その日、ある学園で
まだ暑くなりきらない暖かな日。
窓から差し込む日の光に、カップに注がれた紅茶が反射して光る。
そこからふわりと香る甘くてほろ苦い匂い。
ここは、生徒会室。
「……いや、おかしいだろ」
「何が?」
普通にお茶を入れながら、上條九郎は呟く。
ここは生徒会室、学校。
決して、どこかの豪邸の私室などではない。
「別にいいだろ、生徒会"長"室なんだし?」
「はいはい、勝手に一文字足さない」
お茶請けの菓子をほおばりながら、鈴村亜丞はさも当然の様に言う。
そして、窓の外の景色に目を向けた。
開いた窓から入ってくるのは、部活動だろう、元気な掛け声。
音合わせをしている楽器の響きも流れてくる。
「それに、休日だし」
「平日でも同じことするでしょ」
「世乃、おかえり」
「まあな」
扉をあけたことにより風が室内を通り抜ける。
流れる髪を押さえながら、前原世乃は机の上に書類を置いた。
「王貴ちゃんは?」
「散歩」
「大丈夫なの?外、結構日差しが強かったけど……」
「すぐ戻るって言ってたし、たぶん」
「大丈夫だろ、問題が起きたわけでもない…」
ガシャン!!
「……」
「……」
「……」
3人は沈黙したまま。
勢いよく立ち上がると、生徒会室から駆け出した。
「窓ガラスが……」
見事に割れて散らばったそれを見て、世乃は額に手をやり青ざめた。
ガラスの破片の中に、野球ボールが紛れている。
周りに人の姿は無く、どうやらけが人は居ないらしい。
その点に、九郎は少し安堵した。
「野球部か?」
「……違う。うちの野球部のボールじゃない」
手に取ったボールを亜丞は掲げて見せた。
真っ白で、あまり使われていない新しいもの。
「うちのは全部、校章がついてるんだ、ご丁寧に」
「……て、ことは」
「おいおい飛ばしすぎだろー」
「なーにやってんだよー」
「うるせー、ホームランだよ!」
「「……」」
「まーた面倒なことに……」
どうやら外部の人間が入り込んでいたらしい。
普段なら警備員に止められるのだが、上手く入り込んだようだった。
「……世乃はとりあえずガラス片付ける用意してきてくれ」
「え、でも……」
「いいから。こっちは何とかする」
「わ、わかった」
世乃が行ったのを見送り、亜丞ははあ、と息をついた。
「絡まれたら面倒だからな」
「世乃、ああいう輩は苦手だし」
「……王貴はどうする?」
「終わった後で知らせよう。今はとりあえず、行こう」
割れたガラスから離れた場所。
私服だが恐らく高校生か少し上の男が3人、そこに居た。
いかにも、と言った空気感に、少し引きながらも九郎は尋ねた。
「このボール、あんた達のか?」
「お、何だ何だ?」
「このボールで窓ガラスが割れたんだ」
「とりあえず話を聴くから校内に……」
「げ、マジかよ」
「おい、ガラスはまずいんじゃね?」
「いこうぜ!」
「っておい!」
話を聴くどころかそそくさと逃げ出そうとし始める男達。
走り出す3人を、九郎と亜丞は慌てて追いかける。
「お前らの学校だろー」
「だったら自分達で何とかしろよ!」
「あいつら……」
追いかけながら、亜丞が怪しい笑顔を浮かべて右手をぎゅっと握り拳を作る。
が、ふと前を見て真顔になり、足を止めた。
「亜丞!?何で……」
「前」
「前?……あ」
言われて前を向き、そして同時に九郎の表情と動きも停止する。
「おわ!!?」
前を走っていた男達の脚も止まった。
目の前に表れた、超高速回転を行い通り過ぎていった猫車によって。
「な、なんだあ!?」
「猫車、見たことありません?」
そこに立っていたのは、少し大きめの上着を羽織った少女。
猫車を忘れるほど、猫車とは結びつかない様な印象の少女だった。
少女は、男達の前に行き、尋ねた。
「窓ガラスを割ったのは、あなた達?」
「なんだ?お嬢さん」
「だから、窓ガラス、割ったの?」
「おーおー、怖い怖い」
真剣な口調で尋ねるが、相手は小柄な少女。
男達はからかい気味に笑いながら、少女に近づいていく。
「威勢がいいのはいいが、危ないぜー?」
「ほら、怪我したくなかったらそこをど「そんなこと聞いてないんだけど」
「「「え」」」
少女は一喝すると、にこりと微笑んだ。
そして。
「ガラスを割ったのか、って聞いてるの。君たち何なの、部外者がうちで何してるの。
ああ、ふざけてるの?まったく大概にしてほしいよね、そういうの。聞き分けの無い子供じゃないんだからさ。
大体まず無関係の学校に進入する意味が分からないよ。やるなら自分の学校に行けばいいんじゃないの?
それとも、どうしてもうちの学校に入りたかったの?それはまあ光栄だけどいい迷惑だよね。
そして無断進入の上の器物損害、しかもすりガラス。知ってた?あれって普通のガラスより高いんだよ。
その上で謝罪もなしに逃亡……呆れた行動だよね、本当。
常識以前にまず人としてどうかしてるの?それなら仕方ないかもしれないけど。
で、別にここでガラスと一緒に片付けてもいいんだけどどうする?そうする?するか」
勢いで捲し立て上げられながら、男達はただただその場に静止していた。
否、動くことなど出来なかった。
少女は終止、穏やかな様子のままだった。
ただ、何故か恐ろしい様な威圧、いや、ただの恐ろしさが、周囲に広がっていく。
加えて思い返される、先ほどの猫車の吹き飛び様。
さて、と、王貴の言葉が止まり、同時に男達が微動する。
びくついた様に。
その様子を見ながら、少女は微笑んだ。
花が咲いたような今日一番の笑顔で、言った。
「自己紹介が遅れました。天祥学園生徒会長、帝人王貴です」
そして。
「謝り方、知ってるかな」
周辺まで、空気が止まる。
まるで氷付けにあったかのようだったと、後に語られる。
そして、沈黙の後。
寒さかはたまた別の理由で震えがとまらない様子の彼らは、打ち付けるように地に頭をつけた。
その姿はさながら「知ってます」と言うことを体で表現しているかのように。
「あ、九郎、亜丞。いたの」
近くにいた事務員に男達のことを任せて。
何事も無かった様にすたすたと歩きながら、王貴はそう言った。
先ほどと変わらぬ、穏やかな様子で。
「せっかく人がのんびり散歩してたのに、酷いよね」
「ほんとにな」
あっけからんと笑う王貴に、亜丞が少し疲れたように呟いた。
彼からしても、王貴の機嫌をわざわざ損ねた男達の存在は嫌なものであった。
「で、王貴。どうしたんだ、それ」
「猫車、知らない?学校には普通にあるものだよ」
(そんな使いかたは初めて見たけどな)
王貴は倒れた猫車をかかえながら、微笑んだ。