6話 襲撃
おしゃべり先生が部屋を出ていくとサーシャは彼に渡された鏡を使って自身を確認した。
「ちょっ…えっ?」
鏡の向こうにいるのは、おとぎ話に出てくるような女の子だった。腰まで伸びた髪。瞳は氷を閉じ込めたような澄んだ青。歳は18くらいである。彼女は、有るとも無いとも言えない胸を持っていて、白い病院服に身を包んでいた。
元のサーシャとの共通点なんて人間であることくらいしか無い。「夢に違いない」そう思ったサーシャは頬をつねったり叩いたりしたが、罪悪感と痛み以外何も感じなかった。
サーシャの触れた肌は今まで慣れ親しんだものではなく、身体の感触も他人から借りている身体な気がする。今見ている景色すら自身の体験としてではなく、スクリーンに映された映像を見ているようだ。
現状を飲み込む事が出来ないサーシャは、一旦心を落ち着かせるためにグラウンドでゼクレス教官にしごかれてる分隊の皆の姿を近くで見に行くことにした。そうしてサーシャは病室を後にした。
「おーい。サーシャくーん。」
「先生。どうしたんですか?」
病棟の一階でまた話しかけてきたおしゃべり先生はサーシャに「しっかり動ける?」だったり「無理しないようにしなさいよ。」とか言っていた。
「お気遣いありがとうございます。」
そう言ったサーシャはリハビリを兼ねて演習場の側のベンチに向かうのだった。
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「おい、お前聞いたか?」
「あぁ。あの人が私達を邪魔した犯人でしょうか?」
「多分そうだ。俺らに説教しに来た指導役は確かにサーシャって言ってたぞ。」
おしゃべり先生とサーシャの会話は、近接訓練にてボロボロにされて病棟に来ていたあの時のナンパ男達に聞かれていました。
「名前からして恐らく同一人物ですよね。どうします?私達で教育してあげましょうか?」
「勿論だ。アイツのせいで指導役にボコボコにされたんだ。それにあいつの持っている懐中魔導器も売れるはずだしな。」
「そうですね。しかし私達を邪魔したのがあんな華奢な女性だったなんて…。屈辱です。」
爪を噛みながらサーシャに怒りを向ける男。彼はサーシャが女になったことを知らず、女にナンパを邪魔されたと思っているようだ。
「この前みてぇに夜一人になったタイミングを狙うぞ。丁度今日は夜間射撃訓練で見回りも少ないはずだ。」
「了解です。報告されないように写真撮っておいたり、顔隠したりして対策しとかないといけませんね。」
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演習場ではサッカーをしていました。サーシャ隊の皆を探してみると彼らは試合の最中だった。
「カール!パス!」
そう言ってカールにボールを流すバルツ。
「任せんしゃい!」
思いっきりゴール向けてにボールを蹴るカール。
「まっ…待って…。」
「ほら〜パプスト頑張れ〜。」
皆になかなか追いつけず後ろの方を走るパプストと応援するヴォルフ。
皆楽しそうにサッカーを楽しんでいた。サーシャも「あの中に入って一緒にサッカーをできたらどれだけよかっただろう。」と考えていたが、サーシャは今までとは異なる身体である。その身体で動くとすぐにバテてしまうだろう。故に大人しく演習場のベンチで観戦するくらいしかできなかった。
夕方になり、サッカーが終わると皆は夜間射撃訓練のために射撃場に行ってしまった。サーシャも流石に暗くなって来たので運動がてら演習場を散歩してから食堂に向かおうとした。
さっきまで皆がサッカーをしていた場所には石灰で四角くコートを描いてゴールの代わりに枝が両端に立てられていた。サーシャはコートの端から端まで走ってみようとしたが、最後の方にはパプストのようにバテてしまった。
そうやってリハビリがてらの2時間くらいの散歩を終えたサーシャは医療棟病室に戻るため演習場から出た。その時二人の男が現れた。
「俺たちの事覚えてくれてますか?」
片方が笑い声混じりにサーシャに問いかけるともう一方もつづけた。
「もちろん覚えてくれてるよな?サーシャちゃん。」
顔も声も性別すら変わってるサーシャの名前を知っているのは魔導濃度調整の時の人くらいしか知らない筈だ。それなのに二人がサーシャの名を知っていた。
「なっ…なんで分かった!」
「まぁそんな事はどうでもいいんですよ。」
「あんたが、あの夜ナンパの事チクっただろ?そのせいで俺等のとこに指導役が来て面倒だったんだ。」
「ほら、見ますか?」
「あの痣、痛そうだよな?そうだろ?だからちょっとした復讐なんだ。協力してくれよな。」
「安心してください。おとなしく私達の言うことを聞いてたら女性相手にそこまでひどいことはしませんよ。」
恐らく病棟で名前を知ったのだろう。その名前が指導役の漏らした名前と一致していたから襲ってきた。そんたところだろう。彼らはナンパを妨害したときの男の姿を知らないから元々女だと勘違いしてるのも頷ける。
そうやってサーシャは落ち着いて状況整理をするも、一つ無視できない大切なことがあった。
今の状況ではこの二人に絶対勝てない。たとえ一人が相手でも体力が落ちた上に少女になってしまった私には力で圧倒的に不利だ。魔法を使うのにも十数秒必要なことを考えると今のサーシャに残された選択は逃げる事しかない。
だからサーシャは二人から逃げた。力いっぱい逃げた。でもだめだった。大柄な二人に直に追いつかれてしまったサーシャは二人に腕を掴まれてしまった。
「こらこら逃げちゃだめですよ。」
「ほら。こっち来い。」
私の腕を掴むその冷たい手から伝わりました。絶対勝てない相手だと。
「辞めて下さい!」
「おー。随分抵抗するじゃねぇか。最初から面倒事に女が手ぇ突っ込むんじゃねぇよ。」
「君にはあの時の女の子の変わりになってもらうだけですから。」
「あんたらみたいなのに負ける訳無いだろ!」
サーシャは絶体絶命のその状態でも威勢良く彼らに噛みついた。しかし彼らにとってサーシャはただの獲物。もう狩りは終わっていて後は捕食するだけなのだ。
「おい!お前こいつの腕持ってろ。今主導権を握っているのが誰が丁寧に教えてやるよ。」
「あいよ。任せな。」
そうして叩き込まれた拳は魔導服の保護機能を貫通してサーシャの腹部に大きなダメージを与えた。そして、そのせいでまともに動けないサーシャは彼らに従しかなくなってしまいました。
「魔導候補生サマって随分と綺麗な服着てるんですね。私達一般兵とは大違いです。」
優男野郎がサーシャの魔導服に冷たい大きな手をかけた。そうしてサーシャの肌は温もりを失い、自身の孤独を思い知り、何者にも理解できないであろう屈辱と恐怖を味わうことになった。さっきまでそこでサッカーをしていた隊の皆を包んでいた温かく柔い世界と真逆の冷たく肌を刺すような非情な世界がサーシャの周りには広がっていた。全てに見放されたような気がして涙がこぼれそうになるも、それをグッと堪えたのだった。
弄ばれる感覚。
口の中に広がる敗北の味。
突如襲う吐き気。
体を貫く鈍い痛み。
皮膚の下を這う不快感。
荒い息遣い。
勝ち誇ったように笑う声。
それらすべてがサーシャを襲い、意識と尊厳を奪っていったのです。




