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第39話 お腹は空いていますが胸焼けしています

「ヴィルは優しいね」

 何を失くしたのか聞かずにいてくれる。

「さあ、どうかしら?」

 彼は肩をすくめ、「そういえば」と、思い出したかのように手を打った。どうやら、以前4人でやったボードゲームを皆でやっているらしい。頭を切り替えてゲームでもしないかと誘われたのだけれど、どうにも行く気にはなれなくて首を横に振る。


「じゃあ、あたしがテオドールの連勝記録に歯止めをかけないとね」

 そろそろ寒くなってきたから、もう戻りましょう? と手を引っ張られ、素直に後ろに続いた。後ろ髪を引っ張られる思いで振り返ると、彼は前を向いたまま「失くしたものが心配なのは分かるけれど、こんなときには探しに行かない方がいいわ」と勤めて明るい声で言う。


 私は一体何をしているんだろうか……。

 ぼんやりした頭でふわふわと歩くが、地に足がついている感覚がなくて、不思議な気分だった。

 ヴィルは私に告白したとき、そして断られたとき、こんな気持ちだったのだろうか? それとも、もっと違うことを考えたのだろうか。あれから、何もなかったかのように振舞ってくれて、私もそれに甘えていたのだけれど、受け入れてもらえないことがこんなに辛いなら、私は、私はひどい女だ。


 けれど、だからといってヴィルの気持ちに応えることはできない。今もベルナルドさんのことが好きで、忘れることなんて出来ない。そのまま諦め切れなくて苦しむのか、それでも好きになって良かったと甘い傷を抱えて、新しい道を生きていくのか……選ぶにはまだ時間が必要だった。

「ヴィル」

「なあに?」

「失くした物は……私の荷物の中にあるかもしれないから、一人で探してみるね」


 星に吸い込まれそうだった。

 寂しくて、寂しくて……そのくせ一緒にいてくれる手を振り払って……馬鹿みたいに一人になっていく自分に苦笑してしまう。


 そんな私を見て、ヴィルは「見つかったら教えて」と返答しただけだった。



 旅館に足を踏み入れると、少しだけホッとする。そのせいか、自分が空腹だったことにようやく気づいた。けれど、何か用意してもらう気にも、どこかから調達する気もなれなくて、夕飯1食くらい抜いても平気かと思い直す。……お腹がいっぱいになると胸も詰まりそうだったから。


 帳場を抜けて部屋のほうへ向かうと、途中、フレンディ副騎士団長が待っていた。

「あ、ヴィルマー。探しましたよ」

 すっかりくつろいだ格好の責任者は、ほこほこと湯上りの格好でちょいちょいと手を振る。その姿に一瞬ヴィルに緊張が走ったのが伝わってきたが、「行ってきてください」と促せば、すぐに「行ってきます」と返答があった。


 このタイミングで候補生の一人に呼び出しがかかるのは珍しいな……と思いつつ部屋へ戻ろうとすると、私も呼び止められる。

「あー、イリーナさん。すみませんがちょっとお使いをお願いできませんか?」

 大丈夫、護衛は用意しましたからー、という謎の言葉と共に託されたのは1通の書状だった。ここから少し歩いたところにある第3騎士団の詰め所へ持って行って欲しいとのこと。緊急ではなさそうだったが、それなりに急ぐものらしい。


「本来なら私が行くべきなのでしょうが、殿下のこともありますので。それに、試験に関係することなので、候補生の誰かに託すこともできませんから。すみませんねぇ」

 書状にはフレンディ副騎士団長のサインが施され、丁寧に封蝋で閉じられている。確かに、王弟殿下と候補生達を残して留守にするわけにはいかないだろうし、試験に関することであれば公正を期するためにも第三者に託したほうがいい。詰め所への地図を受け取りながら私は頷いた。


 それにしても、用意された護衛って誰だろう?

 ふと頭に思い浮かんだのはベルナルドさんである。うあああ、変な気を回してとかないですよねっ……! 自分の好意が周囲に駄々漏れだった自覚があるだけに、心臓の上を氷塊が滑り落ちたかのように、ギュッと縮まった。

「もうちょっとしたら来ると思いますから、夜空でも眺めながら散歩でもしてきてください」

 イヒヒとでも言い出しそうな悪い顔で、フレンディ副騎士団長は手を振る。


 あー。あああーー! 嫌な予感しかしません。いえ、お仕事なので、この際選り好みしている場合ではないんですけど、心の準備期間が今の私には必要なんですよおおおお。

 そんな私の心の葛藤など知る由もなく、フレンディ副騎士団長とヴィルの姿はいつのまにか消えていた。


 入口付近で書状を手に持ったまま、所在無げに待つ。

 ……短い時間のはずなのに、やたら長いように感じられるのは気のせいではあるまい。


 もう、護衛してもらわなくても良いから出かけてしまおうかと考えたときだった。


「待たせたな」

 予想と違う声が聞こえて、顔を上げると……そこにはラフな格好をしたテオさんが立っている。

「もしかして護衛って?」

 私から地図メモを受け取ったテオさんは、何やら買い物リストのようなものと見比べながら頷いた。


「本当はベルナルドだったんだがな」

 どうやら部屋で行われたボードゲームで、例の強運による一人勝ちを誇ってしまったことで、『私の護衛 兼 夜食の買出し』という名の厄介払いをされてしまったのだそうだ。

 残念だったな、とニヤニヤするテオさんには悪いけれど、正直……ベルナルドさんじゃなくてホッとする。


 小さく、テオさんには分からないくらい小さく、私は息を吐いた。

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