第31話 女神からの祝福
「もういいか? 反対の手も試着したいんだが」
その言葉に慌てて手を離す。
いま、私、ちょっとときめいてしまったかもしれない。
え……いや、違う。これは日々の訓練の成果に対する素直な賛辞であって、ベル様に対するものとは違うものだ。決して浮気とかそういうものではない! ないのだ! うん!
一人で頷いていると、不審者を見るような目でテオさんがこっちを見ている。
「あ、どぞ。こっちには構わず試着しちゃってください」
どんどんどうぞ~と軽く流そうとしたら、両手で頭を掴まれシェイクされました。
「お前はーっ!」
あがががががががが。そこまで強く振らなくったって、ちゃんと見ます、見ますってば!
くそう、やっぱりさっきのは錯覚だった。認めん。成長しただなんて私は認めんぞ。などと、ガクガクと揺さぶられる脳で誓う。すると、視界の中にオレンジ色の何かが見えた。
「ストップ! ストップ! どうどうどう」
「なんだ?」
いえね、ちょっと懐かしいものを見つけたんですよおおおうおうおう、とテオさんを何とか止めると、オレンジのものに手を伸ばす。
「やっぱりこれ、伯爵家のフェルディナント様モデルのグローブですよ」
今回、貴族で構成される第1騎士団の選抜試験を受けるフェルディナント様は今年一番の期待の新星だ。顔に派手さはないものの、きりっと引き締まった体や恵まれた運動神経、そして控えめで気さくな性格がベル様に通じるものがあると私は思っている。得意武器は長剣。同年代の貴族子息の憧れの的だ。そして、こっそりファンクラブがあることを私は知っている。
そのファンクラブの会報に、このグローブのことが載っていたのを思い出したのだ。
「ん? ああ、そうだな」
あれ? 知っていたんですか?
となると、あっさり答えたテオさんに、とある疑惑がわいてくる。
「まさかテオさん、フェルディナント様のファンクラブ会員?」
「違あああああああああう!」
「こらー! 店内で騒ぐなああああああ!!」
ぎゃあああー、店のおじさんに怒られちゃったじゃないですかああああああ。
「ごめんなさーい!」
テオさんの説明によると、第3騎士団選抜試験南部チームでは、一番の強敵として第一騎士団選抜試験チームのフェルディナント様を研究しているらしい。その過程で例の会報が回ってきたのだとか。
確かに彼が改良したグローブは使いやすい。けれど、あくまで片手剣を握りやすいように改良されているため、拳で戦うには少し邪魔なパーツもあるのだそうだ。
「第一騎士団の他の候補生は、お飾りの坊ちゃんばかりだが、コイツだけは違いそうだ」
血筋だけで言えばテオさんも坊ちゃんの一員なのだろうが、私はテオさんが強くなろうと努力しているのも知っているし、仲良くしようと一応努力しているのも知っている。だから、同じように努力しているフェルディナント様の存在が嬉しいのだろう。
「対戦が楽しみですね。でも、怪我だけはしないで下さいね」
そう言って顔をあげると、厚手のグローブをしたままの手でぽふぽふと頭を撫でられた。撫でられたというか、ドリブルされているバスケットボールの気持ちである。
「テオさん、私はボールじゃ……はうっ」
抗議しようとした瞬間、顔面にグローブが覆いかぶさってきて、続く言葉を遮られた。
鼻打った! 今、鼻打ったよ私! 乙女になんて仕打ちをするんですか!!!
「よし、この赤いのにする。買ってくるからそのまま待ってろよ」
テオさんは、私の顔面からグローブを引き剥がすと、そのまま店主のところにいってしまう。人の頭で掴み心地のテストをするなんてけしからん! 実にけしからん、などと私は憤慨していた。
その真意に気づいたのはお店のおじさんだけ。
「女神の祝福付きかい?」と、ニヤニヤする店のおじさんにテオさんがからかわれていることなど、私は知る由もない。
何はともあれ無事に購入できたので、本来の約束どおり、私はしがない荷物もちとしてテオさんの横を歩いております。
「やっぱり新品のグローブは皮がかたそうですねー」
はめているだけで手が擦り切れそうである。これで盾を持ったり、剣を握ったり、拳で戦ったりするわけだ。逆に考えれば、ここまで厚手のグローブをしないと手を傷めるということは、かなりの負荷が手にかかるということで、それだけの激務なんだな。
「まあ、あっという間に手になじみそうだがな」
フレンディ副騎士団長のモンスターのような攻撃をふと思い出してしまって、遠い目になる。
ああ、あれなら必死で手もグローブになじむわな。
「あの厳しい訓練を体験して、さらに騎士団に配属になったらもっと厳しい訓練が待っているんですよね」
「だな」
打ち身、擦り傷、切り傷……市販の軟膏薬の効能に書いている症状一通り、毎日その身に受けているわけで。そう考えると、どうしてもこう思ってしまう。
「マゾじゃないとやっていけませんね」
ペロッと思ったことが口に出てしまったらしい。
「むしろ俺はサドを極めてやろうか?」
ぎゅーっと頬をつねられたので、「テオさんはまともです、普通です」とあわてて謝った。




