友達のために
3.友達のために
『慣れる』という行為は時には己に仇となる行為である…というのは俺の持論だ。
俺こと小浜誠は慣れてきたら油断というものが発生するだろうという可能性があると踏んで、駒の配置が時間と共に不利になっていく様子を見ながらそんなことを考えていた。
チェス盤を挟んで反対側に座る八島幸雄は普段通りニコニコと笑いながら次に俺が打つ手を今か今かと待ちわびていた。
ここはポーンか、いやルークか…。既にクイーンは失策で失っている以上戦力はもう絶望的だ。
ここは…ルークだ。
俺はルークを震える右手で動かして幸雄のナイトを奪う。
ここで俺は一息つこうかと思ったが、次の瞬間に絶望した。
「それ囮だったのに。乗ってくれるなんて…」
「え?」
「はい、チェックメイト」
今しがたナイトを倒し武勲を立てたルークはクイーンの餌食になり、そしてクイーンの矛先はキングになっていた。もう逃げ場はなかった。
数分しても俺は燃え尽きたようにその場から動けなかった。
自宅からチェス一式を持ってきたという幸雄は手慣れた手つきで片づけを終えていた。
「いや、警戒されてると思ったんだけどね…」
幸雄はそんな感想を漏らしていた。どうやら油断していたのは俺だったみたいだ。慣れてもいないのに…。
更に沈みかけた俺はふと近づいてきた人影に気付いた。
「林檎?」
そこにいたのは、俺達のリーダー的存在の敦賀林檎だった。
「やあ林檎さん。良かったらチェスでもどう?」
幸雄はそうやって現れた林檎に声を掛けた。
「せっかくだけど、遠慮しておくわ。急いでるし、そっちも今片付けたみたいだし」
「急いでるようには見えないけどな」
俺は林檎の言葉に疑問を抱き、そう口にした。
「そうね。若干語弊があったのかもしれないわね」
「なんなんだ?」
俺が返答を更に不審に思い更に追求すると返ってきたのは思いがけない言葉だった。
「瑞穂を見てない?」
林檎の口から出た名前は春江瑞穂。大抵俺達と一緒に行動している学生だ。言われてみれば今日は姿を見ていなかった。いつもなら昼休みには見るのだが。
「見てないが今日は一緒に登校してないのか?」
林檎と瑞穂は同じマンションで下宿していて部屋も隣同士だ。故に一緒に登校している事が多い。
「朝は一緒だったけど、昼から全く見ていないのよ」
「連絡ならメールや電話とかしてみればいいんじゃないの?」
幸雄がそう言うが、林檎は黙って首を振った。
「通じないのよ…」
「もしかして喧嘩でもしたのか?」
俺がそう疑うと何故か溜息をつかれた。
「子供じゃないんだからそんなことするわけないじゃない…」
子供っぽいやつがどの口がそれを言うと内心で思ったが、そこは黙り通した。
「というわけで、探すの手伝いなさい」
どうやらいつものパターンとなることだけは理解した。
俺は林檎と幸雄と別れた後、大学構内を歩きながらここ数か月の俺達の活動を記録し続けている小さなノートを読み返していた。
よくよく考えれば林檎がいなければ瑞穂と長時間話したことがないように思う。数か月友人として接していてもあまりわからないことも多々思いつく。
春江瑞穂という学生はおとなしくて真面目で、部屋が隣同士ということがなければ、林檎とは合わないようにすら感じる。
しかし、部屋が隣でも全く関わらないこともあるという。まあ孤独死というものが多くあることを鑑みればそういう事が多い事を証明しているわけだが、何故林檎と瑞穂はあれほど仲良くなったのだろうか?
どうも予想出来ない。
まあ今はそこを考えても仕方ない。ただ、考えなきゃ瑞穂の居場所が分からないのも事実といえば事実だ。だが、考えるための材料もない。
「どうしたものかな…?」
一番居場所を分かりそうなのは林檎であると思うが、林檎でも分からないから俺達にも手伝わせているようだった。
以前林檎から俺は考察が得意だと言われたことがあるが、それは考える材料があって初めて成立するものであって、今は打つ手が全く思いつかない。
とりあえず、林檎は一度部屋に戻り、幸雄は食堂や購買、図書館を見てくると言っていた。じゃあ俺はどこを探すべきか。
「駅前の商店街でも探してみるか」
以前林檎が食材等の買い物は駅前ですると言っていたからだ。瑞穂もそうなのかは分からないが、他に思いつく場所はないし、行ってみるのもありだろう。
そう結論づけて俺は校門を抜けて駅前に向かった。
十分もあれば着ける所だったがすれ違う人の顔を意識しながら歩いていたら、かなり長い時間を掛けてしまった気がした。
それ故になんだか疲れてしまった。
商店街の中のベンチに腰掛けて休憩しようとしたら突然背後から声を掛けられた。
「随分疲れてるみたいね」
「瑞穂…?」
そこにいたのは探していた春江瑞穂だった。
「どうしたの? 幽霊を見たような顔をしているよ?」
俺は一体どんな顔をしているのだろうかとちょっと考えつつ話を続けた。
「ああ、実は林檎から瑞穂を探してくるように言われてな」
「林檎ちゃんが? 何の用事で?」
「……」
そういえばいつものことと諦めていたせいで、そのまま出てきたが、肝心の要件を聞くのを忘れていた。
「聞いてないのね?」
「すまない…」
「林檎ちゃんも林檎ちゃんで用事があるなら携帯で連絡してくれればいいのに…」
「なんか連絡が通じないって言ってたが…」
「へ?」
瑞穂はあわててバックから携帯電話を取り出した。そして顔を青くした。
「電源がなくなってた…」
そう言っていくらボタンを押しても画面が真っ暗のままの携帯電話を俺に示した。連絡が通じなかった理由はこれ以上ないくらいよく分かった。
「じゃあ俺から連絡するぞ?」
「どうしようかな…」
「何か問題でもあるのか?」
「うーん…。問題というわけではないんだけど、ちょっと私お買いものが残っていて…」
「ほう?」
「火急ならすぐ行かなきゃいけないでしょ?」
「林檎に限って多分火急ということはないだろうが、仮にそうならその方がいいよな」
「お買い物もちょっと急ぎたくて…」
「買い物にはどれくらい掛かるんだ?」
「十五分貰えれば終わるかしら…」
「それくらいなら大丈夫だろ」
「そうかしら?」
「林檎はもう三十分以上は探しているだろうし、もう三十分くらいは大丈夫だと思うけど?」
「それって一時間待たせるのと同じじゃないかしら…?」
「で、どうするんだ?」
ちょっと強引な俺の考えに瑞穂はもう一回唸ってから、頷いた。
「そうね。そうさせてもらうね」
「そうか」
「で、申し訳ないけど、誠君ちょっと付き合ってくれる? 今の私じゃ林檎ちゃんに連絡とれないから…」
「分かった」
「ありがとう」
「で、何を買うんだ?」
俺と瑞穂は歩き始めながら、そう聞いた。
「実は私と林檎ちゃんで賭け事をしていたの」
「どんな?」
「今日返却された小テストの点数で」
「普通に考えたら瑞穂が勝つんじゃないのか?」
「林檎ちゃんには悪いけど、私もそう思っていた。けど、林檎ちゃん頑張っていたのね。二点差で負けちゃった」
「それで何か奢らせられていると?」
「それは違うわ。どっちかというとお詫びね。下に見ていたことへの」
あの林檎が小テストを頑張っていたのは俺もちょっと意外だった。珍しいというしかないが、以前俺が勉強をちょっと教えた時もやる気さえ出せばしっかりやっていた。今回はやる気があったのだろう。その理由はさすがに分からないが。
「事情は理解した。で、何を買うんだ?」
「ケーキかな。林檎ちゃん甘いもの好きだし」
「じゃあケーキ屋か」
数分でケーキ屋に着いた。
店内に入り、目の前に現れたショーケースの中を瑞穂は眺めつつ横目で俺を見た。
「そういえば幸雄君も私を探しているの?」
「ああ」
「じゃあせっかくだし、ホールを買ってみんなで食べる?」
「いいのか?」
「私は大丈夫だよ。林檎ちゃんだって実は結構寂しがり屋だから歓迎するだろうし…」
それには俺も薄々感づいていた。
「じゃあ俺にも幾らか出させてくれ」
「全額じゃないのね…」
瑞穂は俺の言葉に溜息をついてから、一つのチョコレートケーキを指さした。
「じゃあこれね」
「チョコレートケーキか」
「うん。林檎ちゃんはチョコが好きなんだよ」
「林檎のことをよく分かってるんだな」
「当然よ。だって私達は親友なんだから」
そう言って瑞穂は微笑んだ。
二人で割り勘で払い店を出た所で、俺は林檎に電話を掛けた。さして待つこともなく林檎は電話に出た。
「瑞穂を見つけた」
『本当に? 今何処なの!?』
「商店街だ。今マンションまで送っている」
『無事なんでしょうね?』
「いや大袈裟だろ…。単に携帯の電池切れていたのに気付かずに買い物していただけみたいだ」
『そう…分かったわ』
「というわけでマンションで待っててくれ。あ、幸雄も呼んでおいてくれ」
『分かったわ』
それで通話は終わり、俺と瑞穂はマンションを目指した。
「本当に心配したんだから!!」
林檎の部屋のチャイムで鳴らした瞬間にドアが強く開け放たれ、林檎が飛び出してきた。
「林檎ちゃん…?」
「昼休みに急にいなくなって、連絡もつかなくて…」
「ご、ごめんね。私携帯触ってなかったから、電池なくなっていたこと気付かなくて…」
「前々から電池残量には気をつけなさいって言ってたじゃない」
「次から気をつけるって…」
なんか終わる気配を見せなったので、ここで俺は口を挟んだ。
「いいから入れてくれよ。瑞穂はお前のために買い物をしてきたんだぜ?」
「どういう事?」
「睨まなくてもすぐ分かるって…」
納得しているわけではないだろうが、俺達を室内に入れた。
中には既に幸雄がいた。幸雄は瑞穂の顔を見るといつものように笑った。
「行方不明って聞いた時は驚いたけど、無事でなによりだよ」
いつ行方不明なんて言葉が出た? 俺は内心で突っ込んだが、瑞穂はただすまなさそうに手を合わせた。
「迷惑を掛けてごめんね」
「いや、大丈夫だよ」
瑞穂はそれを聞いて笑顔を見せると、部屋の真ん中に置いてある机にケーキを置いた。
「これは?」
瑞穂のそばに座った林檎は机の上に置かれたケーキを見つつ、そう言った。
「今日返ってきた試験、私負けてたでしょ?」
「まさかあんな賭けを真に受けてたの?」
「それもあるけど、私は絶対負けないって思っていたから、林檎ちゃんを下に見ていたから。…そのお詫びにね」
「そんなの気にしなくて良かったのに…」
「友人は対等であるべきなでしょ?」
「…。あんたも結構バカね…」
「あなたと親友だからね」
二人はそう言って笑い合っていた。
林檎は俺達のリーダー格であっても、みんな対等である。
瑞穂は俺にそれを教えてくれていた。きっとそれは本人にとっては無意識だろう。
それでも俺には十分だった。
これでキャラ紹介を兼ねたストーリー終えました。
正直ここまでが序章であったと思います。
次からが本格始動です。
ですが、別の短編を挟む予定のため、少々お時間を頂戴いたします。