第1話 健全な魔力は、健全な肉体に宿る
今回は少し賑やかなお話です。
美しい森と湖、なだらかな丘陵、高く澄んだ青空、たなびく雲、ジリジリと焼け付く夏の太陽。木製の手作り柵の内側では、木陰でヤギがのんびりと草を食んでいる。
そんな美しき田舎の町『グリーンマーメイド』では、美しい名前に似合わない野太い声が響いていた。
「健全な魔力はぁぁああぁぁ!」
「健全な肉体に宿おおおおぉぉうおおぉぉぉる!!!」
約20名ほどの屈強な男達。年齢は15歳から19歳までの騎士候補生達だ。候補生といっても侮ることなかれ。周辺地域から選抜された百七十~二百センチの上背と筋骨隆々の肉体を持つ猛者たちである。なかなかに迫力があるではないか……いや、正直ちょっと迫力ありすぎて怖い。
服の上からでも分かるくらいの筋肉を揺らしながら、彼らは円を描いて走っている。そして、私はメガホンを片手に持って、円の内側から叫んでいた。
「魔法はあああぁぁあああぁ!」
「拳で繰り出せええええぇぇぇえええぇぇぇ!!!」
地響きが起こりそうなほど低い声が地の底からわきあがってくるようだ。彼らは騎士見習い(新人)となるべく、この新人試験にやってきている。気合が半端ない。
ふと、首都『クリスタルパレス』の華やかで豪奢な通りを思い出した。可愛いアクセサリーを身につけた女性たちがきゃあきゃあ言いながら買い物をする声を数日前までは聞いていたはずだったのに。
「あと一周うううう!」
「うおおおおおおぉぉぉ!!!」
飛び散る汗。
盛り上がる筋肉。
まるで闘牛の群れが一直線に赤い布に向かって走ってくるようだった。怖い、集団効果まじで怖いです。
――さて、話は1週間ほど前に遡る。
私はイリーナ=ブルジョワリッチ。親がつけてくれた名前はイリーナのほうである。しかし、何が悲しくてブルジョワ(富裕層)リッチ(金持ち)などという愉快な姓を持ってしまったのだろうか……。名乗れない、本気で笑われる自信がある。現在のブルジョワリッチ男爵家の状況を鑑みればなおさらだ。
そもそもブルジョワリッチ男爵家は、3代くらい前のご先祖様が首都『クリスタルパレス』で小麦相場を当て、大儲けしたことに始まる。要はしがない一介の商人だったわけだ。
それを当時の王様が「オウ! お前強運じゃん。ちょっと東の貿易港で稼いでみない?」と目をつけた。そして、うちのご先祖様は持ち前の強運で更に儲け、儲けたお金と引き換えに爵位と小さな領地をもらったらしい。
そのとき王様がつけた家名が『ブルジョワリッチ』だったというね、もうね、王様ね、冗談も大概にしてくださいよ。ここで名乗れぬ乙女がシクシクと袖を濡らして泣いておりますよ。
下級貴族とはいえ、姓を持つということは、曲がりなりにも貴族となる。そして、貴族のパーティでは家名を名乗るのが常識……とくれば、この花も恥らううら若き乙女の心中、お察しいただるだろうか?
それに拍車をかけるのが、現在、絶賛火の車状態の家計だったりするわけですが。まあ、昔の栄光を忘れられなかったお父様が、下手に事業に手を出して借金作っただなんてよくある話ですとも。ええ、泣いてなんかいませんとも。いっそ思い切って『ビンボーブラボー』あたりに改名したらいいのに。
バイト、楽しいです。平民の街のアパート? 姓を名乗らなくて済むなんて、素晴らしいじゃないですか。元々貧乏貴族だったため、使用人いないですし、料理も洗濯も掃除も出来ます。家庭菜園、任せてください。隣に住むカールは優しいですし、私は貴族の生活より、平民の生活が性にあっていると本気で思ってる。
ただ、借金を返すためには、なるべく時給が良い方がいい訳で……そして、特別グラマーな美人でもなければ、儚げな美少女でもないので、お色気方面がダメということは、やっぱり稼ぐなら貴族関係のお仕事な訳で。
その日も私は、亡くなったお母様から仕込まれた礼儀作法スキルを駆使して、パーティの給仕を務めていた。シャンパンを注いでまわったり、ワインを注いだり……していると、突然ワインをぶちまけられた。
「あーら、ごめんなさい。イリーナ=ビンボースキーさん。今日はお客じゃなくて?」
オホホホホと流行のドレスに身を包んだどこぞの子爵のお嬢様の高笑いに、メラメラっと湧き上がる殺意を押さえながら引き攣った顔で私は笑う。
「こちらの立場の方が似合ってますので」
そして、表情が見えないよう深々とお辞儀した。あーあ。ワイン、染みになるかもしれない。白ワインであったことを喜ぶべきか、制服が濃紺だったことを喜ぶべきか微妙なところだ。
しばらく顔を上げないままお辞儀していると、彼女はフンッと鼻を鳴らして去っていった。最近、お目当ての男性が別の女性と結婚したので鬱憤でもたまっていたのだろう。完全な八つ当たりです。
大人げない!
しかし、私も大人げないのですよ。うふ。
私は、一旦バックヤードに下がると、厨房の横にぶら下がったサンドバックの前に立ち、深呼吸した。そして一気に鋭い右ストレートを繰り出す!
「どおおおおりゃあああああああ!!! ゴルア! ゴルアアアアア! フシュッ! フシュッ!!」
そして左ストレート! 交互に繰り出すパンチがサンドバックにめりこみ、ヒットするたび大きく揺れる。どっふん、ごっふんと何度か殴っているうちに気分が落ち着いてきた。これ、癒されるわ。
ふー、と息を吐く。気分転換も終わったし、会場に戻ろう……と踵を返すと、空のグラスを持った男性が、パチパチパチと満面の笑みを湛えて拍手してくれた。
「いいパンチだ!」
ちょっ! 王 弟 殿 下!
誰か、うそだと言ってください。お願いします。