番外編1 黒光りする例のアレ
「そういえば、この前更衣室にゴキブリがでたのよねー」
ヴィルが秀麗な顔を少し歪めながら、ため息をついた。イケメンはゴキブリの話をしても麗しいようだ。
「更衣室は私も立ち入れないからなぁ」
タオルや着替えなどの洗濯は一応行っているが、更衣室の前に置いた洗濯籠に入れてもらっているから入室しない。
「奴ら、一匹でたら百匹いると思えというじゃない? あたし、ゴキブリってダメなのよね。カサカサ動くし、飛ぶし、踏んでもなかなか死なないし」
オネエ属性とはいえ、イケメン+勇猛果敢+性格温厚のヴィルにそんな弱点があったとは。まあ、私もあの黒光りしたアイツは好きじゃないけれど。
更衣室には別の部屋を使ってもらうことにして、一度大掃除をしたほうがいいのかなぁ……と考え込んでいると、背中にぞぞぞぞっとなにやら虫が這い回るような感触がした。
「っぎょええええええええええええ!??」
ま、まさかゴキブリッ!?
手がわなわなと震え、あまりの気色悪さに固まっていると、後ろで手箒を持ったテオさんが噴出す。
「ぶはっ! 今度ゴキブリ捕まえたらお前にやるよ」
もしや、さっきの感触は……その手に持ってる箒かあああっ! ていうか、お前はいじめっ子か!!
「もー、テオドール。ゴキブリは見つけ次第、瞬殺! これ鉄則よお」
いやいや、ヴィルさん。そこは私をかばっておこうよ。
心の中で突っ込んでいると、腕を組んで少し考えていたベル様が、「殺虫剤入りの餌でも仕掛けるかな」と呟いた。
「もしや、ベル様もご覧に?」
「ん」
……黒光りの物体め! ベル様の邪魔をするとは言語道断である。まさに万死に値する所業!
「ならば、私、全身全霊全力で一匹残らず退治してやりますっ! 撲滅! おー! おー!」
「無理しないでね」
ヴィルが困ったように笑う。
大丈夫、みんなの更衣室は私が守ります!
というわけで、皆さんに荷物を移動してもらい、更衣室に入ってみたわけなんですが……あの、ここ、数日前まで廃墟みたいなものでしたよね? なのに、どうして棚の後ろやら机の下から食料品がわんかさ出てくるんですか!?
いや、確かに候補生達が持ち込んだ食品もあるのだけれど、どう考えてもミイラと化した果物や、茶色の液体となったよく分からない飲み物が入ったコップは持ち込むはずがない。んー、あれか、近所の子供の秘密基地になってたんだな。
「ぽい! これもぽい!」
異臭を放つ物体やら、粉々の物体をまとめて、くず籠に放り込む。あとで裏庭に穴を掘って埋めておこう。肥料になるかもしれない。
床に膝をついた体勢から勢いよく立ち上がると、くらくらと立ちくらみがした。
あ、ちょっと頑張りすぎたかも。
ぺたりと座り込む。まだぐらぐらする頭を壁にもたれるようにして押し付けると、窓の外から威勢のよい声が風に乗って流れてきた。
あ、壁が冷たくて気持ち良い。ちょっと休憩にしよう。
目を閉じるとお日様の匂いがした。この分だと朝に干した洗濯物も綺麗に乾いているだろう。あとで取り込まないとなぁ……なんてうつらうつら考えていると、慌てるような足音が近づいてきた。
「ん?」
座り込んだまま、部屋の前に現れた足音の人物を確認しようと頭を動かす。しかし、その人物はこちらが認識する前に、目にも止まらぬスピードで剣を抜いて襲い掛かってきた。
「ちょっ!? ええええええええ」
切っ先が視界に入った瞬間、目を閉じる。
私、殺されるほど恨まれることしましたっけえええええ?! っていうか、男性用更衣室で惨殺されるって、ちょっと乙女にとっては不名誉すぎる死に場所じゃないですか!?
貧乏貴族 イリーナ=ブルジョワリッチ ここに死す
縁起でもないフレーズが頭に浮かび、両手で頭を抱えると同時に、金属音が響き渡った。
……。
しかし、いつまでたっても痛みがこない。恐る恐る目を開けると、目の前にいたのは赤い髪のイケメンさんだった。
「ヴィル?」
涙目になって問いかけてみれば、くしゃりと頭を撫でられる。
「怖がらせてごめんね」
何がなんだか良く分からないが、とりあえず頷くと、彼は私の手を引いて外へと連れ出した。
そういえばさ、ヴィルの剣に両手を広げたくらいの大きさの黒い生物が突き刺さってピクピク動いているんですが、あれ、なんですかね?
黒光りしているその生物を穴があくほど眺めていると、それに気づいたヴィルは少し顔をしかめて答をくれた。
「これ、ボスゴキブリよ。毒を持ってて、触れると肌が真っ赤に腫れ上がるから気をつけてね」
通常は奥のほうに住み着いているらしいのだが、大掃除をすると出てくることがあるらしい。南部ではメジャーなので驚く人は少ないが、慣れない私が見たら卒倒するかもしれないと、忠告に来てくれたのだとか。優しいなぁ。
それにしても、これもあいつの仲間ですか。天国にいるお母様、田舎怖いです! 虫がでかいです! 変な方向に進化してるんです!
思わず距離をとろうと手を引っ張るがびくともしない。背が高くて痩身だけれど、ヴィルも騎士候補だから鍛えているんだよなあ……。ん?
「あれ? ヴィル、ゴキブリ苦手なんじゃ?」
そういえばそんな話を聞いたなぁと、朝の記憶を引っ張りだしてみる。
「苦手よ」
彼は剣を地面に突き刺してボスゴキブリを地面に固定すると、剣の柄を握ったまま、ぐっと魔力をこめた。
一瞬、剣が白い輝きに包まれ、続いてその輝きが黒光りするそれに吸い込まれる。すると、まるで砂の城が崩れるかのように、生命体だったものはサラサラと風化して地面に吸収されていった。
過剰回復によって、生命力を使い果たすと生き物はこのようになるのだそうだ。
「ほんとにねー、苦手すぎて、全力で魔力操作の修行積んじゃったわよ」
ふう、と息をついて彼はイイ笑顔でこちらを振り向いた。
ぐりぐりと地面をブーツでえぐり、踏み固めながら。
テオさん! あなたを治療した回復技術はゴキブリ退治のために磨かれたものだったみたいですよ!




