第24話 話は冒頭に戻る
虫の澄んだ声だけが公園に響き渡る。相変わらず消えそうで消えない不安定な街灯は、公園に存在する物の影を揺らした。
私達の影も揺らめいて、涙を拭いつつ、力の抜けたテオさんの腕から私は離れた。
「……帰りますか」
さしたる抵抗もなく、私を手放したテオさんは「そうだな」と頷く。
なぜだか妙にすっきりした気分になっていた。
「ティアラさんに心配かけちゃったかな」
「そんな長い時間じゃない。それに、ベルナルドを送っていったとでも言っておけばいい」
いやいや、その手の怪我はごまかせませんってば。
涼やかな風が頬をなでていく。
「ありがとう……『テオ』さん」
倒れたビシクレットを立たせるテオさんに聞こえないよう、小さく、小さく呟きかける。
彼との関係はゼロに戻そう。
昔の思い出も、先ほどの出来事もゼロにして、ここからやり直そう。
心なしか少し歪んだビシクレットを引っ張りながら、テオさんは前を歩いた。
「もう一回風呂に入りなおしだな……。くそ、傷に染みそうだ」
「その後、もっと染みる消毒が待ってますよ」
想像するだけで痛そうですよと肩をすくめれば、責任とって包帯まで巻けと命令される。
いつもの不遜なテオさんが顔を出したようで思わず笑いそうになった。
「善良な市民を守って負った名誉の負傷ですもんね!」
誰が善良な市民だ! と言われるだろうなと想像しながら口にしてみると、テオさんはくるりとこちらを振り向いて笑った。
「まあな」
――そして、話は冒頭に戻る。
美しい森と湖、なだらかな丘陵、高く澄んだ青空、たなびく雲、ジリジリと焼け付く夏の太陽。木製の手作り柵の内側では、木陰でヤギがのんびりと草を食んでいる。
そんな美しき田舎の町『グリーンマーメイド』では、美しい名前に似合わない野太い声が響いていた。
「健全な魔力はぁぁああぁぁ!」
「健全な肉体に宿おおおおぉぉうおおぉぉぉる!!!」
約20名ほどの屈強な男達。年齢は15歳から19歳までの騎士候補生達だ。候補生といっても侮ることなかれ。周辺地域から選抜された百七十~二百センチの上背と筋骨隆々の肉体を持つ猛者たちである。なかなかに迫力があるではないか……いや、正直ちょっと迫力ありすぎて怖い。
服の上からでも分かるくらいの筋肉を揺らしながら、彼らは円を描いて走っている。そして、私はメガホンを片手に持って、円の内側から叫んでいた。
「魔法はあああぁぁあああぁ!」
「拳で繰り出せええええぇぇぇえええぇぇぇ!!!」
地響きが起こりそうなほど低い声が地の底からわきあがってくるようだ。彼らは騎士見習い(新人)となるべく、この新人試験にやってきている。気合が半端ない。
ふと、首都『クリスタルパレス』の華やかで豪奢な通りを思い出した。可愛いアクセサリーを身につけた女性たちがきゃあきゃあ言いながら買い物をする声を数日前までは聞いていたはずだったのに。
「あと一周うううう!」
「うおおおおおおぉぉぉ!!!」
飛び散る汗。
盛り上がる筋肉。
まるで闘牛の群れが一直線に赤い布に向かって走ってくるようだった。怖い、集団効果まじで怖いです。
「お疲れさまでしたああ! みなさん、飲み物どうぞー」
走りこみの前に作っておいた、レモン汁と砂糖を加えた水を出すと、闘牛の群れが目を血走らせて群がった。やかんを引っつかんで直接口をつける者もいる。
「バージンのやかんはどれだあああ」
「飲み物よこせえええええ」
「よるな! 貴様と間接ちゅーなぞしたくないわああああっ」
阿鼻叫喚。
砂漠に水が染みるが如く飲み干す者共のために、やかんからジョッキに飲み物をついで渡すが間に合わない。
みんな、ベル様を見習えっ! ちゃんと列に並んで飲み物待ってる紳士を見習えええええっ。
そんな気持ちが顔に現れていたのか、ベル様は苦笑しながら、よく響く声で言った。
「お前ら、急に水分取りすぎると身体壊すぞ。少しずつな」
ライバルにも優しいベル様、やっぱり素敵です。惚れ直します。カッコイイです。
「南部のチームはいいですねー」
いつの間にか隣で水分を取っていたフレンディ副騎士団長がニコニコと呟いた。私はまるで自分が褒められたような気分になり、思わず満面の笑みを浮かべてしまう。
「ですよね!」
二次試験の合格者数はキッチリ定められていない。故に、個人の技量を目立たせようとする人も多いのだそうだ。けれど、南部の皆は自分の技量を磨く努力を惜しまない上に仲が良い。漁にしても、畑にしても、協力し合わなければ暮らしていけない土地柄だからだろうか。
それは素敵なことだと思う。だからこそ、私はこの土地が好きだ。
「はいっ、ベル様。飲み物どうぞー」
贔屓するわけには行かないが、代わりにたっぷり愛情をこめて渡す。
「ん、ありがと」
はあん! 大きな手が素敵です。律儀に両手で受け取ってくれるところも素敵です。
一人で身もだえしていたら、後ろに並んでいたテオさんが私の脳天にチョップをかました。本気じゃなかったから痛くはないけれど、「げふん」などという変な声をベル様に聞かれたことのほうが私には痛い。
「イリーナ、俺にも水」
「へい」
不承不承といった態でやかんごと渡すと、両頬をつねられた。
「おい! 俺もベルナルドと同じく炎天下の中訓練しているのに、こーのー扱いの差はなんだ!!!」
「あ……あひのしゃよおおおお(翻訳:愛の差よ)」
テオさんの両腕には包帯が巻かれていた。
南部の選抜メンバーの中でも魔力の扱いに長けたヴィルが治療してくれたおかげで、大分傷口はふさがっている。明日には新しい皮膚ができて、傷跡も見えなくなるだろうと、彼は請合った。ヴィルにはお礼を言わねばなるまい。
実際、その言葉通り、次の日にはテオさんの腕も綺麗に治っていた。
「よかった。ヴィルに感謝だよ」
ホッと胸をなでおろせば、テオさんは治った腕をしばらく見つめてポツリと呟く。
「傷跡くらいなら残っても良かったんだがな」
名誉の負傷だというのならば。
その言い方が意地悪だったので、私は無言でぺちりと彼の腕を叩いた。




