第41話 辛いサルサソース
テオさんと夜道を歩いている。この半月ほどの間に、何回一緒に帰っただろうか……。
最初は、あれだ。あの風呂場でドッキリ事件の後、テオさんのビシクレットを奪って逃走し、失敗したあの日。
――夜道を女一人で歩かせるわけにはいかんだろ
その言葉を彼は今でも律儀に守ってくれている。
あの時、私は「誰かに守ってもらわないといけないほど弱くないですよ」と言った。その思いは今でも変わらないけれど、少し方向が変わってきた気がする。なんだろ、抵抗がなくなってきたというか……テオさんが横にいることに慣れてきたというべきなのだろうか。
テオさんは相変わらず口は悪いし、すぐ怒るし、チョップするし、口に肉を突っ込んでくる。正直なところレディとしての扱いは無きに等しい。にもかかわらず、ベルナルドさん同様、彼も優しい人だと思うのは何故だろう?
きっとこれは恋じゃなくて、憧れだと思う。
テオさんのようになりたい。私が持っていないものを全部持っているテオさんが羨ましい。
「あーあ、私も男に生まれたら良かったな」
ぽつりとこぼすとテオさんがこっちを見た。
だって、男だったらベルナルドさんと良い友達でいられたと思うのだ。こんな気持ちを抱えなくても済んだだろうし、もっと役に立てたのではないだろうか。
それに……それに、男だったら、借金返せなくても体を売れなんて言われなかったでしょ? 色気皆無の私には、花街よりも重労働の方が似合ってる。むしろそっちでお願いしたいところだ。
「俺は、イリーナが女で良かったと思う」
私が一つため息をつくと、テオさんはボソッと言った。
「女であることで、怖かったり、辛かったり、悔しい思いをすることがあるもの」
テオさんには分からないよ~と言えば、「それでも、女で良かったと思う」と珍しく言葉を重ねる。興味の無いことなら「そうか」で流すだけなのに。
うーん、女でよかったことなんて、思いつかないや。おしゃれも、可愛いお茶会も無縁だし、好きな人には振り向いてもらえないしね。
道端の小石を蹴ると、岩に当たって、テオさんの足に当たった。
「あー、ごめ……」
「ベルナルドを好きになって、後悔したか?」
謝罪しようとしたら、言葉を被せられて口をつぐむ。
後悔はしていない。
けれど、それを口に出すと、頭の隅に追いやっていた感情が溢れてきそうな気がして、首を横に振った。
今は頭の中を空っぽにしておきたい。そうしないと自分を保てなくなる気がするから。だからそっとしておいて欲しいのに。
「分かりやすい奴」
テオさんは、何かを噛み締めるような顔をして、さっきの店で受け取った紙袋を開ける。鼻をくすぐる美味しそうな匂いがあたりに広がった。よく見ると、しっとりとした小麦のパンに、たっぷりのレタスやベーコンのスライス、白身魚の素揚げ、焼いた豚肉とたまねぎなどが挟まれ、辛そうなソースがかかっている。
みんなの夜食ですか? と首をかしげると、あろうことか目の前の暴君は「食え!」と、いきなり私の口にそれを突っ込んだ。
食えですと? ぎゃあああああ、何をする! 押し込むなああああああ!
辛いよ!! このサルサソースすごく辛いよおおおおお! でもこのピリ辛の風味が美味し……いやいやいやいや、私、今、何も食べたくないんですけどっ!? そういうことになっているんですけどっ!?
予想外の行動に目を白黒させながらも、本能とは悲しいもので、お腹が「ぐぅ」と情けない音を立てる。
は、恥ずかしい!
ソースの辛さのせいか、羞恥心のせいか、うっすらと顔を赤くしたままテオさんを仰ぎ見ると、彼は笑っていた。
「夕飯、まだだったろ?」
音質まで取られては否定することができなくて、仕方なしにテオさんからサンドイッチを受け取って口に入れると、白身魚の素揚げがカリッと小気味良い音を立てる。……美味しい。
もぐもぐと口を動かして飲み込むと、辛いソースで舌がピリッとするが、何とか咀嚼して飲み込んだ。
胸が詰まりそうで、顎もだるくて、無理だと思っていたのに……意外と飲みこめた。
そんな私の頭をテオさんはよしよしと撫でてくれる。
「辛いだろ? でも、美味いよな」
「か……辛くって涙出てきそう」
違う。涙が出てきそうなのは、あの人のことを思い出してしまったからなのだけれど。
「人間な、悲しくて何も食べられないと思っていても、無理矢理口の中に入れたら意外と食えるもんだ。むしろ食え。食えなきゃ、どんどん惨めになって抵抗する気力もなくなる」
大きな手が頭から離れると、頭の隅に追いやっていたことが甦ってくる。
沈む夕日に染まった海。
少しひんやりとした岩場。
さざ波の音。
そして、ベルナルドさんの言葉。
――ごめん。イリーナの気持ちには応えられない
「ベルナルドの態度と、ヴィルが言ってた落し物の話をまとめると……多分そういうことなのかなと思ったんだが」
どういう表情をしていいのか分からないといった様子で、テオさんは「あ、別に何も言わなくていいからな!」と慌てて付け加えた。
本当にずけずけと思ったことを口にするのだなぁ、この人は。
けれど、テオさんなりに気にしてくれていたのだろう。そのことが少し、くすぐったかった。




