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第22話 輪は転がっていく

 1歩、テオさんが前へ踏み出す。

 1歩、私は後ろに下がった。

 1歩、テオさんが近づくものだから、反射的に私は全速力で逃げ出す。


「待てコルアアアアアア!!!」

 ちょ! 怖いです怖いです!!

 さっきの出来事が脳裏に浮かんで、心のすり傷がじわじわと疼きだした。テオさんの後ろにベル様の姿を認めるも、私→テオさん→ベル様の順でたどり着かなければならないし、さっきの出来事をベル様に知られたくないし、もおおおー!


 芝生を駆け下りるようにして走る。しかし、相手は騎士見習いというか、化け物のような体力の持ち主だ。どんどんその差が縮まってきてしまう。

 今アナタに会いたくないって、全身で拒絶してるんだよ! 空気読め!

 転がるようにして走って、走って、どんどんスピードが上がっていく。


「なんでなんでなんで追いかけてくるのよ!」

 出て行けと言っておきながら!

 私が嫌いならそれでもいい。けれど、追い討ちまでかける必要があるか!?


 ガクガクと痛みを訴える膝を叱咤して走ると、1人乗り用のビシクレット(自転車のようなもの)が視界に入り、背に腹は変えられぬとばかりに飛び乗った。よし! タイヤに空気入ってるよ。


「おおおい! こんんんの、泥棒ーーーー!」

 わお! テオさんのだったんですね!

 でも、知ったこっちゃないですよおおおおお。

 盗んだビシクレットで走り出したおかげで、縮まっていた差が少しずつ開き始める。ペダルを漕ぐ足に力をこめて一層スピードを上げ、カーブを曲がってそのまま川原へ続く道へ入ったら、……運悪く上り坂だと!?


「根性おおおおおおおおお」

 加速を生かして駆け上がろうと力を込めたら……後ろにぐいっと逆向けの力が加わった。

 ――まさか!?

 おそるおそる後ろを振り向くと、息を切らして後ろのタイヤをつかんでいるテオさんの姿があった。


「ま……待てって……ごほっ! 待てと言った……聞こえ……げほっ」

 嘘だろ! 追いつくの早すぎるんですけど!!

 それでも相当本気で走ってきたからか、咳き込んでいる。

「き……聞こえなーい!」

 私はビシクレットを乗り捨てて、再度逃げ出した。


 冗談じゃない。


 心臓がバクバクして、わき腹が痛い。心なしか喉からは血の味がして、それでも脳裏を占めるのは「逃げろ」というシンプルな命令だった。

「まだ逃げるか!」

「逃げますよ!」

 往生際だって悪いですよ。傷つけられるのが分かっていて、掴まる馬鹿がいるかあああああーっ!


 昔、散歩した記憶の残る川辺をどんどん走る。後ろを振り向くのが怖くて、もつれそうになりながらも走る。

「いい加減っ……観念しろ!」

 後ろから凄まじいテンポで地面を蹴る音がどんどん近づいてきて、エプロンに何かがかすめた。

 掴まれそう! とっさに判断した私は、「うぎゃっ」と乙女にあるまじき悲鳴を上げながら体をそらす。

 そのとたん、もつれかけていた足が完全にもつれた。同時にテオさんの手が腰に回る。そのまま勢い余って二人ともすっ転んで、丸い小石が敷き詰められた河川敷に倒れこんでしまった。


「げほっ……」

 酸素を求めてひときわ大きく息を吸い込む。次にくるであろう痛みに備えるが、……待てど暮らせど来ない。

 身じろぎしてみると、腰と頭に回された腕でがっちりホールドされており、そこでようやく私はテオさんにかばわれたのだという事実を認識できた。

「テオさん?」

 うんともすんとも言わないテオさんが心配になって、恐る恐る体を動かしてみると、彼は小さく呻いた。

「うっ……」

 そして、腰に回された手を見て私はビックリする。


 手が血だらけだ。

「なななな……なにやってんのよ! その手!」

 皮がえぐれて血がにじむどころではない。何かを殴ったかのか、関節部分の皮膚が特に損傷している。おまけに、河原の小石で切ったのか、腕や手の甲にも何本か赤い筋が入って、そこから一部はピンク色の肉まで見えていた。


「捕獲、した」

「捕獲じゃないわよ! ボケ!!」

 後ろにいるテオさんの息が首にかかって、私は反射的に叫ぶ。

 なんだよ、なんなんだよ、コイツは。騎士選抜試験の途中なんだぞ! 怪我なんかしている場合じゃないんだぞっ!


 思いっきり体を引き剥がしてテオさんの目を覗き込めば、彼はゆっくり体を起こして、あぐらを掻くような体勢で座り込んだ。

 そして、じっと私の目を見つめ、それから……

「悪かった」

 頭を下げた。



 パラリと細かい小石が彼の髪から落ちる。


 きりっとした大きな瞳は今は怒られた犬のように伏せられ、しゅんと座っていた。耳と尻尾がついていたら、大いにしょんぼりと垂れていただろう。

 そうか、彼は謝るために追いかけてきたのか。


 大きく息を吸って、もう一度吐き出す。途中で引っかかりそうになるが、震える喉でしっかり深呼吸すると、ようやく落ち着いてきた。

「もう、忘れたから、良いよ」

 それよりも、かばってくれて……ありがとう。


 なんとか、ぎこちなく笑ってみると、テオさんは柔らかく、それは柔らかい笑顔で「良かった」と、大きく息を吐き出したのだった。

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