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第45話 一つの可能性

 バイト先の酒場へ向かうため、私は小走りに歩いていた。早朝の酒場で何をするのかと言うと、清掃やごみ出しである。上品な地区と違って、下町では客同士の喧嘩など珍しくないので、たまにそんなバイトが入ったりするのだ。荒れた店内に散乱したガラスの破片には注意ですよ!

 別のバイトで知り合った仲の良い子と一緒なので、自然と足は軽くなり、半ばスキップするかのように石畳を軽やかに抜けていく。近道するために、大通りを横切ると、そのお店が目に入った。


 ――黒猫服飾店

 人通りが多い時間帯には、若い女性たちがショーウィンドにまで群がっているので、なかなかじっくり見ることが叶わないのだが、時間帯が時間帯だけに、今日は美しいドレスが目に飛び込んでくる。エメラルドグリーンのシフォンドレスにパールのネックレス、あの組み合わせはくすんだ金色の髪の色の私に一番似合っていた組み合わせだった。

 いいなぁ。


 ティアラさんからは、法外なアルバイト料をもらい驚いている。

「イリーナちゃんには家事をずいぶん手伝ってもらったから」

 これはご褒美よ、と渡されたエメラルドグリーンの髪飾りは手放さずにいたい。


 あれはクリスタルパレスに戻る日のことだ。

「ガラスがキラキラと輝いて綺麗な髪飾りですね」

 まるで宝石のように光を含んでは放つそれをうっとりと眺めていると、ティアラさんはニッコリ笑った。

「それで髪を飾っている姿をまた見せに来て頂戴」

 その言葉の指す意味を考えて、私は深くお辞儀した。

「頑張ります」

 借金を返して、ここに戻っておいでとティアラさんは言外に伝えてくれている。その気持ちに応えたい。


 ちょっと嬉しくて感動していたら、目の前にいる可愛らしい女性はとんでもない爆弾発言を投下した。

「まあ、でも、テオの子供でも孕めば、下手なところには売られないわよお?」

「ぶほっ!!!!!!!!!!」

 親子ですね! あなた方お二人は紛れもなく親子ですね!!!

 その間の取り方といい、油断したところにとんでもない爆弾を落としていくところといい、予想外すぎです!

 っていうか、てててててててテオさんの子供とかいきなり何を言い出す!?


「だって、あの子、王位継承権持ってるしぃ。保護観察処分ってことで、きっとパパが孫のために何とかするはずだしー」

 パパ=王弟殿下ですか!? いや、突っ込みどころそこじゃないですから! 私が吹いた理由もそこじゃありませんから!

「テオさんとはそういう関係じゃなくてですね、あの、その、色々ありましたけど、恋とかそういうのかといわれても良く分からなくて、むしろ私はテオさんになりたかったというか、憧れのようなものというか」

 ちゅーは許してしまいましたが、それ以上とか恥ずかしくて死ねる! と顔を真っ赤にして抗議したら、しょんぼりされてしまう。


 いやいやいやいや、そんな、私、おかしいこと言ってますか? まともだよね? ね?

「それに、万が一テオさんが受け入れてくれるといっても、私はお二人の重荷や足枷になりたくないですから……」

 自分でも何を言っているのか分からないまま必死で首を振ると、ティアラさんは悩ましげなため息をついた。可愛いのに色っぽいとか反則過ぎる。


「重荷に思うかどうかは、イリーナちゃんが決めることじゃないのだけれど……。そうね、腹を据えていない人に強制は出来ないものね。テオと一緒に生きていくことは貴方にとっての足枷にもなるのだから」

 でもね、と彼女は続けた。

「テオはもうイリーナちゃんを選んじゃってて、私も気に入っちゃってるのよ。だから、私が示すことができるのは、ひとつの可能性だけれど、そんな道もあるのだと頭に入れておいて欲しいな」


 あのときもらった髪飾りは大切に引き出しの中にしまっている。

 あのときもらった一つの可能性も一緒に。



「イリーナ、そこ、看板落ちそうだから気をつけてっ」

「もぎゃっ!」

 酒場に入るなり落ちてきた看板を、私は驚異的な身体能力で避けた。

 セーフ! セーフ!

「ナイス回避!」

「ありがとね。言ってくれなかったら頭に直撃だったわ」


 昨日、誰かが暴れたときに放り投げたであろうナイフが看板を支えていた部分に刺さっている。喧嘩自体は途中で駆けつけた第3騎士団員達によって仲裁されたらしいが、この店の惨状ではさぞや店主は嘆いているだろう。

 椅子によじ登ってナイフを引き抜くと、ついでに断面が見えている木片を取り除いてしまう。剥げた部分には分からないように上からペタペタと色粉を塗っておいた。そうやって天井部分から修繕を行い、最後に綺麗にほうきで掃き清めると、なんとか元の姿を取り戻す。


「割れたランプは今日中に取り替えた方がいいねー」

 手を切らないように厚手の手袋をはめたまま、割れたガラスの破片を片付けると、相方はそうだねーと頷き、はっと気づいたように顔を上げた。

「ご、ごめん! あたし昼から第3騎士団候補生の団体戦見に行く予定が入ってた!」

「うそっ! チケット取れたの?」


 現在のクリスタルパレスはもうお祭り騒ぎである。屋台なんかもバンバン出ているし、どこの地方が勝つか賭けを取り仕切っているところまであるくらいだ。何を隠そう昨日の喧嘩も試合の結果に起因するものである。

「それが、キャンセル待ちしていたら偶然当たっちゃって!」

 きゃー! と騒ぐ彼女は嬉しそうだ。いいなー! いいなー! と一緒に騒ぐと、こんなのも買っちゃったのよーと、彼女はこっそりブローチのようなものを見せてくれた。


「これって、騎士団の予備の徽章ガーディアン?」

 確か、カールが流行していると話していたような気がする。はて、騎士団員に彼氏でも出来たのだろうか?

「違うよ。これは偽物イミテーションね。屋台で売っているんだけど、そのうち本物が欲しいなぁ」

 それで団員予備軍の試合を見に行くのか……なるほど。


 すると彼女は「ここだけの話なのだけど」と前置きして、本物を扱っている店もあると教えてくれた。ただし、1個金貨3枚などという庶民には手の届きにくい値段がついているので、こうして偽物を買ったのだと。

 本物って……売ってしまって良いものだろうか? と首をかしげるが、話を聞いてみると意外と可能らしい。


 選抜試験に合格すると、彼らは徽章を二つ渡される。1つは常に身につけておくもの、もう1つは予備だ。徽章は階級が上がるごとに新しいものが支給されるが、その際に身につけていた分は返還しなければならず、なくしてしまった場合はペナルティが課せられた。

 裏を返せば、階級が上がると前の階級の徽章(予備分)は不要となる。最も騎士の多くは記念として残しているらしいが。

「ただ、最近は若い女性が持ち込むことも多いみたいだけど」

 徽章ガーディアンを持つことがステータスになり、多くの女性がねだった結果、今度は数を競うようになってきたのだとか。そうして、徽章の価値が上がれば、それを売る人間も出てくるのは想定の範囲内なのかもしれないけれど。

「世知辛いねぇ」


 一人の人にこれだけ愛されているよっていう証のようなものなのにね。

 私と彼女は顔を見合わせて肩をすくめた。

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