24話 夜間警備
サーシャは鉛の様に重い身体を起こして夜間警備の準備をする。九月下旬と言っても午後九時の南部地方は防寒具が必要な程に冷え込み、布団から出たサーシャの身体を冷たい外気が刺す。
サーシャは軍服の上からベルトを強く締めると、左胸に懐中魔導器を吊るした。腰には父から受け継いだMerwin & Hulbertを準備した。勿論バレルを握って回し、弾の確認をすることも欠かさなかった。
来賓が来ていることもあり、帽子は略帽ではなく制帽である。長い髪を後ろへ流して制帽を被る。鏡に映る姿は、かつてのサーシャに残る男心を刺激するほどに凛としていて、威厳に満ち溢れていた。サーシャは懐中魔導器や制帽を微調整した後、外套を着用してベルメールの分隊の部屋へ向かった。
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―コンッ
サーシャはベルメールの所属する分隊の部屋に到着した。ドアを軽くたたいてベルメールを呼んでもらった。
「ベルメール君は居るかな?ちょっと呼んできてくれ。」
「はっ!上官殿!」
サーシャを迎えた分隊員はサーシャの制帽を見ると、すぐに背をピンと伸ばして額に手を当てた。
分隊員が部屋の奥にベルメールを呼びに行くと微かに会話が聞こえてきた。
「…お前いつの間にサーシャ小隊長と繋がってたんだよ。」
「違うわ。夜間警備のバディだよ。」
「何だよ…びっくりして損したわ…。」
サーシャは微笑ましい会話を聞きながらベルメールを待った。
「ベルメール準備完了です!」
ベルメールが張り切って部屋から出てくるとサーシャは外套のボタンをしっかりと閉めてあげた。
「着るならボタンは閉めようね。」
「すっ…すみません。」
ベルメールの身なりも整うと、サーシャはGewehr 98を手渡した。
「あっ。ありがとうございます。」
サーシャはランタンを左手に持ち、ベルメールはGewehr 98に銃剣を取り付けて背中に担いだ。
「今日の警備は訓練棟とその周辺だよ。着いてきて。」
サーシャが先頭を歩き、その後ろに小銃を持ったベルメールが続く。消灯され就寝時刻を過ぎた頃には棟全体が静まり返り、ランタン無しには警備なんて出来たものではない。
「棟の外も、めちゃくちゃ暗いですね。スパイじゃなくて幽霊でも出たらどうします?」
ベルメールは軽く冗談を言った。しかし二人の間の空気はしばらく震えなかった。
「サーシャさん?急に止まって…。」
ベルメールがサーシャの様子を伺おうとした時の事だ。サーシャは足元から崩れ、地面に倒れ込んでしまった。
「サーシャさん!?大丈夫ですか!?」
静まり返る訓練場にベルメールの声だけが響いた。ベルメールはサーシャの体を揺らしてサーシャを起こそうと努める。するとサーシャは倒れた身体を起こして茂みの奥を指差す。
「誰かは分からないが人影があった…。すまない…私が気付いたことを悟られたのかも知れない。魔法かは分からないが、何かしらの方法で無力化された…。気をつけろ相手はかなりの手練だ。」
「体調の方は大丈夫なんですか…?」
「大丈夫だ。こっちも魔法を使って追うぞ。」
サーシャは外套と軍服を引っ張り、首元に携帯魔導器を突き立てた。魔導器が淡い光を放ち、カチンッと音を立てると、サーシャとベルメールは身体が羽根のように軽くなった錯覚を覚え、ランタンの光が届かない先まで見えるようになった。
「これが魔法…ですか…?」
「そうさ。魔法が切れたら反動が来る。それまでに片付けるぞ!」
サーシャとベルメールは武器の取り扱いを邪魔する外套をその場で脱ぎ捨てて、走り出した。
(恐らく相手は魔法が使えるスパイだ。一人かは分からないが多くても二人だろう。目標は来賓館の西部方面軍幹部の命か?危険な賭けだが来賓館に先回りするか。)
身軽なステップで来賓館までの最短通路を駆け抜けた。
「ベルメールは警備室へ行ってこい。私はここで奴を待つ。」
「了解です。くれぐれも無理はしないでください!」
サーシャは腰のMerwin & Hulbertを抜き、構えた。
ベルメールが警備室に応援を要請した頃だ。再度サーシャは強烈な目眩に襲われた。今回は身体強化魔法を使用しているので気を失うことは無かったが依然として危険な状況だ。
「マレイストも魔法を投入してきたか…。」
―ガゥンッ
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応援の警備係が掲げたランタンの光が、二つの人影を浮かび上がらせた。一つは地面に倒れ込み、腹部を押さえて身をよじらせている影。しかし違和感がある。どちらもサーシャより大きな影だ。
ベルメール達が駆け寄った瞬間に、ランタンが現実を照らし、背筋が凍った。
地面に倒れていたのは、腹部を撃ち抜かれ、血を滲ませながら喘ぐ男だ。グレムシアの軍服を着ているが顔立ちから分かる。異国のスパイだ。
そして、立っている男も同じくグレムシアの軍服を着たスパイ。彼はサーシャの後ろに立ち、こめかみに拳銃を押し当てていた。
拳銃を押し当てられるサーシャの息遣いは荒く、途切れ途切れに息をしていた。軍服は汚れ、膝が僅かに震えている。
身体強化魔法の反動だろうか。サーシャが反撃できる状態でないことは、ベルメールにも一目で分かった。
「サーシャさん……!」
サーシャの返事はない。代わりに帰ってきたのは低く鈍い声だった。
「動くな。」
「それ以上近づけば、この女の頭を吹き飛ばす。」
ベルメールは、小銃を構えたまま動けずにいた。
「…西部方面軍の幹部は諦める。」
男は淡々と続けた。
「しかし成果が無いのも困る。代わりに価値のあるものを持っていく事にした。魔法を使える将校。生きたままなら、十分だ。洗脳でもして海洋戦線に投入出来る。」
サーシャが力を振り絞って命令する
「ベルメール君…撃て…。私ごと…。」
小銃に添えられたベルメールの指が、引き金の上でカタカタと震える。
(覚悟を決めろ…。ベルメール…。自分の好きな人だろう。助けたいのだろう。迷うな…。)
男の腕がサーシャを引き寄せたその瞬間。
―ガゥンッ
乾いた銃声がサーシャの左腕と、その後ろに隠れたスパイの胸を貫いた。
サーシャの左腕ごと。
心臓だった。
男の動作は錆びた鉄の機械の様にぎこちない動きになり、拳銃手を滑り、音を立てて地面に落ちる。
―ガキンッ…ガチャッ…
続け様に地面でもがくスパイの頭にも鉛玉を喰らわせる。
スパイの二人は沈黙し動かなくなった。
ベルメールは銃を下ろし、サーシャに駆け寄る。
「サーシャさん!!」
膝をついて動かないサーシャの左腕からは、血が流れている。だが、意識ははっきりしていてベルメールの手を握って褒めた。
「カッコいいじゃん…。自慢の部下だよ…。」
苦しそうに、ニコッと笑う。
「私よりずっと強いじゃないか…。」
ベルメールは震える手でサーシャを支えた。
「すみません…!サーシャさんごと…!僕の手でサーシャさんを…!」
ベルメールは自身の決断を後悔していたが、サーシャは首を振ってベルメールを認める。
「違うよ…。君は…私を助けてくれたんだ…。」
遠くで、警報の笛が鳴り響くが二人の耳には届かない。
二人が乗り越えた夜は、共に一生忘れられないものとなった。




