5年前の君に
高校三年生の冬、付き合っていた人が死んだ。
中村由花。それがその人の名前。
知らなかった。癌でもう手術しないと助からない命だっただなんて。
その手術が失敗して命を落としてしまっただなんて。
由花は少し前から学校に来なくなっていた。
知れなかった。受験勉強が大変で学校に行けてないと電話で聞いていたから。
俺も受験勉強に狂ったように専念していたから。
そんな嘘を信じてしまっていたから。
訃報は卒業式で伝えられた。
終ぞ言ってくれなかった。
なんで言ってくれなかったんだ。相談して欲しかったよ。怖かっただろうに。心細かっただろうに。寂しかっただろうに。俺が計り知れないほど、知る由もないほどに泣きたかっただろうに。
もう、嫌だ。
社会人一年目。
今日も仕事先から家に帰る。
「ぁ…無理…」
玄関に入り、靴を履いたまま身体は廊下に預けてそのままとけるように寝転がった。
疲労困憊の身体がいうことが聞かず、一歩も動けそうにない。
あぁ…眠い…。
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「は…と…はし…と…橋下…橋下…!」
「ふぇぁ?」
「寝るなー」
「な…に…なんだ…?」
「寝ぼけてんのかー…大問1の⑶答えろー」
「は?」
「もういいや、じゃあ…今日は11月12日だから、23番の中村ー」
「はいっ!」
聞き覚えのある声。
俺がトラウマになるほどずっと求めていた大嫌いな声。
「316です」
「正解ー橋下、授業中は寝るなよー」
「ぇ…ぁ…はぃ…」
それどころじゃない。
これは…授業中だった。
俺は高校二年生に戻っていた。
◇
動揺…するもんなんだろうな…きっとこういう時普通は…。
とはいえ、俺が今現に置かれている状況が普通ではないので、物事の異常さを測る物差しはないわけで…。
ともかく俺は、動揺よりも恐怖が勝った。
それもいきなり過去に戻ったことに対しての恐怖ではない。
中村さんに対する恐怖であった。
中村さんと関わることが怖い。
そのことの何が怖いかはよくわからない。
ただ、怖い。
怖い。怖い。怖い。
その言葉が何度反芻してみても理解はできなかった。
と。
「橋下さん」
と俺を呼ぶ声が背後から聞こえた。
嫌な予感がした。
背筋が凍った。
が、もう遅かった。
俺は反射的に背後に顔を向け、そうしなくてはいけないと強制されたように
「え?」
と返事をしてしまった。
「あの、私、お金ないので、お昼ご飯、買ってくれませんか?」
「え?」
今度は恐怖ではなく、気が抜けて漏れ出た「え?」だ。
「お金がないんです」
ぐるるる〜と真顔でお腹を鳴らす中村さんはじっと俺を見つめている。
そういえばこうやって話しかけられたのが最初の会話だった気がする。
こんな不思議な人だった。
「もう一度だけ言います。お金がないんです」
そして、俺はここで
「えっと…あぁ…いい…ですよ…?」
と会話したことのない人からいきなりカツアゲされた恐怖で承認してしまったのだった。
◇
もぐもぐ。
「ありがとうございます」
「は…はぁ…」
「おいしいです」
「おぉ…よかった…」
「もうすぐ体育祭ですね」
「あぁ…そういや、そうだな」
そう。俺らの高校は11月に体育祭がある。
「楽しみですね」
「俺はあんまり運動好きじゃないから、別に」
「そうですか」
「うん」
「私はすごく楽しみです。昨日近所の公園で縄跳びをたくさんしました。三重跳びができるようになりました」
「え…すげぇ…俺はできない…」
特に最近は会社勤めで運動していなかったから…。
「…」
「…」
なんの時間だこれ…。
いや、でも当時も話し始めたのはいいものの、こんな感じの気まずい空気になったのは覚えている。
「ごちそうさまです」
「あ、どうも」
もう食べ終わったらしい。
空の発泡スチロールでできた弁当箱を持って、ゆったりと立ち上がった中村さん。
「私そろそろ行きますね」
あぁ…そうだ…俺はこの先の未来を知っている。
確かこの後、体育祭ではしゃぎすぎた中村さんは風邪をひく。
風邪をひきながら、精一杯自分のチームを応援していた中村さんをふと思い出した。
その後、寝込んで学校を何週間か休んでいた。
思えば、この時から身体は癌を発症するほど具合が悪かったのかもしれない。
先生から頼まれて、近所に住む俺が中村さんの家に行って、プリント類を渡すことになった。次の日もそのまた次の日も休むもんだから、りんごや冷却シートを買って行った日もあったっけ。親がいた日は部屋に上がらせてもらって、たくさん話をした。他愛もない意義も意味もない話を。
それがきっかけで仲良くなっていった。
…でも、俺はもうこれ以上、この人と関わってはいけない。関わったら、お互い寂しいだけだ。
だから、俺は言ってしまった。
「風邪ひくなよっ!」
と。
俺はこんな事を当時もちろん言っていない。
この発言をしたことで、未来が変わったとしても、中村さんと俺が悲しい結末さえ迎えなければ、どうなろうとも構わない。
いきなり支離滅裂な言葉をぶつけられて俺なんかとは「もう関わりたくない」ってちゃんと思われただろうか。
しかし、中村さんは
くるり。
と振り返り
「はい。ありがとうございます」
と笑ってみせた。
その笑顔は見るもの全てを恋に落とすような素敵な笑顔で。
なんだこの笑顔は。
中村さんはこんな顔をする人だったっけ。
知らなかった。俺はまだこの人のことをよく知らなかった。もっとよく知りたかった。でも、そんなことは思ってはいけない。
もう俺はこの人のことを好きになってはいけない。
でも、無理だ。
そんなのは。
本当はわかっていた。
由花が俺に癌のことを言わなかったのは、俺が受験勉強を頑張って、国公立大学を目指しているということを普段から由花に話していたから。
そんな俺の受験勉強を邪魔しないように集中させようとしてくれた由花の優しい嘘。
だから、俺が悪い。
俺は嫌われたくないんだ。中村さんに。この人に嫌われたくない。
本当に嫌われたいのなら暴言を吐き捨てたり、気持ちの悪い言動をしてみたり、もっと良いやり方があったはずなのに。
俺は笑った。
中村さんも笑った。
運命の出会いとか、そんなものは知らないけれど。
幸せの掴み方なんてのも、分かるはずもないけれど。
二人で笑い合う未来。
そんな未来をこの人と一緒に歩みたかった。生きたかった。
この人と一緒にいたい。
ただただそう思った。
読んでいただきありがとうございます…✨
過去の恋は呪いになりやすいですね…そういうものが書きたいです…✨




