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第44話 金貨千枚

「多分、テオドールはわしに借金の申し込みをしに来ると思う。だが、金は貸せぬ。何故か分かるか?」

 金貨千枚は出せて、金貨3千枚は出せない理由。

「殿下のお金ではないからですか?」

 気まぐれではなく、目的があったのなら、その金貨千枚は必要経費だ。だから、それ以上はよほどの利益が見込めない限り、出すことは出来ない。


「そうだな。財宝に囲まれているように思えても、王族には自由になる金などほんの僅かしかない。なぜならそれらの金は国民からの税だからじゃ。自由になるのは小さな領地で経営している牧場からの収益やティアラの稼ぎくらいでな」

 大貴族には遠く及ばないが、その代わり、納めた税を国のために使ってもらえるという国民からの絶対の信頼が得られる。だから、イリーナ=ブルジョワリッチという一個人のために使うことはできない。それはとても合理的だった。


「私はティアラさんも、テオさんも巻き込むことは考えていません」

 お父様が借金を申し込み、親戚に頭を下げて、あしらわれてきた姿を見てきた。必死だったのだろうと思う。それを否定することは出来ないけれど、私には出来そうもない。

「覚悟していると?」

「テオさんに弱音を吐きましたから」


 出来る限りのことはやろう。それで間に合わなければ、ツケは自分自身で払う。

 もう、二度とテオさんの前には現れませんし、迷惑はかけないようにします、と答えると、殿下は困ったような顔をして言った。

「もっと責められると思っていたのに……なんだか申し訳なくなってくるな」

 いえいえ、こっちこそ『狂った金銭感覚に全力で感謝してる』なんて思ってしまってごめんなさい、などと言いだせず、会釈するだけに留める。


「願わくば、そなたが自由を勝ち取れますように。これは本心じゃよ。今まで、ありがとう」

 最後に、王弟殿下はゆっくりと落ち着いた声で私の自由を祈り、金貨千枚と引き換える手形を渡してくれた。少し古びたそれは、私に達成感というよりも、喪失感を与える。

 こうして私のアルバイトは終わった。

 失ったものは大きかったけれど……得られる物もあったから、これからも頑張ろう。

 なにより、私のために。






 ――なあ。メビウスの輪って知っているか?


 まだ幼かった頃、あの夏の日、そう『ベルナルド』さんは言った。

 聞きなれない単語にきょとんとしていると、また今度見せてやるよと笑う。

 翌日、彼が紙のテープを張り合わせて作ってくれたのは、奇妙にねじれたリングだった。

「なんだか無限大っぽいだろ?」

 表を辿っていれば、いつの間にか裏を辿っている。表と裏が混在していて、よく分からない。

「面白い形ね」


 単純なはずなのに、とても奇妙で、難しい。

 手にとって眺めていると、帽子を深くかぶりなおして『ベルナルド』さんは青い空を見上げた。黒い髪がとても艶やかで、日に焼けた手足によく似合っていると思う。


「……もうすぐクリスタルパレスに帰るのか?」

 言われてからはっと気づいたのだが、すっかりこのままここに残る気になっていた。

「お別れ……したくないな」

 うつむいて呟けば、彼は「このままいたら良い」と、作ったメビウスの輪を私の腕に通した。

「でも、私の家はあそこだから。だから、残れない」


 ふわりと風が吹いた。

 腕にはめられたメビウスの輪を外そうとしてもなかなか外れない。無理矢理外すと千切れてしまいそうで。

「なら、また来い。遊んでやる」

 私が遠慮していたのにもかかわらず、『ベルナルド』さんはメビウスの輪を手で千切って外す。紙でできていたそれはあっけなくもとのテープに戻ってしまった。

「約束?」

「約束」


「また、来るね」

 そう返事すると、「じゃあ、予約」といって頬にキスをされる。

「遠くに離れていても、メビウスの輪の中を歩いているなら、いつかきっと出会える。どっちかが裏面を歩いていても、俺は走って追いつくから」

 そういって彼は、悪戯っ子のような顔で……少し照れたように笑った。



 そういえば、イリーナは知ってるか?

 ――何を?


 メビウスの輪を、さっきと90度ずらして破いたらどうなるか。

 ――90度?


 そう、長く、テープに沿って真ん中で裂くんだ。

 ――輪っかが2個できる?


 その答えに、『ベルナルド』さんは目を輝かせ、ニヤリとする。

「違う。……まあ、いつかやってみろ。驚くから」





 目が覚めた。

 天井を見て、ゆっくり起き上がり、クリスタルパレスのアパートに戻ってきたのだと自分に言い聞かせる。

 グリーンマーメイドでの半月はまるで夢のようだった。昔も、今も、それは変わらない。

「あの、小さなベルナルドさんはテオさんだったんだ」

 頬に手をやる。

 ……昔から変わりないな、テオさんは。

 強引なところも、ちょっと手が早いところも、そして、たまに難しいことを言うところも同じだ。まあ、あの頃は今ほどふてぶてしくなくて、まだ可愛かったけどね!


 第3騎士団選抜試験の候補生達は今、ここ、クリスタルパレスにいる。6グループいる彼らはこれからリーグ(総当たり)戦で、他の地域のチームと試合をすることになっていた。娯楽の少ないこの国では、それを一大イベントとして公開している。ただし、魔力の回復や候補生達の体調を慮って、1日に2試合以上することはないので、1週間以上お祭り騒ぎだ。


 私も何とか南部チームの試合を見に行きたいと思って、会場でのバイトを探したのだけれど、さすがに直前すぎて見つからなかった。

 残念! だけど、皆が一番になると信じてるよ。

 あ、でも、一番になったら第1騎士団のフェルディナント様との試合か。ううっ、心を鬼にして皆を応援する!


 ぐっと背伸びをして、洗いざらしの綿ワンピースに袖を通し、まだ短い髪を櫛で梳かす。

 返済期限まであと半月。王弟殿下からもらった金貨千枚と、これまで私が貯めてきたお金を合わせても、まだ足りない。金貨3千枚なんて、普通に生活しながら貯めるなら通常二十年はかかる金額だ。もう、あんな美味しいバイトなんて無いだろうな。

「でも、だからといって仕事を手抜きする理由にはなりまっせーん。起きて、がんばろー」


 返済期限は刻一刻と近づいているけれど、不思議と怖くなかった。

 ――あと少しだけ、少しだけ。折れるな、腐るな、諦めるなよ

 テオさんの言葉を思い出したら頑張れる気がした。その言葉だけで十分だった。

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