探し物は栞
6.探し物は栞
「情けない話ではあるのだけどね、栞替わりに使ってしまって、その本に挟んだままで学校の図書館に返してしまったの」
柊が植えてある家に入ると、応接間に通され、目の前に座った老婦人から詳細を来ていた。
三松ユキという女性は齢五十七だというが、もう少し若い印象を受ける。
まあ三月まで大学生をやっていたのだからというのもあるのかもしれない。
三松先輩は卒業論文を書いている時に、借りていた文献に何か栞に挟んでしまったままだという。
「何を挟まれたのですか?」
大先輩だからか、はたまた探偵気分にでも浸っているのか、林檎は普段見せない緊張した面差しで三松先輩を見た。
三松先輩は少し溜め息をついてから答えた。
「葉っぱを使ったという手紙ってイメージつくかしら?」
「葉っぱですか?」
林檎は驚いたような声を上げた。どうやら知らないらしい。
確か普通より高いお金を払えば葉っぱでも郵便局を通して郵送してもらえた筈だ。そんな話をテレビで見たような気がする。
「タラヨウですか?」
瑞穂がそう口にした。
「春江ちゃんは本当に詳しいわね」
その言葉に三松先輩は頷いた。
「瑞穂、タラヨウって?」
俺は思わずそう聞いた。
「えっと、誠君は葉っぱが葉書になるって知ってた?」
「それは分かるが…」
「葉っぱに書く、そう書いて葉書だよね?」
言われてみればそうだ。
「タラヨウっていうのは表面を傷つけることさえできれば、ペンを使わず字が書けるから、葉の書、葉書の語源になったとされる植物よ」
「そんなものを栞に使いますか…」
俺は予想以上の瑞穂の植物への知識に驚きつつ、三松先輩に目を向けた。
「そのタラヨウというのは小さかったのよね…。勿論、送って下さった方にとっては失礼なのでしょうけど」
三松先輩は悪びれもせずにそういう。
「それで何の本に挟まっているんですか?」
急かす様に林檎は聞いた。十中八九早く動きたいのだろう。
「それが、タイトルまでは分からなくて…」
「どんな本なんですか?」
「レポートで使った本だから、中国文学関連であるとは思うのだけど…」
「分かりました。お任せ下さい先輩!」
「先輩って言われるのが何だか懐かしいわね。ありがとう」
「いえいえ」
「本当は私が行かなくてはならないのに…」
「そんな、お気になさらないで下さい」
「ありがとう。こんな足でなかったらあなた達に迷惑を掛けずに済んだのにね」
「足がお悪いのですか?」
「先月階段から落ちてしまってね…」
「それで私達…というか瑞穂に?」
「巻き込むのは忍びない…って思ってはいたのだけど、どうしても見つけておきたくてね…」
三松先輩は悲しそうな顔を見せた。
「それで今日はこんなに早く呼び出されたわけかい?」
幸雄はあくびをしながらそう言った。
日付は変わって翌日、時刻は午前八時半。一限目すらまだ始まっていない。
昨日三松先輩の家を出た直後に、この時間に集まる事に決めた。
まだ図書館棟まではもう少し歩かなくてはならない。歩きながら俺は昨日結局合流出来なかった幸雄に説明していた。
「ああ、物を探すなら人のいない時間の方がいいだろ? 幸い学校というのは授業時間外というのはなかなか人がいない。そして夕方放課後より、授業前の朝の方がいない」
「それは道理だとは思うけど、簡単に見つかるかい?」
「中国文学関連という大雑把な話だから難しいだろうな」
「いや、それもあるんだけど…」
「ん?」
「卒論って、遅くとも一月には提出するものだよね? ということは半年どころか十ヵ月以上前になる筈なんだけど…」
「あ…」
「ということは、他に誰かが読んだり借りたりされてると思うし、普通に考えたらもう気付かれてて抜かれて、最悪捨てられている可能性だってあるよ?」
言われるまで全く気付かなかった。
「ああ…、どうしたもんか…」
ただでさえ中国文学の蔵書は多かった筈だ。かなり時間が掛かると予想はしていたが、その上にない可能性も出てくるとは…。
「とりあえず、今言ったことは林檎には黙っていようか…」
「そうだね…」
もう図書館棟が見えてきていたが、なんだか気が重くなってきた。
俺は溜め息をつきつつ図書館に向けて歩き続けた。
図書館の入り口で林檎と瑞穂に合流した。
思いっきりやる気に溢れている林檎を見た瞬間に更に気が重くなったが、もうここまで来てしまっていたので、もう諦めるしかないだろう。
館内は狙い通り人がほとんどいない。受付の司書さんか、新聞のコーナーで今日の朝刊を確認している学生が数人いる程度だ。
いずれも一階部分で、専門書が中心に置かれている二階は人気がしない。
そんな二階部分に中国文学関連の本があるので、階段を登りコーナーに向かう。
「結構な量ね」
着いた瞬間に林檎はそんな声を上げた。
どうせ林檎は以前俺が勉強を教えてやった時くらいしか図書館を利用していないのだろう。
「やっぱり多いね…」
俺の隣で幸雄がそう呟く。
「でも手分けすれば案外早くいけそうじゃない?」
と、幸雄の言葉に瑞穂が反応する。
大体二十メートルの棚が二列ある。一人辺り十メートル担当すれば確かに効率はいいだろう。しかし一つに棚でも六段に分けられていることや、所せましと並べられている本のことまで考慮すれば、それでもかなりの時間を掛けることになるだろう。
全員途中で授業を挟む事を考慮すれば、今日中に全て確認するのは不可能だろう。
いや、林檎なら講義を自主休講してまでしそうではあるが…。
「そうしましょうか」
林檎が瑞穂の言葉に頷く。
確かにそれが一番楽そうではある、俺も特に反対することはしなかった。
パッと場所を割り振り、作業を開始した。
二限目の授業を終え、昼休みに入った頃、俺は購買で菓子パンとミルクティーを口に入れながら、再び図書館棟を目指していた。
勿論行儀の良いことではないのは分かっていたが、一限目の終わりを告げるチャイムが図書館内に響いた時になっても全然進まなかったというペースを考えれば、少しでも早く図書館に向かいたかったからだ。
そんな中、俺は後ろから声を掛けられた。
「おーい、誠」
ふと、足を止め振り返ると、友人の木田翼がいた。
「こんなところにいるなんて珍しいな。また勉強か?」
そういえば、以前林檎に勉強を教えた時にコイツからノートを見せてもらったな。
そんな事を頭の片隅で思い出しつつ、俺は食べていたパンをサッと飲み込むと、言葉を紡いだ。
「その延線上だな」
「なんか適当な事言ってないか?」
そんなつもりはないが、とりあえず翼に事情を説明した。
「相変わらず面白そうな事してるな…」
と、だけ感想を漏らされた。
「面白いと言えるのは恐らくお前だけだ。じゃあな」
それだけ言うと、俺は背中を向けて再び歩き出す。
「ちょっと待てよ」
翼はすぐ後ろを歩いてくる。
「悪いが、あんまり時間はないんだ。出来れば今日中に作業終わらせたいからな」
「手伝ってやるって言いたかったんだよ」
そこで俺は耳を疑った。
「お前熱でもあるのか?」
「なんでだよ」
「お前からそんなことを聞く日が来るなんて…」
「失礼だな…」
そんな言い合いをしながら図書館棟に入り、二階まで上り見飽きたコーナーまで戻る。
「食事でも行ったか?」
何故か誰もいなかった。林檎は予想通り自主休講をし、幸雄もこっちの方が面白そうだからと言って自主休講をしていた。
授業出ている俺よりはきっと進んでいるだろうから、ご飯を食べるくらいの余裕はあるのだろう。
「なんだ女子いねえのかよ」
と、翼は呟いた。
「お前の狙いはそれか」
「まあな。と言っても滅多に人の来ない図書館二階で人と会えるなんて思ってなかったけどな」
「滅多に人の来ない?」
「お前実はあんまり図書館使わないだろ? 図書館の二階ってテスト前か卒論書くときにくらいしか使われないって結構有名だぞ?」
「そうなのか」
確かに柊の事を調べた時も他に人がいなかった気がする。
「あ…」
そこで俺は少し不自然なことに気付いた。
「どうした?」
翼にも声を掛けられるが、とあることに気を取られていた。
少し待ってると、瑞穂が階段を上がってきた。
「そちらは?」
瑞穂は翼に気付くと、会釈をしてからそう聞いてきた。
「木田翼です。宜しく」
翼は自分で名乗り、俺も、
「俺の友達だ。ちょっと手伝ってもらってた」
と、簡単に説明した。
「春江瑞穂です。宜しくお願いします」
翼の名乗りに対し、頭を下げてから、俺を見た。
「で、そっちはどう?」
その問いには俺は一息入れてから答えた。
「見つかったよ」
「え?」
「だから、見つかったよ」
俺は上着のポケットから黒染まった葉っぱを取り出した。
見つけた直後は正直不安だったが、タラヨウの葉っぱはしばらく放置していれば黒くなるということを昨日柊を調べた図鑑でそういう記述を呼んだので間違いないだろう。
文字すら分からなくなっているのは残念だが。
「そうなんだ…」
「で、何が目的だったんだ?」
「え?」
「そういえば昨日見たんだよな。一階の本を棚の前で少し読んでいる瑞穂の姿を」
「あ…」
「まさか孔子とは予想外だったよ」
「それだけで分かるってやっぱり誠君はすごいなあ…」
「で、もう一回聞くがなんであそこだったんだ?」
「ここを全部探してなかったら、林檎ちゃんは全て本を調べるってきっというでしょ?」
「だろうな」
「それで、図書館にどこにどの本があるか知ってほしかったの。期末テストやレポートに便利でしょ?」
「それはそうだな」
「勿論二人…いえ、三人には迷惑かけてしまったのは申し訳ないけど…」
「どこから仕掛けてたんだ?」
「仕掛けたというか、思いついたのは三松さんから話を聞いてからよ? 知ってる? 柊の花言葉は先見の明なの。それで、そう考えた時にこの事を思いついたの」
「じゃあこの葉っぱは偽物…?」
「いいえ。孔子から見つけたのならば間違いないわ。このあいだ苦労して探しだしたもの」
「このあいだ?」
「ええ。昨日は確認のために覗いただけよ」
「なるほど」
「でも、失敗だったな…」
「もう一回隠すか?」
「いえ、それはいいわ」
「いいのか?」
「他の方法を考えるわ」
「じゃあ林檎と幸雄を呼ぶか」
「そうね」
ほどなくして林檎と幸雄が合流し、見つかったことを話した。
林檎は、
「悔しい…」
と、漏らしていたが俺は勝負になっていたことをここで初めて知った。
そして放課後に林檎と瑞穂が三松先輩の所へ持って行った。
きっと自らの手柄の様に話すのだろう。
別に気にすることはない。俺は夕暮れに染まる街を駅まで歩いていた。
すぐ後ろには黙りこんでいる翼がいた。
正直不気味だった。そう思うのも限界で、思わず振り返ると翼は深刻そう顔をしていた。
「どうした?」
思わずそう声を掛ける。
「いや、お前ら随分楽しそうだったな…って思ってさ」
「それで?」
思わず俺は顔をしかめる。それがどうして深刻な顔に繋がるのか。
「単純に羨ましいなって思ってさ」
「……」
確かになんだかんだ言って楽しいのは認めるが、目の前にいる翼の言わんとすることがいまいち分からなかった。
「なあ」
「なんだ?」
「俺も仲間に入れてくれよ」
「……、はぁ!?」
俺は一瞬何を言われたか分からず、理解出来た瞬間には思わず大声を上げていた。
「ダメか?」
「いや、俺の一存ではなんとも…。ひとまず林檎に聞いてみるが…」
「そうか。ありがとう」
「期待はするなよ?」
俺はそう言って真顔で礼をいう翼を止めた。正直林檎がなんて言うのか予想出来ない。
図書館で顔は合わせたし、協力してもらったと説明はしたから顔と名前は多分覚えてはいると思うが…。
そう考えた矢先、俺は交差点に入った。
信号は青だ。
だが、次の瞬間に俺はすぐそばで甲高いブレーキ音を聞いた。
ちょっと中途半端なタイミングで終わらせてしまいましたが、どうかご了承ください。
次の更新は間に別の作品を挟むため、少し空いてしまうと思います。