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色〜話をはじめたギター

ある日、押し入れが開いていた。


リビングの隅に、黒くて丸い胴のギターが立てかけてあった。

光沢の上に、薄く埃の跡があった。

長い間しまわれていたのだろう。

幼い頃に見たことがある気がした。

父の手がネックを握っていた、あの形。記憶はぼんやりしていたが、重そうなギターの輪郭だけは覚えていた。


「あれ、誰のギター」と直樹は聞いた。


「父さんの。レスポールだ」と父はリビングの奥から答えた。


その夜、直樹が風呂から上がると、階下から音が聞こえてきた。


中古のアンプを買ってきたようだった。

申し訳程度の音量で、廊下まで漏れてくる。

家の静けさと妙にアンバランスだった。

コードが変わるたびに、弦がきゅっと鳴って、音が泥みたいに沈んだ。

でも止まらなかった。


直樹は階段の途中に座った。

冷えた木の角が腿に当たった。

下から、音だけが上がってきた。


かっこ悪いと思った。

笑いそうになって、喉の奥で止めた。

目を上げたら、たぶん冷める気がした。

でも耳が離せなかった。


翌日も、翌々日も、夜になると音が聞こえてきた。


迷いが減った。

間が短くなった。

昨夜までは、指が次の場所を探して、音が遅れてついてきた。

今夜は、音が先に出た。

暗闇の中に線が一本ずつ引かれていくような響きだった。


ある夜、帰宅すると玄関の靴が揃っていた。

父のスニーカーが、きちんと向きを合わせて並んでいた。

直樹はそれを一度見て、二階へ上がった。


ある夜、直樹はいつもより長く階段に座っていた。

音が途切れるまで、立てなかった。


翌朝、母が買い物に出て、リビングに父と二人だけが残った。

父はコーヒーを飲みながら、窓の外を見ていた。


直樹は少し迷ってから言った。

「ギター、弾いてたの知らなかった」

父は少し驚いた顔をした。

それからコーヒーカップを置いて、「昔な」と言った。


「昔って、どのくらい」

「大学のころ。バンドもやってた」


直樹は何か聞こうとして、どこから聞けばいいかわからなかった。

なんで辞めたのか。

後悔しているのか。

でもそのどれも、今朝のリビングで聞く言葉ではない気がした。


「上手くなってる」と直樹は言った。


父はコーヒーカップを口に運びかけて、思い直したようにテーブルに戻した。

カチッと磁器が当たる小さな音がした。

カップの縁をなぞる父の指先が、弦を強く押さえていたせいで赤く凹んでいるのを、直樹は見た。


「そうか」と父は言った。


その夜、直樹は階段に座って目を閉じた。

音の中に、さっきの父の顔が浮かんだ。

そしてなぜか、自分のスケッチブックのことを考えた。


誰かに教わったコードをなぞっているだけなのか。

それとも、自分の指で引いた線なのか。


直樹は目を閉じたまま、階段の縁を指で一度なぞった。

でも音は続いた。

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