第2話 魔法は拳で繰り出せ
ここで王弟殿下が金髪碧眼のうら若い美青年だったらロマンスのフラグが立った……かどうかは分からないが(サンドバックタコ殴り現場だしね)、残念ながら殿下は五十歳をとうに過ぎている。ぽよよんと飛び出たお腹と洋ナシ体型は愛嬌があるが、私の好みではない。敏腕と名高い現王様はなかなかのロマンスグレーなのだが。
おっと、現実逃避している場合ではない。殿下の後ろに控えた護衛騎士が胡散臭そうにこちらを見ている。私は慌てて平身低頭した。
「お見苦しいところをお見せしまして、申し訳ございません!」
更に土下座する。何も今回のバイトの稼ぎが惜しいだけではない。王族の不興を買って、この先貴族の屋敷でバイトできなくなったら大変困るのだ。
「ヒラに、ヒラにご容赦を!!」
お願げえしますだとばかりにペコペコしていると、上から殿下の豪快な笑い声が降ってきた。
「構わん! 面白い」
チラッと顔を上げてみると、騎士の一人が笑いをこらえ切れないという表情で顔をゆがめている。あ、全部見ていたんだろうなぁ。というか、王弟殿下は庶民派という噂どおり太っぱ……もとい、懐が広いようだ。なんでも母親が平民だったとか。
もう一度へへーっとお辞儀をしてそそくさと逃げようとすると、ぐいっと騎士の一人に襟首をつかまれた。
「殿下のお話は終わっていないぞ」
ちっ。逃走失敗か。高貴な方に関わると碌なことにならないと私の妖怪アンテナが告げているのだよ。なんの用だろう?
よく観察してみると、殿下は空のグラスを持っている。酒が欲しくてここにきたのかな。会場にもたくさんのワインがデキャントされて用意されているのだが……とそこまで考えて、ふと気がつく。今回のパーティは新交易路の開拓祝いだ。当然ながら海の幸中心のメニューになり、大量に用意されたのは白ワインだった。ところが殿下はモリモリ肉を食っていた。当然赤ワインも用意していたが全部飲みきったのだろう。
「殿下は赤ワインをご所望である」
ほーれ、当たった!
内心ニマリと笑みを浮かべて、私はお辞儀したまま未開封の赤ワインをワインセラーから取り出すと、騎士に渡した。グリーンマーメイドの日光をたっぷり浴びたワインである。少し酸味があるが、肉と相性が良い。開栓して少し時間を置けば甘みも出るので、デザートの頃まで長く飲めるだろう。そして、値段が気張りすぎないところが良い。
コルクの栓抜きは会場に持っていってるので、戻れば誰かが気づいて開けてくれるだろうと思って、今度こそ退出しようとすると、また護衛騎士に襟首をつかまれる。
「ここで開けるがいい」
「いえ、栓抜きは会場にございますので、そちらでないと……」
手刀でコルク栓を吹き飛ばせとでもいうのだろうか。
そんなことを思い浮かべながらおずおずと奏上すると、騎士の一人から剣を差し出された。
ちょっと待て! 剣でやれというのか!? ガラス片入るぞ?
あきらかに顔を引き攣らせると、「やれ」と殿下は笑顔のまま頷いた。くそう! ワインが粉々になっても私は責任とらないからな!!! そして、剣重い。おっも!
ふらつく身体を何とか立て直して、『女は度胸、女は度胸!』と心の中で呟く。どの道ここで断れば、今後の私の人生に関わるだろう。というか、そこの騎士がやれよ。ワイン押さえてる場合じゃないよ。素人の剣でも当たったら死ぬよ! 少なくとも私よりか扱いなれているだろうがああああああああああ!
「でえええええええりゃああああああぁぁぁぁぁっっ!」
両手で剣を持って振りかぶり、大根切りのスイングをワインに向けて繰り出すと、奇跡とでも言うべきか、すっぱりとワインの上部が吹き飛んでいた。
「おおおおおおお!!!!」
お、拍手。
訳が分からない状態で私もテンションが上がっていたらしい。素直に拍手されて満面の笑みを浮かべてしまった。
「お前面白いな! 採用」
面白いで採用されるんだ、へぇ~。って、感心しながら剣を返すと、殿下が金貨1枚を握らせてくれた。うおっ! 破格のチップだ。金貨1枚あれば一月分の食費が浮く。
「ありがとうございます!」
ん? 採用?
首を傾げると、護衛騎士のおじさんが1枚の羊皮紙を差し出した。
――第3騎士団見習い騎士募集のお知らせ
「え! もしかして、私、女騎士に!?」
さっきのスイングにきらりと光る才能があったのだろうか? 思わず目を輝かせて護衛騎士のおじさんを見れば、『プスー』と笑いを止めようとして失敗した変な笑いが飛び出してきた。ちょっと、何気に失礼ではないだろうか。
「いや、この選抜試験の手伝いじゃよ」
話を要約すると、周辺地域から集められた見習い騎士の候補生達を数箇所に分けて合宿させるのだそうだ。そこで一次選抜試験を行った後、王様のいる首都で各合宿所単位でのチーム戦をして最終選抜をするらしい。男共の合宿……騎士たるもの、剣だけではなくいざというときのために自炊も出来なければならない。しかし、いちいち正騎士を自炊やら掃除で出せるほど暇ではないということで、バイトを募集していたとのこと。
「報酬は……金貨千枚!」
「お受けしますっ!!!」
私は間髪いれずに引き受けた。騎士見習いのおさんどんだよね。それでその値段って割が良すぎる!! ありがとう、王族! あなたたちの狂った金銭感覚に全力で感謝してる!!
護衛騎士達はちょっと引き気味だったが、この際金の亡者と思われてもいい。
「そういえば名前を聞いていなかったな」
くそう、やっぱりこのイベントから逃れられないのか。
「イリーナ=ブルジョワリッチでございます」
厨房が笑いに包まれたのは、思い出したくもないことだった。
余談だが、私の渾身のパンチには魔力が宿っていたらしい。世の中魔法を使える人もいるらしいが、私には縁がないものだと思っていた。そう、護衛騎士さんに伝えると、ついでに魔法の修行もしてみたら? とお勧めされた。そんなに簡単に修行しちゃっても良いものなんでしょうか?
大体金貨一枚=1万円の換算です