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第18話 かすれてすれ違う

 慌てる私なぞ全く気にせずといった感じで、テオさんは腰にタオルを1枚巻いた姿のまま石鹸を棚から取り出し、包装紙をちぎってそのままお風呂場へ戻っていった。


 いくらなんでも腰タオル1枚なのに素のまますぎではないか? 肉体美があるから恥ずかしくない? いやいやいや、そんなわけないだろう!! そんな惜しげもなく全裸見せてたら嫁にいけなくなりますよ、テオドールさんっ。

「というか、ベル様に顔向けできないよおおおおー! ばかあ!」


 ぼふんっとフカフカのタオルを半ば八つ当たり気味に棚に突っ込む。動揺しつつも頼まれたことはやらずにいられないのが、バイト三昧の生活を送ってきた労働者の悲しい性だ。

 くそう、ブルジョワめ、こんなフカフカタオルで生活するとは! 私なんか、向こうが透けて見えそうなくらいぺらっぺらのタオルを使って生活しているってのに。しかも商店街の景品でもらったから、お店のロゴマークが入ってる。いつか懐が暖かくなったら、こんなしっかりした生地のタオルを買うんだ……あ、これ、言うと叶わなくなるフラグ?


 ぎゅっぎゅと綺麗に詰め込むと、私は棚の扉を閉めた。とりあえず、アレは不幸な事故だ。私は何も見なかったことにしようと記憶から消去を図っていると、再度お風呂場から声が響いた。


「おい」

「何よ」

 心なしか機嫌の悪そうなテオさんに嫌な予感がする。私はそれほど気に障ることをしたのだろうか。


「背中くらい流せ」

「は?」

 何を言っている、この人。

「メイドなんだろ?」

「っ……!」


 ――またお前は『金』か

 そういえば、テオさんは先ほどそう言った。その言葉にどうして気づかなかったのだろう。


 ――昔の思い出なんかポイと捨てて、見向きもしない……お前にとってその程度のものか

 私にだって事情はある。過去に浸っているばかりでは生きていけないという事情がある。

 けれど、それは言い訳にしかならず、テオさんを傷つけてしまった事実に変わりはない。


 つま先を見ると、脚が震えていた。

 膝を片方ずつ拳で叩く。怒っているテオさんが怖いとか、気づくことができなかった自分が無神経だったと後悔する気持ちだとか、いろんな気持ちを吹き飛ばすように。


 怖がっている場合ではない。

 震えて止まっていていいはずなんてない。

 謝ったって、それは自己満足でしかない。

 決めたではないか、借金返済のために仕事に専念すると。現実問題として、バイトを辞める選択肢なんてないのだから。


 ならば、逃げるな、私。


 お腹に力をこめて震えを無理矢理止めると、私はニーソックスをぽいぽいと脱ぐ。そして、ドアノブを握り締め、一気に開けた。

「お背中ながしま~す」

 きゅっと腕まくりをすると、テオさんはシャワーを頭にかけた体勢のまま、こちらを見てぽかんと口を開けている。


「ちょっ! 待て!」

「何が?」

 腹をすえた女の覚悟を侮るなよ。

 ちょっと性質の悪い冗談を言って、困らせて、それで八つ当たりして……って、子供かお前は!


「さっき、ベルナルドに顔向けがどうとか言ってたくせに」

「メイドなら背中を流せと言ってきたのはそっちでしょ!」

 背中を流せというなら流してやりますよ。そりゃあもう、滝のようにお湯を流してやろうじゃないの。

 ギロッと睨まれても怯まずに返すと、また、テオさんの機嫌が悪くなっていく。

 ここで真っ赤になって逃げていくのが、普通の『可愛げのある女の子』なのだろうなぁと、心の中で一つため息をついてしまう。


 お湯が出っ放しのシャワーを止めると、テオさんは顔についた水滴を手で拭った。



「馬鹿が。こんなことして無事に済むと思うなよ」

 その言葉を理解するよりも早く、私はあごを掴まれる。そして……


 ――私の唇に、少し日焼けで荒れた唇が重なった。




 それはほんの一瞬のことだったけれど、頭の中が真っ白になる。

 今……何が起こった?


 目を見開いたまま、頭の処理速度が追いつかない私を、テオさんは辛そうな表情で見つめている。至近距離で見たテオさんはアップにも耐えられる整った顔立ちをしていた。いや、そういうことではなくて。

 混乱したまま呆然としていると、彼は唇を離して言った。

「これも仕事だと? 金のためなら我慢できるとでも?」


 いえ、想定外の出来事にフリーズしております!

 奇妙なくらい頭の中が空回りしている。けれど、言葉にして出そうと思っても、唇が震えるだけで何も言うことができない。


「金、金……今のうちから金の亡者のように稼いでどうする? 金貨三千枚貯めてベルナルドに告白? 貧乏貴族が背伸びして、裕福な貴族になったら誰でも男がなびくと思ったのか? 持参金で男を買おうとするな。ましてやあいつは金貨三千枚ごときで買えるような安い男じゃない」


 ――帰れ! 


 ドンと肩を突き放されて言われた言葉がグサッと胸に突き刺さった。ずっと忘れようと思っていた傷口が開いたような気がする。でも、それでも帰るわけには行かないのだ。

 たたらを踏みながらも、目をそらさず私は必死で言葉を紡いだ。


「ごめんなさい、テオさんの前に現れて、思い出の女の子像を壊してしまって、幻滅させてしまって。ごめんなさい」

 でも人は変わるものなの。ずっと昔のままじゃいられない。

 ベル様をお金で買えるだなんて思っていない。けれど、今の私にはお金が必要なの。『普通』になるために、『普通』に生きていたいから。


「だから、なるべく目の前に現れないようにするから。だから、もう少し、もう少しだけここにいさせてください」

 すぐに消えるから。終わったら、テオさんの前から姿を消すから。


 ペコリと深くお辞儀をすると、私は踵を返して逃げ出した。

 心臓を鷲づかみされたようで、走りながら息を切らす。

 どうしよう、泣きそう。


 でも泣いちゃいけない。


 泣けない。


 ――泣きたい

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