする必要は無くなったが、今後邪魔になると見て良い?」
なぜそうなる? そう思っているうちに、姉上の言葉が耳に入る。
「だろうね。次期体制だとバード王子が王弟、グリードは叔父になる。血筋の上ではバード王子の方が正当性がある。このままほっといたら、グリードは時が経つにつれ不利になるのは明白だ」
「第一、バード王子の方が王位継承権が高いのは変わらずだ。このままではグリードの権勢はどうやっても一代限り。この権勢を守るためには、上り詰める他ないのさ」
そんなことは許されないだろう。思わず発言をする。
「それでは簒奪だ。王弟殿下はそんなことまで考えてるというのか」
「簒奪とは限らないね。禅譲かも知れない。次の皇太子を自分の息子にしちまっても良い。次期国王の親を味方にした上で宰相につけるんだ。大抵のことはできる」
……
「第三王子には逃げ道がある。禅譲にしろ、継承権をグリード側に譲るとしても、それを条件にある程度の身分は確保できるさ。まあ名誉職なのは確定だろうがね」
「だが、バード王子はそうはいかない。バード王子抜きで決められることに発言権はない。まあ、追認すれば当分は大丈夫かもしれない。けどね、バード王子には政治力が無いんだ。グリードが、名誉職に閉じ込めるなんて遠慮する必要を感じるかどうか、はなはだ疑問だね」
それでは、つまり、バード殿下は……
「つまり。口実をつけて王族から除籍するとか、監禁するとか、殺すのも選択子に入ってくるだろう。王族のまま自由にさせる線は無いんじゃないかい」
◇
「で、もう一つ。うちらにとってもこの事態は実に都合が悪い」
バード殿下のこれからの話で衝撃を受けている間に、姉上は別のことを話し始める。少し怒りが込み上げてくる。が、メディーナ殿はそのまま姉上と話を続ける。
「商人の信用の話ですね」
「そう。もともとうちらは王城と信用を築くためにバード王子の支援を考えていた。同じ理由で、グリードが権力を握るのを防ぎたかった。どっちも駄目になっちまったって話さ」
なぜ、メディーナ殿はそのまま話を続けるのか。バード王子のことをもっと話すべきではないのか。込み上げてきた怒りが積もる。
「城外街としては、どうするつもりでしょうか?」
「そうさね。私としては王城から撤退するつもりさ。これ以上付き合ってもこっちの利にはならないと見ている。たぶん、自治団にも話は通るんじゃないかね」
ふざけてる。いままで一年間、バード王子を如何に支援するかで話をしていたはずだ。もちろん、それが自治団の利を見た行動なのはわかる。なのに、状況が変わったら全てを放り出すなんて言うのか!? 利が無ければ何もしないとでもいうのか!?
怒りのまま、怒鳴りつけようとした直前、メディーナ殿が当たり前のように次の言葉を口にする。
「では、撤退時にバード君も一緒に王城から救出してもらえますか?」
怒りが覚める。あっけにとられる。一瞬、頭が真っ白になる。
「当たり前さ。その位、大した手間でもない。第一、それをしなかったら、今まで嬢ちゃんを騙してたことになっちまう。結局、嬢ちゃんの出番はなかったわけだが、そんなことは抜きさね。まあ、どうやるかはもう少し後で相談といくか」
姉上の、メディーナ殿の、気負いの無い、さも当然のことを語るような話し方に、この一年間、ここまで視野に入れて話をしていたと気付く。
「ああ、うちのボウズが面白いことになってるさね。もうちょっと落ち着きってのを身に着けたらどうなんだい?」
「そうかな? 今の話を落ち着いて聞かれたら、人選まちがえたかなってなるから、少し安心したけど」
「そうかい。でも、嬢ちゃんはもっと王子のことを見ろなんて助言したんだろ。それができてれば、こんな醜態はさらしてなかったさ」
「そうですか? そんなつもりで言ったんじゃないんだけどな」
「そうなのさ。心が決まってないから周りに振り回される。こっちは振り回す気もないってのに、勝手に回ってるんだから世話ないさ」
「なるほど。少しわかる気がします」
好き勝手なことを言われているが、なにも言い返すことができない。
「なにも今日明日どうこうなるって話じゃないんだ。今日は帰って頭を冷やしな。話はそれからだ」
姉上にそう言われ、その日は退散するしかなかった。
◇
その日、メディーナ殿はなぜああも当然のように殿下を救出することを視野に入れていたのかを考える。答えは出なかった。
◇
「自治団のほうも王都と縁を切るって方向で話がついた。まあ、もともと検討してあったことだ。その日が来たかってだけの話さね」
次の日、姉上はそのような言葉で話を始める。
「決行するのは今から半年後の新年1月。正月明け早々に第三王子の戴冠が予定されているが、そいつと重ねる。悪いが、王城からの引き払い方は今は言えない。ただ、王城が大混乱におちいるのは間違いないとだけ思っといてくれ」
思ったより先の話だ。少し気になることを聞く。
「それまで、バード殿下の身に危険は無いだろうか?」
「まず大丈夫だろうさ。グリードは自分の権力基盤を確固たるものにする方を優先するだろう。半年の間に宰相を代え、皇太子を決定し、王子の成人と同時に戴冠するなんて仕事をするんだ。当分はそっちにかかり切りになるだろうさ」
なるほど。その位なら私でもわかる。
「で、バード王子の話だが。それまでにやっておかなきゃいけない事が2つ。どっちもボウズの仕事だ」
自分の仕事? 私になにかできることなどあるのだろうか。
「ま、簡単なことだから身構えなくていい。まずは1つ目。バード王子と接触して意志を確認しておいてほしい」
バード殿下の意志?
「バード王子を無理やりさらおうなんて話じゃないんだ。王子が王城に残りたいってんならうちらとしてもどうしようもない。だから、王子が出ていきたいのかを確認する必要があるのさ」
「仮に王子が残る方を選択した時はどうすれば良いだろうか?」
「説得するこったね。ボウズだって、このまま王子が城に残ることが良いなんて考えてないんだろう?」
当然だ。あのような話を聞かされて、そのまま従ってなどいられるものか。
「大丈夫ですよ。バード君は間違いなく外に出ていくことを選択しますから」
メディーナ殿が一言言い添える。確信の籠った言葉に少し疑問に感じる。
「なぜそうはっきりと言い切れるのか、教えてもらってもいいだろうか?」
「バード君は外の世界に憧れを持っています。特にこの数年でその憧れは強くなっています。王城から外に出してくれるなんて話は、バード君にとっては夢がかなうような、そんな話です。断るわけがありません」
そうなのか。やはりメディーナ殿はバード殿下のことを良く知ってるのだな、と少し関心すると、なぜか少し冷たい感じのする目で見られる。
「その憧れをこの上ないものにしたのはイーロゥさんなんだけどね」
うん? そんな心当たりは無いのだが。
「なんだい、またボウズの天然かい?」
「ええ。さすがにこれを自覚しないのはどうかと思うな」
何か言われ始める。盛り上がる前に次の話を聞いておいた方が良いだろう。
「で、2つ目はなにをすれば良いのだ?」
「おっと、そうさね。バード王子の側役の二人、チェンバレンとメイに話を通す必要がある。この二人が阻止する側に回ったら、話は相当面倒になる。だから一度、うちらが直接話をするつもりだ。王子の母親の墓参りを口実に外に出てもらってね。ボウズはそのことを伝えてもらいたい」
なるほど。そろそろクローゼ殿の命日だ。メディーナ殿もバード殿下も墓参りにいくのは自然だろうし、当然側役二人も殿下に付くことになるだろう。そこで会話をするつもりなのか。
「わかった。確かに伝えよう」
そう返事をする。今日の話はこれで終わりだろうと思ったところで、姉上の声がかかる。
「もう少し待ちな。今後の話をもう少し続けなくちゃいけないんでね」
◇
「バード王子を王城から救出した後だが、残念ながらここで匿うことはできない。さらに言えば、うちらは王子のことは知らぬ存ぜぬで突っぱねる。だから、王子を救出した人間もここにはいられなくなることになる」
昨日のように、また怒りが積まれていく。いや、抑えなくては。姉上もメディーナ殿も、どんな話であろうが、最終的に無責任な話はしない。昨日思い知らされたばかりだ。
「うちらができるのは、救出した後の逃亡先を紹介するくらいさ。なに、紹介状ぐらいなら書いてやるさ。そのくらいなら私の一存ですむ」
「但し、うちらに出来るのはそこまでだ。そこにたどりつくのは自分たちでやってもらうことになる。なに、今回の話で義憤にかられるやつだっている。そういった奴を1、2人くらいは付けれるだろう。嬢ちゃんとバード王子だけで放り出すつもりはないから安心しな?」
? なぜ、殿下とメディーナ殿だけと仮定したのだ?
「うちらが手を引けば、王都は相当混乱する。年単位で時間が稼げるほどね。だが、うちらに出来るのはここまでだ。すまないが、その先のことは嬢ちゃんの方で考えてもらうことになる。それで良いかい?」
「大丈夫です。むしろそこまでしてくれることに感謝しています」
「ありがたい言葉さね。で、今回の救出劇だが。混乱に乗じて救出するったって誰にも見られずなんてことは無理だ。自然、王子を救出した人間はそのまま逃亡してもらうことになる」
「王子を救出する際、顔見知りの人間がほしい。嬢ちゃんに頼めるかい?」
「もちろん。足手まといになりませんか?」
「そこは大丈夫さ。その時は指揮系統も無茶苦茶になってると思っていい。大手を振って歩いても大丈夫なくらいさね」
「わかりました。それなら大丈夫そうですね」
姉上とメディーナ殿との話に物凄い違和感がある。なぜだ。蚊帳の外に置かれた感じが……
「王城から見れば嬢ちゃんはバード王子を誘拐したってことにされかねない。それでも良いね?」
「かまいません。今はそれが最善でしょう」
そこまで話をすると、メディーナ殿はこちらを向き、感謝の言葉を述べる。
「イーロゥさん。すこし早いですが、先にお礼を言わせてもらいます。いままでバード君の力になってもらいありがとうございました」
◇
そうか。王都から脱出するのに私は頭数に入っていないのか。メディーナ殿の言葉で気付かされる。どこか納得できない。この一年間抱き続けた思いだ。だが同時に、納得してしまう。たかが一兵士でしかない私には無理なことなのだと。
◇
「まあ、今後の予定は大体こんなとこさ。で、バード王子に伝える際、誤解の無いように伝えてほしいのさ。王城を脱出した後、嬢ちゃんと行動を共にすることになる。ボウズは行動を共にしないってね」
……今は悩む時ではない。私の行動如何で殿下の将来が闇に閉ざされるのだ。納得できない思いなど殺すのだ。ここで話した内容に異論はないのだから。
そうやって、自分に言い聞かせながら、道場を後にした。




