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第36話 砂上の楼閣 *ベルナルド視点

 雑草を抜きながら言おうとして飲み込んだ言葉。

 ――俺は……どうするべきなのだろうか。


 イリーナから降り注ぐように与えられる憧れと尊敬と、好意。そして、依存。辛くて不安で仕方ない現実に負けないように、潰れないように、俺に告白することを目標にして頑張っている姿があまりにも健気だから、俺は答をずっと先延ばしにしてきた。彼女の緊張の糸が途切れないように、俺ができることはそんなことしかないと思っていたのだ。

 それに、素直に好意を寄せられて悪い気がしなかったのも否定はしない。


 けれど、それは本当にイリーナのためになるのだろうか。

 カールという人物の言葉が脳裏に蘇る。

 ――『ベルナルド』さん、彼女は目をふさいで貴方を想うことで泣き出しそうな自分を必死に抑えている。けれど、『アンタ』は彼女の気持ちに応えるつもりはあるのかい? 中途半端なままじゃあ、最後に待っているのはどういうことか分かるだろ。


 たとえ彼女が抱えている問題がクリアできても、クリアできなくても、その先に待っているのは新しいスタート地点だ。

 ――甘やかし、幻想を見せ続けるのは、優しさというよりも、むしろ残酷なことだってある。

 そこに立ったとたん、聡い彼女はきっと気づくだろう。俺のことが好きだという『幻想』に。恋に恋して、そんな自分を幸せだという思い込みに。そんな砂上の楼閣にいるような虚しさは、たとえ俺が彼女の気持ちを受け入れても消えることはあるまい。


 このままでは二人とも前に進めないのだと、そろそろイリーナも気づき始めている頃だろう。

 だから俺は彼女の好意に対する答えを言おうと思う。

 前に進みたいと思う。前に進ませてやりたいとも思う。

 勇気がいる。どんな顔をしていいのか分からなくなる……けれど、この選択が正しいと信じている。




 夕飯までの休憩時間、遊び疲れるどころか卓球にいそしむ選抜メンバーの中にイリーナはいた。

「ちょっと時間、いいか?」

「買出しですか? 何でもどうぞ!」

 ぱあっと顔を輝かせて、雛が親鳥についてくるように彼女はひょこひょこと俺の後を追ってくる。ふわっとシャンプーの良い香りが漂った。


 あたりは夕暮れになり、海を朱色に染め上げている。旅館の外へ出てしまえば、あれほど騒がしかったメンバー達の声も聞こえてこない。さざなみの音にかき消され、代わりに零れ落ちるのは旅館の光。

 ざくざくと小気味良い音を立てて砂浜へ出て振り返ると、イリーナは少し離れた場所で突っ立っていた。

「話がある」

 単刀直入に切り出そうとすると、彼女はビクッと肩を震わせる。


「今日の夕食はバイキングだそうですよ? 遅れたらきっと間に合わないですよ」

 だから、また後にしましょう……と続ける彼女に、それ程時間はかからないと告げると、泣きそうな顔をした。薄々俺が切り出そうとしていることに気づいたのかもしれない。


「イリーナの気持ちに対する返事をしたい」

「嫌です」

 案の定、即答だった。

「言うべきときは今しかないと思っている」

「聞きたくないです。せめて……結果が出るまで、運命の日まで、私の運命が決まる日まで延ばしてもらえませんか?」

 どうして、今そんなことを言い出すのだろうかと、彼女の瞳は必死で訴えかけている。


 心の中には、いつも頑張っている彼女の姿があった。時折彼女から送られてくる手紙には、「大丈夫」「頑張っている」と背伸びしている言葉。その言葉に恥じない言葉を返すことができるように、俺自身も前へ進んできたつもりだし、そんな俺を彼女も支えにしてくれていたことも知っている。

 それでも……。


「聞け」

 大股に彼女に近づき、その肩に手を置いて近くの岩に座らせると、俺もその隣に腰を下ろした。

 こんな華奢な肩にあんな重い荷物を背負っているのだと思うと切なくなる。


 たまに震えて眠れなくなることがあると言っていた。そんなことを微塵も感じさせない彼女の明るさは、ある意味大したものだと思う。現実から目を背けて、蓋をして、その上に築かれた笑顔であっても、すごいと思う。そうせざるを得ないほど、追い詰めて、追い詰めて……そうして頑張らせた原因の一つは俺だが。

「今まで曖昧にしていて、イリーナには悪いことをした」

「いいえ、いいえ。私は、ベル様を心の支えにしていたからこそ、ここまでやってこれたんです」


 どうかその先は言わないで……イリーナはギュッと俺のシャツを掴んだ。

 イリーナがグリーンマーメイドに来るまでは、俺で良ければいくらでも支えになるつもりだった。

 今も追い詰めるつもりはない。

 けれど、ここに来た彼女を見て、その強さを知った。もう、前を向いても大丈夫だと言いたかった。偽りの感情で自分を無理に動かさなくても大丈夫だし、そんなことをしなくても、支えてくれる手はたくさんあるはずなのだから。

 怖い現実から目をそらすために、俺への気持ちを抱えて目を塞いで、その手に気づくことがどうして出来ようか。


「俺は、イリーナのことが好きだ。だが、それは妹に対するような気持ちであって、恋愛感情じゃない」


 イリーナの瞳に動揺が走るのが見えた。

 俺がイリーナを突き放しても、きっと彼女は立ち直る。

 そうして気づくだろう。本当に好きな人のことを。そして、好いてくれている人のことを。

「ベル様」


 ああ、でも心が痛いな。こんなイリーナの表情を見るのは辛い。

 できるならば、逃げ出したい。

 残酷なことをしている自覚があるからだ。




「ごめん。イリーナの気持ちには応えられない」

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