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「……あれも敵だ」
「それは違うだろ…。お前が命を奪ったあの村の奴らは、戦えないただの弱い村人だ。敵じゃない」
今までにも何度か、自分のいる騎士団が攻めていないはずの村が消える事例があった。
「それじゃあ単なる虐殺だろ?お前がそんな事をするなんて、信じられなかったよ」
長い時間湯に浸かって暑くなったのか、右京は立ち上がり、湯船のフチに腰掛ける。
湯気で細かい表情まで読み取れないが、湯の熱さとは対象的な冷たい目を見せている。
それは桔梗と接する優しい彼からは想像出来ない冷酷なものだった。
「無邪気な子供も成長すれば敵となる。悪い芽を早めに摘んだ、それだけの事だ」
「そんな非人道的な事がまかり通ると思ってんのか?」
「何を言う。戦争自体が十分非人道的だろう」
「右京…。お前…」
「私は早く平和に暮らしたいだけなのだよ」
信じられない…と杏里は首を振った。
幼少の頃から親しいこの男が、こんなことを平気で言ってのけることも信じられない。
「お前さんだけはそういう大人にならないと思ってたんだがな」
心根優しく、誰からも愛される男だった。
今でも国民の多くがそう思っている。
「杏里は案外純粋なんだな。そういうところが気に入ってるんだがね」
「なっ…」
子供扱いされ、思わず気後れする。
「私は国王として、失った沢山の国民のために一刻も早く平和な世にしたい。……そのためには、多少の犠牲はやむを得ないと考えている。綺麗事では解決しない事があるのは、お前でもわかるだろう?」
「いつからそんな風になっちまったんだ…。その平和っていうのは、本当に幸せなのか?」
「ああ。もちろんだ」
「そんな世の中で、桔梗も幸せになれるのか…?」
「必ず幸せになるさ」
それを聞いて杏里は立ち上がった。
そして、右京に詰め寄る。
「…そんなお前がアイツを幸せにできんのか? アイツは穢れを知らない。純真無垢なアイツを、今のお前は幸せにできるんだろうな?」
「……」
目の前の友は何も答えなかった。
「オレは本当にお前なら、桔梗を幸せにできると思っていた。子供の頃からアイツを大事にしてくれていたお前さんならな。でも、今のお前はオレらの知っている右京じゃない。オレが知ってる右京って男は、誰よりも優しく勇敢で真面目なだけが取り柄の純粋バカだ」
「杏里、お前…」
「だけど、今オレの目の前にいるのは、目的のために手段を選ばない残忍で卑劣な侵略者だ。そんなクソ野郎が、本当に桔梗を幸せにできるのかって聞いてるんだ!!」
服を着ていれば、胸倉を掴んでいたであろう。
杏里は今までに見せたことのない憤怒の形相で右京に対峙していた。
しかし、右京は至って冷静でそれを見つめる。
「杏里、落ち着け」
「落ち着く? オレは十分に落ち着いているさ。親友に裏切られたとしても、オレは自分を見失ったりしない」
そう言う杏里の手は固く拳を握り締め、血がポタポタと湯に流れ落ちていた。
右京はそれを見て、少し表情を緩め、激高する友の双眸を真っ直ぐに見据えた。
「私はお前を裏切ってなどいないよ。杏里、私はずっと私だ。お前と幼少の頃より懇意にしている私だ。今回のことは確かに度が過ぎていたかも知れん。しかしこれは国や民、愛しいお前たちを想っての事だ。それだけは解ってくれ」
「お前が殺した女子供にも愛しく想う家族が居た。これは戦争だから、殺し合いになるのは仕方ないかもしれない。だけど、できるならもう必要以上に斬らないでくれ。お前を恨むだけでなく、東を恨む者が増えて堂々巡りじゃないか。それじゃいつまで経っても平和になんかなりゃしないだろうが…」
右京は血の滴る友の手をそっと取り、視線を落とす。
くっきりと爪の痕が付き、そこからはまだ血が滲んできている。
「すまない。お前は心配しれくれているのだな。私のこと、国のこと…」
「……」
「今はまだ、絶対に殺さないとは約束できないが、できる限りお前の言葉を考慮して動こう」
「…ああ」
傷ついた友の手に、右京は何度も湯をかけて洗い流す。
「桔梗のこともキチンとケジメつけるよ。お義兄様の了承も得ていることだしな」
「お前のほうが年上だろうがっ。と、いうか気が早すぎないか?!」
まるで、もう婚約したような口ぶりに、杏里は笑顔を取り戻した。
「お前の妹とそうなるのなら、お前は義理の兄ということだろう?」
「バカめ」
右京も顔を綻ばせる。
「せいぜいフラれないように頑張れよな。国王が女にフラれるようじゃ、示しがつかねえからな」
「それは……自信ないな……」
先程までとは裏腹に、右京は怯えるような表情を見せる。
「んな顔すんなよ。仮にも一国の国王様がっ」
「しかし、私は女の扱い方がわからないから、桔梗になんと伝えれば良いのか……」
「素直に思ったまま言え。あいつに遠回しに言ったって、理解しないに決まってる」
なんで恋愛相談になっているんだか。
「わ、わかった。そうする」
「情けないねぇ、まったく」
「お前は、女の経験はあるのか?」
「……教えない」
「むぅ……。杏里は女にモテるだろうからな」
「そんなことないさ」
「いや、城の女共もよく噂しているぞ。お前が来ると浮き足立つようだ」
「じゃあ、今度誘ってみるかな」
「軽い気持ちで手を出すことは許さないぞ」
「それはお前さんには関係ないだろうよ。恋愛は自由だ」
杏里はそう言って、湯船から出る。
「オレ、今夜は城に泊まるわ」
「桔梗が心配しているのではないか?帰宅して顔くらい見せてやれ」
「もう疲れた。あんたが代わりに行ってくれ。一晩くらい城を留守にしたって、どうにかなるだろ」
「お、おい、それは……」
「そういう意味だよ。善は急げと人間はいい事を言うよな」
右京の返事を待たず、杏里はサッサと浴場から出て行った。
取り残された右京は、顔を赤くしたままその場に固まっていた。