第10話 タコ部屋への侵入者
私は候補生達のいるタコ部屋を選んだ。だって、厨房は土間だ。隙間風も入ってくるし寒すぎる! それに、それに……好きなところ選んでいいということだったので、ベル様の近くに毛布を用意しました。ベル様紳士だからね、絶対守ってくれるもんね! ひゃっほー。
「というわけで、私今日はここで寝ます」
与えられた毛布をもって柱とベル様の間に陣取ると、ぐるぐると芋虫のように包まった。ベル様の隣にはテオさん、その横にはヴィルマーさんが並んでいる。
「ここで……って、他にもあるでしょうに。危ないわよぉ」
ヴィルマーさんは赤い髪をかきあげるような仕草をしてから、人差し指を軽く2回振った。おおう。色気、色気が半端ないですよ! でも、ベル様の横じゃないということは恋のライバルではない可能性が高い。それにはホッとする。
「私ここを追い出されたら、厨房が寝室ですよ。それにベル様がいるから大丈夫です!」
えへへっとにやけると、ヴィルマーさんは少しあきれたように微笑んだ。
「『ベル様、ベル様』って、本当にイリーナさんはベルナルドが好きなのねぇ」
「うん!」
べたべた触る勇気はないけれど、きっと今の私からは大量のハートが出ているだろう。
「そんなに信頼されると弱ったな」
ベル様は困ったように呟くが、もうね、それがね、硬派っていうかね!!! ああああああ! 好きだあああああ。
くすんだ金色の髪を毛布にこすりつけるように首をぶんぶんと振る。アレですよ、『萌え』実体験。
「大好きですよ」
「ん」
おおっと、思考が駄々漏れだったよ。
「イリーナさん、乙女ねぇ」
いやいや、それ程でもありますけれど、ヴィルマーさんも乙女ですよ。雰囲気が華やかというか。
「というか、『イリーナ』でいいですよ。なんだか、ヴィルマーさんにだけ、敬語使われるとくすぐったい」
「じゃあ、イリーナね。あたしのことは『ヴィル』でいいわよ」
華やかに笑ったヴィルはやっぱりイケメンさんでした。
タコ部屋は結構広い。床にごろ寝だが、下に大きなじゅうたんが敷いてあるので、自分の荷物を枕にすればそれなりに眠れそうだ。一応上官専用室はあるのだが、今日はフレンディ副団長が採点を行うということで誰も入れないよう鍵がかかっている。
タコ部屋に押し込まれた候補生達は、明日へ疲労を持ち越さないようにストレッチしたり、筆記試験対策用の本を読んでいた。第3騎士団は大所帯なので、腕っ節が要求される部署もあれば、計理や調べモノをする部署まであるのだという。
ヴィルはヨガをしながら、そんな話をしてくれた。
「でも、こうして見ると、イリーナって貴族のお姫様みたいなのよね」
「へ? 私、全然特別グラマーな美人でもなければ、儚げな美少女でもないですけど」
悔しいけれど、絶世の美貌やお淑やかさとは無縁の人間だと自覚している。
「でも、南部の人間ってみんなよく日に焼けてるでしょ。小麦色の肌に濃い髪が多いし。それがイリーナは金髪に象牙色の肌だから、神秘的に見えるのよね」
髪、今は肩の辺りで切っているけれど、伸ばしたらもっとお姫様っぽく見えるわよ、とヴィルが付け加える。それに私は「いやー、昔は長かったんですけどね、売っちゃったんですよ」と笑った。意外と髪が短い分、頭は軽くなるし、洗うのも楽だ。本当はもう少し短くしようとも考えたのだけれど、これ以上短いと少年に間違えられかねないからなぁ!
一瞬よぎった寂しさを綺麗に消して、あははは、と笑うと、ヴィルは「長かったら結ってあげるのに」と残念そうに肩をすくめた。まあ、髪なんて伸びますよ。そのうち、髪飾りだってつけられるようになるだろうし、編みこんでアップにも出来るだろう。
ただ、私の手元に、髪飾りをはじめとした装飾品はない。全部売ってしまったから。だから、髪だって長くある必要もないのだ。少年に見えたって良い。この身が自由であればいいのだ。
「私、今のままで大丈夫ですよ」
大丈夫。
もう一度口の中で小さく呟くと、じんわりと言葉が広がっていく。言葉の力は偉大だ。
「ねえ」
「なに?」
「お姫様は否定したけれど、貴族の部分は否定しないのね」
ぐはっ!
ヴィル、あなたも食えない人か!
「下級貴族ですけど、没落してますから……まあ、結構家計が苦しいほうでして」
王弟殿下から頼まれたバイトだが、給金が安かったら絶対に受けていなかったと思う。
「だから働いているのね~」
「名誉より金! お金は大事です」
屋敷を売り払ってからアパートに移り住んだ。ご先祖様の人脈で格安の家賃にしてもらっているが、お金がなければ追い出される。お金がなければ食べていけない。
だから、朝から晩までバイトづくしだ。なるべく単価が高いバイト、貴族関係のバイトに精を出す日々。夜は社交パーティか酒場で働いて、夕飯を食べる。1日1食なんてよくあることだ。それでも抱えた借金が多すぎて、焼け石に水。だから、一時、商業ギルドの先物取引に手を出したこともあるし、危険な目にも会った。
でも、そんな苦労話は言わない。同情なんて必要ないからだ。
貴族なのに可哀想に……、そう話しかけてくれる人はいる。でも、働かなければ食べていけないのは当たり前の話。その当たり前のことを忘れてはいけなかったのだ。だから、そのことを受け入れて、それでもなお、腐らずに前を向いていたい。
――そんな私のまま、ベル様の前に立っていたい。
「イリーナ、大丈夫か」
「うん。平気」
夜、こっそりとベル様が小声で話しかけてくれた。『何が』大丈夫なのか、わざと周りに分からないよう問いかけるその気遣いが、くすぐったくも優しい。ベル様は私の事情を知っている数少ない人の1人で、そして心の支えでもある。
少しためらった後、私は小声でおずおずと切り出した。
「あのですね。金貨3千枚貯まったら……ベル様に告白してもいいですか?」
ベル様は返事の代わりに苦笑した。何も答えない優しさに胸が切なくなる。
テオさんが寝返りを打つ音が聞こえた。