第13話 巻戻る輪
辺りがガヤガヤと騒がしくなった。どうやら合格発表が終わったらしい。張り詰めた空気が一転し、悲喜こもごもだ。明日からは半分以下の約20名と半月の間、クリスタルパレスで行われる団体戦に向けて訓練を開始することになる。
「ボク記憶は良いほうなんだけどさ」
「ん?」
ベル様の姿を探していた私に、カールが思い出したかのように呟いた。テーブルに頬杖ついて、私の短くなった髪を一房手に取る。
「イリーナの初恋の相手、ベルナルドさんじゃないよ」
「ぶへっ!?」
今、なんて???
突然の爆弾発言に、私はあんぐり大きく口を開けて彼女を見つめなおした。
「だから、イリーナが昔、氷菓をもらった相手は別人ってこと」
待て、待て、待てい! 混乱したまま、ストップをかける。
「ちょ、ちょっと、うえっと、いきなり何!? そんな訳ないじゃない。第一、本人が『ベルナルド』って名乗ったのよ?」
それに、氷菓は拳術大会の上位入賞者しかもらえない代物だ。ベル様は小さな頃からずっと年齢別の大会で一位だということは有名だし、上位入賞者なんて、そうそう他にいないはず。
「でも、イリーナは『小麦色の肌に綺麗な黒髪、何よりも吸い込まれるような大きくて蒼い瞳が空のようで綺麗だ』と言った。正直、ビックリしたよ。だって、絶対初恋はボクじゃないかなって思ってたしー」
にーっと笑うカールは、確かにご近所でも女の子にモテモテだけれど、いや、今はそういう話じゃなくて……。
「黒髪に、蒼い瞳……?」
「うん。ベルナルドさんは『焦げ茶色の髪に、碧の瞳』」
記憶が歪む。
お母様の静養のためにグリーンマーメイドに来て、初めて会った男の子の記憶が歪む。つないだ手のぬくもりも、広がる森の風景も、白塗りの壁の家も、どこまでも透明な青空も、リンと鳴った鈴の音まで全部覚えているというのに。
運命の人だと思った。
優しい人だと思った。
素敵な人だと思った。
あの人を好きだと……思った。
「記憶を歪ませて、何を思い込もうとしている?」
3年前、再会したときにベル様を見分けられなかった自分。でも、最初から別人だったとしたら?
「カール、これ以上は」
言わないで欲しい。聞いてはいけないような気がした。けれど耳をふさごうにも、手が動かなくて。
「ねえ。恋と、憧れと、依存をごっちゃにしてはいけない。……苦しい思いをするのはイリーナだけじゃないよ」
真剣な瞳で見つめる彼女の視線を受け止めきれずに目をそらせば、そこには小麦色の肌に綺麗な黒髪、何よりも吸い込まれるような大きくて蒼い瞳の青年が立っていた。
多分、私は間抜けな顔をしているだろうと思う。その人の横にベル様の姿を認めて、私はすがるようにその名を呼んだ。
「ベル様。ベルナルド様……私がはじめて会ったアナタは……」
テオドールさんだったのですか?
その言葉にテオさんは驚いたように瞠目する。
どうか否定して欲しいと願うのに、ベル様はしばらく考えるようなそぶりを見せた後、ゆっくりと、ゆっくりと頷いた。
恋と、憧れと、依存をごっちゃにしてはいけない。それは、頭ではなんとなく分かるけれど、実感としてはよく理解できない。私がベル様を思う気持ちは、そのどれでもあるからだ。
私の初恋はテオさんだった。けれど、だからといってこの気持ちに変わりはあるだろうか?
「カール、お前しゃべったのか」
「まー、あと半月も一緒にいるのに誤解されたままじゃ悔しいでしょ?」
テオさんが苦々しく吐き捨てるように言うと、カールは肩をすくめて笑った。朝練の時に何か話をしたのかもしれない。
「どうして、嘘を」
混乱しながらも、じんじんと熱くなる指先をギュッと握り締めると、テオさんとベル様は隣に腰掛けた。
「嘘をついて悪かった」
テオさんは素直に頭を下げる。
「騙したことになって、すまない」
ベル様は申し訳なさそうに、頭の後ろを掻いた。
話は10年ほどに遡る。
「今回の選抜試験に『特殊な事情』があるといったな」
テオさんの言葉に頷くと、彼は「その特殊な事情というのは俺が関係しているんだ」と続けた。驚く様子がないベル様は知っているということなのだろう。グリーンマーメイドでは知る人も多いが、という前置きの後、テオさんはあっさりと秘密を明らかにした。
「俺は、王弟殿下の隠し子だ」
「どるうえっ!!!?」
思わずおかしな声が出たのは勘弁して欲しい。王弟殿下といえば、あのぽよんぽよんの太っ腹親父。全然似てません!!! 母親似ですか? そうですよね。というか、隠し子? え、何? テオさん王族ですか!!?
「母さんは平民だし、知られることを嫌がってさっさと実家に戻っちまったから、あんまり中央の方で知る人はいないと思うがな」
ただ、ずっと後ろの方とはいえ、王位継承権を持ってしまったことは確かだ。
「いつ知ったの?」
「結構小さいときから聞かされたな。周りの態度がおかしいのは重々気づいていたことだし、聞いて納得したさ」
その末端の王族が第3騎士団の見習い騎士試験を受けるということで、人柄や実力、交友関係を知る意味でフレンディ副騎士団長が派遣された。現在の王権を脅かす存在ではないか、担がれるような人間ではないか、……第1騎士団預かりにすべきか、純粋に第3騎士団で働きたいと思っているのか。
「いつも遠巻きに接する周りの奴らを見て、こんな中途半端な肩書きいらねぇって、俺は思ったけど」
テオさんのお母様は、自力で働いて女手一つでテオさんを育てたらしい。金銭的な補助はないのに、監視は付く、周囲の人は余所余所しい。……その気持ちはなんとなく分かる気がした。貴族という肩書きで食べていけるわけではなく、なのに好奇の視線で見られるという不条理な話。
「そんなある日、雪のように白い珍しい人間が来たと聞いた。まあ、『北部の人間は暑さで溶ける』という言葉を鵜呑みにしたせいで、ちょっと誤解していたが」
それが私たち家族だった。