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第23話 急ブレーキの産物

 一体全体どうしてこうなったのか……。

 砂利が皮膚の中に入り込んでいる状態のテオさんの傷口を洗うため、私とテオさんはてくてくと公園に向かって歩いていた。上り坂の丘を上がって自宅に戻るよりは、そちらの方が随分と近いのだという。


「無茶しすぎです」

 あとでビシクレットを回収しなければと思いつつ悪態をついてみれば、彼は「まあ、お前に怪我させたら、あちこちの方面から槍が降ってくるし」と唇を尖らせる。端っこの端っことはいえ、王族だというのに、誰がそんなこと言うのだろうかと考え……そういえば、彼の周りでは対等に扱う人間が多かったな、と思い直した。


 降りたところにあった公園に足を踏み入れると、薄暗い街灯が目に入る。時折点滅するそれは、そろそろ油がなくなりかけているのだろうか。ジジジジ……と音を立てて明かりが揺らめいた。

 中央にある井戸の手押しポンプを両手で掴むと、やんわりとテオさんに止められる。

「俺がやる」

「私がやります!」

 傷口を広げるような真似をしてどうするよ。手を出して待っててください! とビシッと言えば、テオさんは大人しく手を出して待ってくれた。


 言葉はきついときもあるけれど、基本的に素直だし、悪い人ではないんだよなぁ。

 何度かポンプのレバーを動かすと、水をくみ上げる手ごたえに行き当たる。ぐっと力を入れると、くみ上げられた井戸水が勢い良く湧き出した。

 うーん、傷口は早めに洗った方が良いというけれど、これは傷口に染みそうだ。


 直視することができなくて、丘の上を見る。そういえばベル様はどうしたのだろうと目を凝らしてみるが、その姿は見当たらなかった。

 彼も忙しい身だ。もう……帰ってしまったのかもしれない。

 ずきんと痛む心に無理矢理蓋をする。


 まだだ。まだなのだ。


「水、止めろ」

 ふいに、テオさんが私の腕を掴んだ。どうやら傷口の洗浄は済んだらしい。

 そういえば、全く悲鳴もうめき声も聞こえなかったな……そうポツリと漏らせば、彼は言いにくそうに答えた。


「このくらいなんでもない。俺がイリーナにつけた傷に比べれば」

 びしょぬれの腕を振って水滴を落とすテオさんを見て、「素直」「悪人ではない」という評価に「意地っ張り」というタグを付け足しておく。

「私は鈍感だから大丈夫。へこたれなさ過ぎるって言われるから」

 へらりと笑いながらハンカチを取り出すと、なるべく傷に触らないようにそっと水気を押さえるようにして取り除いた。


 ビバ! 雑草魂。

 私のとりえといえば、踏まれてもめげないことくらいだ。まあ、前提条件として踏まれたくないんだけどね!


 それにしても、筋肉がついた硬い腕だなぁと思う。そして、この腕でがっしりと抱きかかえられてしまった感触を思い出し、慌てて頭を振った。思わず唇の感触まで思い出しそうになったからだ。

 ほんと、テオさん色々な意味で手が早くて困る。


 一番傷口がひどい手の部分にハンカチをぐるりと巻いて応急処置を終えると、静かなままの彼を見上げる。

「走れるなら、家に戻ってすぐに消毒してください。そして清潔な包帯を巻いてくださいね」

 魔力を扱うことができるなら、気を巡らせて回復を早めることも出来るだろう。選抜試験中なのだから、手当ては一刻も早く行わなければなるまい。

 だから、どうぞ一人で戻ってくださいと付け加えれば、テオさんは「あのな」と呆れるようにため息交じりの声を出した。

「一応とはいえ、夜道を女一人で歩かせるわけにはいかんだろ」

「私は誰かに守ってもらわないといけないほど弱くないですよ」


 私のせいでテオさんに怪我をさせてしまったこと。

 ベル様に置いていかれたこと。

 テオさんにキスされたこと。

 帰れと言われたこと。

 不安を思い出したこと。

 心が折れそうになったこと。

 初恋の人が……違っていたこと。


 人が溢れそうな感情を心に押し込めて我慢しているというのに、本当にテオさんは空気が読めない人ですね。

 平気な振りして、大丈夫と強がることができるうちに、別れたいのに。

 弱い自分を見られたくない。それを見せてしまえば、相手の中で私は重荷になってしまう。



 さっさと行くように手を振れば、テオさんはきゅっと眉を寄せた。

「まったく……馬鹿野郎が」

 そして、大きな手で後頭部をつかまれ、テオさんの胸板に顔を押し付けられる。

 あああ、またセクハラですよ。そうだ、セクハラですよ、ご主人様、セクハラアアアアアアアアア。


 冷静にそう思う一方で、力を入れて結んでいた口角がどんどん下がってくる。まずい、泣き出してしまうかもしれない。丁度この体勢だと私の顔は見えないという妙な安心感もあって、鉄壁のディフェンスが崩れていくような気がした。

 強く、強く、まるで、心の傷を圧迫して出血を止めようとしているのではないかと思うくらいに押し付けられる。


「お前は、いつか自分が壊れてしまう寸前まで、そうやって強がるつもりか?」

 強がりますとも! 私が弱音を吐くのはベル様にだけなんです。


「“テオドール”ではダメか?」

 答えることができず、息を吸い込んだ私にテオさんは、自嘲するかのように囁いた。



 ベルナルドの前では泣けても、テオドールの前じゃ泣けないのか?

 だったら……ベルナルドでいい。

 今、ここにいる俺はあいつだと思え。お前を追いかけてきたベルナルドだと思え。


 昔、お前が会ったのもテオじゃない、ベルナルドでいい。

 忘れてくれ……



 優しい囁きに、堰が壊れ、涙が溢れた。

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