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教授のオフィス

9.教授のオフィス


四階は他の号館とほとんど変わらなかった。

強いていうなら教室ほど部屋の大きさはいらないためか、一つ一つの部屋の大きさはだいぶ小さく見える。

また、一般教室棟と違って生徒が皆無と言っていいほど姿が見えず、必要以上に静かなのも大きな相違点であると言える。

エレベーターホールのそばにある地図で、件の九頭教授の部屋を確認し、廊下を進む。

人気のない廊下なのに、そこに漂う何物にも例えられない緊張感に正直俺は物怖じしていた。

適当に並んでいるのに誰も口を開かないため、コツコツという靴の音だけが響いていく。

きっと他のメンバーも緊張感に包まれて閉口せざるをえないのかもしれない。

何か緊張を和らげるものはないのか。

俺はさすがにキョロキョロするのは憚れたため、歩きながら横目に辺りを簡単に見渡した。するとどうだろうか、廊下には先生のオフィスが多数存在しているが、それらは四限直後だからか、廊下の両サイドにある部屋はドアから全く明かりが漏れていない。

こんな時間は先生がいないんだな。

未だ緊張感から脱出出来ていない俺は心の中でそう呟いた。

結局の所、先生が今は少ないという事以外何にも発見出来なかったので、到底この緊張感から脱するのは困難だろう。

まあ先生が少ないのなら今から向かう部屋の主が在室していないことを願うことしかきっと出来ないのだろう。

やがて、指定された部屋の前に到着した。

他の部屋と違って明かりが漏れている。

明かりが漏れた扉を眺めたまま全員動けなくなってしまっていたので、埒があかなかったので、俺は息を飲みながらドアをノックした。

ノック直後は沈黙がその場を支配したが、数秒待ったら奥から、

「先生なら不在ですよ」

と聞き覚えのある声が返ってきた。九頭先生がいないことに少し安堵しつつ、返答する。

「一回生の小浜誠です。三国渚先輩にこちらまで来るように言われたのですが、先輩はいらっしゃいますか?」

十中八九今まさに扉の向こうにいるのが件の三国先輩なのであろうが、まあ一応しっかり三国先輩の名前を出しておく。仮に間違っていたら大変でもあるからだ。

すると扉が開き、その隙間から三国先輩が顔を出した。

「なんだ。キミ達か。思ったより遅かったじゃないか」

「ええ、先生ばかり使う号館なんて来たことなかったので…」

かなり緊張していたなんていうのはさすがに口に出せず、語尾を濁したが三国先輩は何か納得したようだった。

「なんかここに指定してなんか悪かったね」

「いえ、大丈夫です」

「そう? まあとりあえず入って」

そういうと、三国先輩は扉を大きく開いた。

「失礼します」

それぞれそれだけ告げると、三国先輩について中へと進んだ。

そこにあったのは、一般の教室の半分にも満たない大きさの部屋に、中心に正方形の机と壁の両サイド全体に設置してある本棚とそこに隙間なく置かれてあるファイルやら本やらの大量の資料。

そして窓際に設置されているデスクとその上に埋め尽くされているパソコンと関連機器。

これが噂に聞く研究室なのか。

俺はまじまじと部屋全体を見つめつつ、そんな風に考えた。

俺達一回生は三回生以上が入る研究授業、いわゆるゼミとは無関係であるからほとんどこんな研究室とは無縁なのだ。

稀に授業で分からない所があった人が授業外に質問をする場合に訪ねたり、授業を欠席した人が配布物をもらいに来たり、あるいは単位が危うかったり、何か問題を起こしたりして呼び出されることが無い限りは、であるが。

俺は実際無縁だ。質問がある場合でも、授業の前後に教室でするようにしている。

「まあ、適当に座って」

物珍しげに見ていた俺に向かって三国先輩はそう言った。

それを聞いた林檎がすぐ近くにあった椅子に座ると、それに倣うように座っていくので、俺も近くにあった椅子に腰かける。

三国先輩は俺が座るのを確認してから、自らは座ることなく立ったまま口を開いた。

「わざわざ来てもらってありがとうね。顔は見たことあってもこうやって話すのは初めての後輩ばかりだから自己紹介させてもらうね。私は三国渚、九頭ゼミの三回生よ。なんか昨日は迷惑掛けたり心配かけたりしちゃったみたいでごめんね」

と、自己紹介ついでに謝罪なんてするものだから、俺は反応に困ったが、先輩に一番近かった林檎がそれに答える。

「交通事故未遂で頭を打たれたということでしたが、大事なくて良かったです。あ、申し遅れました。私は一回生の敦賀林檎です。宜しくお願い致します」

林檎がそう言ったのを皮切りに次々と自己紹介をしていく。

既に自己紹介済みである俺はする必要がないが、俺を勘定に入れなくても実質初対面となる一回生が四人いるのに、一発で覚えられたのであろうか。

自分でも心底どうでもいいことであると思ったが、その点は気になってしまった。

「宜しくね」

四人全員が簡単な自己紹介を終えてから三国先輩はそういうと、少し俺達に背を向けると僅かなスペースながら存在していた流し台とガスコンロを備えたキッチンのようなスペースへ向かって、お茶を入れ始めた。

恐らくこれをしたかったためにここに呼んだのだろうな…と俺は勝手に納得しながら、黙ってそれを見ていた。

林檎、幸雄、瑞穂は少し緊張が和らいだのか、ここにきて談笑を始め、翼は未だ物珍しそうに研究室をキョロキョロと見渡していた。

しばらくしたら人数分のティーカップをおぼんに乗せて、先輩は戻ってきた。

自分の分を受け取ると俺はティーカップに入れられた液体を覗きこむ。

いや、誰がどう見たってそれは紅茶なのだが、なんだろう、いつも飲んでるものよりも香りが違うのが分かる。

「これは教授の趣味なんだけど、いい香りなの。あ、気にせずに飲んでね。いつもゼミ生は勝手に飲んでるし、教授も好きに飲めって仰っているから」

席に座りながら三国先輩は言ったのだが、教授の趣味…という俺達からすれば非常に不穏な言葉が聞こえた瞬間に、俺達全員が固まったからか、先輩は途中からはフォローするようにそう言った。

「これはどこかのブランドものですか?」

一口飲んだ幸雄がそう尋ねた。

「んー…。実はウチもよく知らないの。正しく言えばウチだけでなくゼミ生全員が知らない…というか分からないんだけど…」

「分からない…ですか?」

何故か不思議な言い回しをする先輩に、瑞穂が反復するように聞いた。

「そう分からないの。一応毎度毎度教授に聞いてはいるんだけど結局教えてくれないの。こんなに美味しいお茶なんだから多分ウチみたいな苦学生が軽々しく手を出せるようなシナモノではないのは予想出来るんだけど、それでも気になるのよね…」

「教授にご教授頂けないなんてことなんてあるんすね…」

「……」

自ら加わりたいとか言ってた癖に、慣れないメンバーのためかあまり会話していなかった翼がそういうと、急に空気が重くなったのを感じた。

そして空気と連動するように机上には沈黙で埋め尽くされた。

俺は周りに気付かれぬように翼を睨んだが、当の翼は恥ずかしそうに顔を真っ赤にして俯いていた。

この場をなんとかしたかったが、紅茶まで冷えるような勢いで凍てついたこの場をなんとか出来るような技量なんて俺は持ち合わせていない。

だが。

「ははははははははははははははははははっ…」

と笑い声が突然研究室に轟いた。

みんな声のした方に顔を向けると、パソコンがあった所に一人の男性がいた。

いつからそこにいたのか、さっき見た時は人影なんてなかった筈だ。

「あれ? 先輩、起きてたんですね」

声の主に気付いた三国先輩がそう声を掛けた。

「そりゃ、椅子を複数並べて寝てても人の声が聞こえてきたら気付くわ」

なるほど、椅子を並べて寝てたからパソコンやデスクが死角になって見えなかっただけで最初からいたわけか。

「あ、そうなんですか。すみませんお休み中でしたのに…」

三国先輩は申し訳なさそうにうつむいたが、さっきまで寝てたという人は気にするなというように手を振りながら言った。

「いや、突き詰めれば研究サボって寝てた俺の方に非がありそうやし、それに数人の会話くらいで安眠できひんなんてことあらへんから」

そういうと、その人は目線を三国先輩から下らないことを言った張本人たる翼へと移した。

「普段はそんな調子やねんけど、自分のギャグには笑ってしもうたわ。自分あんま見いひん顔やけど、なかなかええセンスしてるやん」

「は、はぁ…」

未だ赤面してる翼はそう言われてもピンと来てない顔だった。

「で、渚、見たところ…というかお前を先輩って呼んでたから後輩なんやの? ゼミ見学? それとも先生から呼び出されたん?」

あんまり反応しなかった翼が面白くなかったのか、先輩は再び三国先輩の方に目を向けると、パソコンの前から俺達が座っている机の空いてる席に移動しながらそう聞いた。

三国先輩は再び立ち上がると、先程同様に紅茶の準備をし始めながら答えた。

「それが実は呼び出したのはウチなんです。ちょっとこの後輩経ちに迷惑を掛けてしまったので、そのお詫びに紅茶を振る舞おうかと思いまして」

「振る舞うたって、ガスやら水道やらの設備代は学校持ち、茶葉は先生の個人的なものやろ? それでええんかいな?」

男性は呆れたように言うが、準備しながら三国先輩は反論する。

「仕方ないじゃないですか! ウチは苦学生なんです! そろそろ今月の光熱費の心配をしなくちゃならないので、少なく抑えなくてはならないのです!!」

「自業自得の部分もようさんあるのによう言うわ…」

突然始まった熱弁にも男性は冷静にツッコんだ。

「大体先輩も一人暮らしですよね? なんで毎日毎日そんな余裕でいられるんですか?」

「せめて毎月って言おうや…。まあ、お前さんと違って普段から出費が少ないからな」

「ウチだって好きで出費させてないです!」

「じゃあ、そのドジ直した方がええんちゃうか?」

「それが出来たら苦労してません!!」

俺達一回生は完全に空気のようなっていたが、男性は一つ溜め息をつくと、俺達に顔を向けた。

「聞いてや、渚のやつしょっちゅう持前のドジで色々やらかしててな、毎度弁償やら何やらで散財させてんねん。そういや昨日も大事な資料を汚してくれて、結局コピー代払わされてたな」

「そ、そうなんですか…?」

その昨日云々の出来事は恐らくあれだろう。そういえば自転車の籠から何か零れ落ちていたような気がする。

「あの、すみません…」

俺が適当な相槌を打った直後、瑞穂がおそるおそる声を掛けた。

「ん? なんや?」

「大変失礼ですが、お名前を伺ってもいいですか? あ、申し遅れましたが私は一回生の春江瑞穂と申します」

その言葉に男性はアッという顔になってから、ばつの悪そうに言った。

「こっちももう少し早く名乗れば良かったな。俺は四回生の神明家久や。よろしゅう」

それを聞いた俺や林檎、幸雄にそして翼は自己紹介をする。

ついでなので、俺達がここにいる理由も簡単に説明した。

「そうか、とうとうやってしもうたか…」

事故のあらましまで告げたので、もう諦めたように神明先輩は呟いた。

「勝手に終わった感出さないで下さい!」

丁度そこに紅茶を入れ終えた三国先輩がそばにきて、机に紅茶を置きながら怒鳴った。

しかし、神明先輩はそれを何も聞こえないかのようにスルーして、目の前に置かれたティーカップに手を付けた。

「相変わらず上手いな…。ホンマにどこのもんなんやろな」

と、さっきの俺達が持った疑問を再び話題に上げた。

その直後、研究室のドアが前触れなく開いて、現れた人物にほとんどのメンバーが戸惑う中、その人物は開口した。

「大学生は人から教えてもらうだけではなく、聞いたものヒントに考えるものだといつも言っている筈だがな?」

そう言って厳しい面立ちを浮かべたのは、この研究室の主である九頭龍教授その人であった。

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