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第42話 遠慮は無用

 テオさんが羨ましい。

 そうやって人の懐に飛びこむ勇気や潔さが羨ましい。

「そう、イリーナ=ブルジョワリッチはベルナルドさんに、きっぱりすっぱり振られてしまいました!」

 わざと明るく口に出してみる。

 けれど、自分で自分を笑うことが出来なくて、唇の端がひくっと下がってしまいそうになった。


 危ない、今日は涙腺が緩み過ぎて、ちょっとした拍子に泣きそうになる。

「ベルナルドさんには、もっと優しくてしっかりした人がふさわしいし、私じゃ幸せにしてあげられないし、むしろこれまで優しくしてくれたことに感謝しないといけないくらいで」

 だから、だから、笑え。

 私の表情筋、頑張れ。

「だから、選抜試験の世話係は最後までキッチリさせていただ…………」


 目を大きく見開いた。

 至近距離にテオさんの整った顔。

 印象的な瞳が閉じられているな、と頭の片隅で考えた直後に、テオさんの唇が自分の唇に重なっていることに気づいた。


 それがキスだということに気が付くまで3秒。

 逃げようとしても頭の後ろをしっかり掴まれてしまって動けない。

 頭の芯がくらくらして、途中で開いたテオさんの鋭い目に射抜かれそうで目を閉じた。


 何がなんだかわからなかった。



「ぷはあああっ!」

 ようやく唇を離してもらった瞬間、思いっきり外の空気を吸い込む。

 いきなり何するんですか! 息できなくて、酸欠になるかと思ったよおおおおお!!

 涙目になってテオさんを睨むと、当人は悪びれた様子も無く、しれっと答えた。

「戻ってきたか? 意識」


「え? さっきのは人工呼吸ですか?」

 むしろ、その人工呼吸のおかげで息が止まるかと思いましたが……と考えていると、目の前の人命救助隊員はきゅっと眉をひそめて「もう1回やってほしいのか?」と顔を近づけてくる。


 ……ひええええええ、やめて下さい。

 心臓がフル稼働したまま勢い余って口から飛び出そうだ。暗いから分からないだろうけれど、顔も真っ赤になってるにちがいない。

 ぐっと後頭部に置いたままの手に力を入れたテオさんを慌てて押し返すと、少し残念そうな顔をされた。でも、本気を出されたら、鍛えているテオさんに適うわけもないのだけれど。


「というか、人がなけなしの元気の欠片を集めて強がっているのに、どうして強制終了なんですか!?」

「変な笑顔を顔に貼り付けるくらいなら、怒ってろ」

 そう言いながら眉間をぐりぐり突くのはどういうつもりなのか良く分からない。ただ、ただ、ちょっと翻弄されている自分が腹立たしかった。

 胸を押さえながら、息を大きく吸って、吐く。もう一度、吸って、吐く。


「俺は、怒ってるお前も好きだから大丈夫」

 息を吸って……吐こうとしたら頭上からテオさんの爆弾発言が投下されて、思わずげほげほと咳き込んでしまった。

「はあ!?」

 なんだかもう、けなすか優しくするかどっちかにしてくれ。怒ってる顔も好きだとか、喜ぶべきか分からん!


 どういう顔をしていいのか分からなくて困っていると、ぎゅっと抱きしめられて余計に困惑する。

「お前は俺のものだって言ったろ? ベルナルドがいたから今まで遠慮してきたが、これからは遠慮しないから覚悟しておけ。」

 そんなこと言ってません!

 そして、遠慮なんてしていたんですか!!? いつ? どこらへんで!? 何を??


「あ、借金返せなくて売られるなら、俺のところにしろ。安心だろ?」

「安心なんてできるかああああああああああ! 絶対に、ぜえええったいに借金返して自由の身になってくれるわーっ!!」

 力の入らない手でポコスカと、テオさんの胸を叩きながら宣言すると、彼はふっと安心したように笑った。

「その勢いだ。せいぜい頑張れ」


 それは……いつもより……甘い笑い方だった。


「まだ頑張れというんですか」

 これまでに見たことのない甘い顔だったから、思わず弱音を吐きそうになってしまう。

 これ以上は危険だ。

 そう判断して離れようとするけれど、離してもらえない。


「あと少しだけ、少しだけ。折れるな、腐るな、諦めるなよ」

 頬に触れた手が温かくて、気持ちがいい。

「だから、声に出して泣いたらいい。不安なのだと叫べばいい。この辺で発散させてしまえ。泣け、今度こそは泣け」

 この前は『俺』の前で泣いてもらえなかったから、その分も泣いてすっきりしろ、とテオさんは私の強張った顔を何度もほぐすように撫でた。


「そんなこと言われても、な……泣ける訳無いじゃない。弱音なんてはけない」

 言葉とは裏腹に声が震える。

「泣いた顔も多分嫌いじゃないだろうから、大丈夫」

 なんですか、それ。

「涙と鼻水でぐしゃぐしゃになるんだからね。絶対変な顔になるからね。テオさん後悔するよ?」


 ぎゅっと服を掴むと、彼は笑いながら「洗濯しろ」と、背中をぽんぽん叩いた。

 そのとたん涙が溢れ……テオさんの胸に顔を押し付けるようにして思いっきり泣いた。


 もうベル様と呼べなくなってしまったこと。

 将来が怖くて怖くてたまらないこと。

 何を支えにしたら良いのか分からなくて、

 何処へ向かえばいいのか分からなくて、

 それでも歩いていかなくちゃいけなくて……

 せっかく仲良くなった選抜メンバーと離れることが寂しくて

 また一人で頑張らないといけないことが辛くて、苦しくて。


 そんな弱音を、テオさんは何も言わずに、一つ、一つ、頷きながら聞いてくれた。

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