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第27話 エステティシャンと黒 *ヴィルマー視点

「みんな、もっと体力をつけるんだよ。私、頑張ってご飯作るからね!!」

「イリーナ、動かないで」

 いきなりガッツポーズをとった彼女の頭を両手で挟み、ぐいっとその手に持たせた鏡の方へ向けると、彼女は小さく「あ、ごめんなさい」と肩をすくめた。

 一体、今度は何を考えていたのやら。彼女の行動は時折自分の想像の範囲を軽く超えていく。


 くすんだ金色の髪に丁寧にブラシをかけるとイリーナは気持ち良さそうに目を閉じた。細い身体、象牙色の肌、金色の髪、南部ではあまり見ないタイプだ。頬が少し赤くなっているのは日差しのせいだろうか。

 自分といるのに、違うことを考えていた彼女が少しだけ憎たらしくなって、ぐいぐいと頭のツボを押してみる。

「頭が凝ってるわね~」


 わざと凝っているところを少し強めの力で押してみると彼女は涙目になって手をバタバタとさせた。その姿が可愛らしいものだから、力を緩めてあげる。頭の上から首筋へ魔力を流すと、彼女は再びうっとりするような表情をした。

「気持ちイイ……」

 その表情を見てしまって、慌てて彼女の顔を他の野郎から隠す。

 ちょっとエロイわよ。


「な、なに?」

「困った無自覚さんね」

 耳の下をグーで回すようにすると、彼女は面白い顔をしながら抗議したが、そんなことは知ったこっちゃない。ここを刺激するとむくみが取れて小顔になるのよと説明すれば、とたんにキラキラとした笑顔に戻った。


 もう一度、魔力を流していくと、滞っていた彼女の微弱な魔力がすっと流れていった。魔法による回復促進と同じ要領なのだけれど、彼女は気づいていないようだ。しきりに先ほどから素晴らしいエステティシャンの才能だと力説している。

 完全にこれがエステだと思い込んでしまったらしく、あたしが首筋を触っても警戒する様子もない。想いを寄せた女性がこれだけ隙だらけでは、テオドールがやきもきするのも当然のことだろう。


 イリーナはベルナルドが好き。

 テオドールはイリーナが好き。

 一方通行の図を思い浮かべると、つい、笑みがこぼれてしまう。あのテオドールでも上手く行かないことがあるということか。


 ブラシを再度手に取り、ピンでところどころ留めながら髪をまとめる。編みこんだり緩めたり、逆毛を立ててふんわり仕上げれば、イリーナは鏡をみて感嘆した。

「可愛い!」

「後はこれをつければ完成よ」

 ポケットから鈴蘭の細工がついた飾りコームをまとめた髪に飾れば、ビーズで作られたアクセサリーが彼女の頭の上で揺れる。


「以前、ゴキブリで怖い思いをさせてしまったお詫び」

 あのときは真っ黒で大きなゴキブリにカッとなって、彼女の安全よりも先に息の根を止めるよう体が動いてしまった。あの黒くてピカピカ光る虫が嫌いだというのもあるのだが、他にも少し理由はある。それを彼女に明かすつもりはないけれど。


 どうかな? と、顔を覗き込むと「嬉しい! 大好き!」と抱きつかれた。

 もうね、完全に女友達として認識されてるわよね。これ。




 あたりはすっかり暗くなっていた。

 ランプを手に持って、二人で歩く。

 暗闇の中、一人で帰して何かあったら大変だというあたしの申し出に、イリーナは遠慮しつつも同意してくれた。

「ヴィルは凄いね。髪のアレンジ、私じゃこんなに上手くいかないよ」


 ヴィルが触ったときだけイイ子にしてるけど、本当は私がまとめようとすると抵抗するのよ! と彼女は笑う。自分で髪をまとめるのと、他人にやってもらうのとでは違うと思うのだけどね。

 そんな彼女に姉達の話をする。もう家にいないけれど、皆、明るくて、優しい人たちだった。

「あたしは末っ子で、待望の男だったからね、甘やかされて育ったのよ」

「大事にしてくれる素敵な家族なのね」


「そうね」

 月を見上げると、自分の赤い髪が視界に入る。一房つまんで月の光で透かしてみれば、根元が少し黒くなっていた。姉達は全員豊かな赤い髪、けれどあたしは違う。母さん譲りの赤ではない。あいつの、黒。

 また染め直さなきゃね。

「あたし、本当は黒い髪なのよ。でも、黒は嫌い」


 ぽそっと呟くとイリーナは少し驚いたような顔をして、それからあたしの髪を見る。

「……ヴィルには赤がとてもよく似合ってる」

 黒を否定したあたしに対し、彼女は赤を肯定した。


「ありがと。月の光のような金色も好きよ」

 微笑もうとして失敗し、情けない顔を見られたくなくて、ギュッと彼女を腕に抱く。

「ヴィル……!?」

 少しだけこのままでいて欲しいと願えば、彼女は力を緩めてされるがままになっていた。



 思い出すまいと決めていたのに、思い出してしまったのが悔しくて切ない。

 貴族へ『売られてしまった姉達』のことを。


 元々、母さんは侍女として貴族の屋敷で働いていた。だから、主人のお手付きとなったなんてことはよくある話だろう。そして、その貴族は母さんが身ごもったと知るや、正妻に知られる前にさっさと放り出してしまった。それも良くある話だ。けれど、最悪なことにそいつは母さんを囲って愛人とし、通い続けた。


 そうして姉達とあたしが生まれる。

 明るくて優しい姉たちだった。母さんが体を壊して亡くなった後もあたしを養ってくれた。針仕事、水仕事、力仕事、若い娘には辛かったに違いない。けれど、それでも笑顔を絶やさず育ててくれた姉達だったのだ。どうして彼女達が娼婦の真似事をしなければならなかったのか。


 その貴族の主人は大きな借金を背負い、それを娘を売ることで返したのだった。

 馬車で連れ去られる姉達を泣きながら追いかけた記憶。そして、その貴族の髪が黒だった憎い記憶。


 そんな記憶を持つあたしの前に現れたイリーナ=ブルジョワリッチは、まるで姉達と同じような存在だった。

 明るくて、楽しくて……優しい。そして、強くて、弱い。

 彼女を抱く手に力が篭った。

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