大嫌いな婚約破棄をラッピングしたら
いつか、母は言った。
『レナード。もし好きな子が出来たら、綺麗なお花と可愛いお菓子をあげなさい。女の子はね、それが一番喜ぶのよ』
じゃあ僕は、汚い雑草と不味いお菓子をあげよう。
そう思った。
女なんて大嫌いだから。
勝手に近付いて、勝手に泣く。
人の邪魔をしておいて、謝りもしない。
一言挨拶を返しただけで、しつこくつきまとう。
物心ついた時からこんなのばかりで、うんざりしていた。
本当は一生結婚なんかしたくない。
でも、侯爵家の一人息子という責任からは逃れられない。
それならば、思慮深く適度な距離を保てる、そんな女性を妻に迎えたいと思っていた。
八歳の時。うちの屋敷に、どこかの夫婦と小さな女の子どもがやって来た。
『一緒に遊んであげなさい』と言われ、渋々二人で庭へ出る。まとわりつかれると面倒なので、その辺にいた足が沢山生えている虫を捕まえ、小さな手のひらに置いた。
これでどこかへ行ってくれるだろう。そう思っていたのに……
『ありがとう!』
女はそういうと、僕の隣に座り、にこにこと虫で遊び始めた。
……何だこいつ。
今度は雑草を根っこごとぶちぶちと引き抜いて、栗色の頭にかけてみる。けれど、嫌がるどころかきゃあきゃあ喜び、逆にもっと! とせがまれてしまった。
他にも泥団子をぶつけたり、不味い木の実を食べさせてみたり。色々やってみたけど、楽しそうにするばかりでちっとも響かない。
『まあ、仲良く遊んでくれてありがとう』
『本当に。いつも本を読んでばかりのレナードが、こんなに服を汚すなんて。うふふ、よっぽど楽しいのね』
挙げ句の果てには、そんな風に誤解されてしまう。
『お兄ちゃんに可愛い虫さんもらった~』と笑う女を、ニマニマと抱き締めるうちの母。
……嫌な予感がした。
それはすぐに的中した。
女は僕の婚約者となり、頻繁に屋敷に遊びに来るようになってしまったのだ。
何をしても喜ぶなら、逆に何もしないことに決めた。つまり、徹底的に無視し、かかわらないようにしようと。
それでも女は、本を読む僕の傍を離れない。土から虫をほじくり出して遊んだり、草の上を意味もなく転げ回ったり。
笑い声はうるさいが、勝手に遊んでるなら別にいいかと放置しておくことにした。
静かだなと思えば、いつの間にか勝手に寝ていて。女の母親から預かっているブランケットを、すやすやと上下する腹にかけてやった。
自分が子供なら、女はまだ赤ん坊だ。たったの三歳差とはとても思えないコレと、いずれは結婚するだなんて……全く想像出来なかった。
まあでも、赤ん坊は女ではないから。そんなに警戒しなくても平気だろうと、適当に相手をしてやることにした。
十一年の月日が流れ、僕は十九歳、女……ミアは十六歳になった。
来年、ミアが成人したら結婚する予定だが、僕達の関係は幼い頃から何も変わっていない。
……いや、少しだけ変わったかな。
僕が本を読む隣で、いつからか、彼女も本を読むようになった。頭はあまり良くないから、多分勉強の類いではないと思う。
最近では、メイドがおやつを運んでも気付かないほど集中しているので、つい「何を読んでいるんだ?」と訊いてしまった。
すると彼女はパッと顔を輝かせ、「婚約破棄モノよ! 」と叫ぶ。
婚約破棄モノ? 何だそれ。
訊かずとも、ミアが勝手に語り出す。
なんでも、婚約者から理不尽な理由で婚約破棄をつきつけられた令嬢が、隠れた才能を開花させたり別の男に見初められたりして、幸せになるストーリーなんだとか。
「……それの何が面白いんだ?」
「最初はどれもね、『◯◯! お前を婚約破棄する!』から始まるんだけど、その先にどんなストーリーが待っているか、どんなハッピーエンドが待っているのか。それにわくわくするの。今読んでいるのはね……」
苺のマフィンを頬張りながら、熱く語り続けるミア。
どれだけ聴いてもさっぱり良さが分からないが、とにかく婚約破棄モノが好きなのだということはよく分かった。
おやつを食べ終わるや否や、赤いジャムを口にくっつけたまま、本に戻ってしまうのだから。
なんとなく面白くなくて、赤ん坊みたいな頬を掴んでこちらに向けると、ハンカチで少しだけ乱暴に拭く。
初めて会った日と同じ笑顔で……少しだけ綺麗になった笑顔で「ありがとう」と言うと、彼女はそれきり本に視線を落としてしまった。
その翌週、天気が良かったので、久しぶりに外で読書をすることにした。
芝生の上に敷物を敷いて腰を下ろせば、ミアもちょこんと隣に座る。哲学の本を掴む僕より早く、彼女も例の本を開き、そちらに夢中になってしまった。
何も言わなくても、いつも当たり前に付いてきて、当たり前に隣にいる。
何もしてやらなくても、いつも勝手に何かをして、勝手に笑っている。
幼い頃から変わらないその関係が、何故か最近退屈に感じ始めていた。
仮にも婚約者なのだから。
我が儘を言って泣いたり、本ばかり読む僕を邪魔したり、しつこく話しかけたり。
たまにはそんな面倒なことがあってもいいんじゃないかと思う。
僕は本を置くと、いつかのように雑草を根っこごと引っこ抜く。これを頭にかけたら……と考えるも、すぐにバカらしいと放り投げた。
退屈な婚約者を放置して、自分だけ本に夢中になっているなんて。やっぱり面白くない。
長い栗色の髪をつんと引っ張ると、赤ん坊みたいな瞳がやっとこちらを向いた。
「なあに?」
「……つまらない」
「ご本は? 読まないの?」
「……飽きた」
「そうなの。じゃあお部屋から、新しいご本を持って来たら?」
「本はもういい。池まで散歩に行く」
庭の端にある、橋の掛かった広い池。
幼い頃から、よく二人で散歩をしていた。
透明な水を、すいすいと泳ぐ魚が心地好くて。橋の上から静かに眺める僕の横で、ミアは魚達に餌を投げては、キャッキャとはしゃいでいた。
きっと彼女も好きな場所。喜んで付いて来るかと思ったのに……
栗色の眉を困ったように下げ、こう言った。
「ごめんなさい。第一章まで読んでからでもいい?」
「……別に。一緒に行くだなんて、一言も言ってないけど」
僕は苛々と靴を履くと、一人でずんずん池へ向かう。
ああ、面白くない。
婚約者より本を選ぶとか、あり得ないだろう。
大体何の為にこうして毎週会ってると思っているんだ。来年には、僕達は夫婦になるんだぞ!
誰もいない隣がやけに寂しくて。キラキラ光る水面を見ても、少しも心は晴れなかった。
そのまま外でおやつを食べて、少し部屋に寄ってから帰ったミア。
さっきまで彼女が座っていた椅子をふと見ると、その下にピンクの何かが落ちていた。拾ったそれは、カバーがかかった一冊の本。彼女が婚約者そっちのけで読んでいた、あの憎たらしい本だった。
敵を倒すにはまず敵を知ることから。
椅子にドカッと腰を下ろすと、戦闘態勢でそれに臨んだ。
「……分からない」
一時間後、僕は本をそっと閉じた。
何がいいのか、何が面白いのか、さっぱり分からない。
まず、何で公の場で婚約破棄を宣言するんだ? 正式な手順を踏んでから、文書を送るのが常識だろう。
所詮フィクションだ、演出だと言い聞かせ進んでいくが……それでもさっぱり理解出来なかった。
何故都合良く次の男が現れる?
何故すぐにそいつを好きになる?
何故……
言い出したらきりがない。
……もし僕に婚約破棄されたら。ミアも、このヒロインのように、別の男とあっさり結婚するのだろうか。
そんなことを考えれば、ますます婚約破棄モノとやらを好きにはなれなかった。
いや、むしろ大嫌いになってしまった。
それから少しして、ミアの誕生日を迎えた。
子どもの頃は屋敷で祝っていたが、僕が十五歳になってからは、毎年二人きりで街へ出掛けている。食事をして、どこかで遊んで、お茶をして帰る。大体そんな流れだ。
今年もレストランで食事をし、プレゼントを渡す。
綺麗な花に可愛いお菓子、それとパールの付いた蝶のネックレス。虫だろうが草だろうが、昔から何でも喜んでくれるのだから。プレゼント選びは苦ではなかった。
レストランを出ると、近くの劇場へ向かう。
今年は観劇しようと思って、予めチケットを取っておいたのだ。
有名な歴史小説を元にした舞台。恋愛描写もある為、女性も退屈しないだろうと選んだ。が……
エントランスは、想像以上に若い女性達で溢れ返っている。
……何だこれは。
劇場の看板を見れば、今日はメインホールで例の歴史劇、サブホールではなんと婚約破棄モノの劇が上演されるらしい。
あんな安っぽいストーリーでも劇になるんだな、と内心毒づく自分の隣で、ミアはきらびやかな看板に目を輝かせている。
「……観たいのか?」
そう尋ねれば、ミアは少しの間の後、ふるふると首を振った。
「ううん。レナード様が取ってくれた劇が観たいわ」
きっと本人は気付いてないだろうが、ミアは嘘が吐けない。というより、素直すぎるほど素直な為、たまに嘘を吐いた時にはすぐ分かってしまう。
今も明らかに、『歴史劇ではなく婚約破棄劇が観たい』と。そう顔に書いてある。
「ちょっと待ってて」
僕は、これからチケットを買おうとしている年輩夫婦の元へ向かうと、自分の持っているチケットと紙幣を交換し、別のカウンターへ並ぶ。
そこで新しいチケットを二枚購入すると、ミアの元へ戻り、一枚を手渡した。
「これ……!」
パッと顔が輝くと同時に、申し訳なさそうに眉を下げる。
「取ってくれたチケットは?」
「別の人が買い取ってくれた。いい席だったから、喜んでくれたよ」
「……いいの?」
「うん。せっかくの誕生日なんだから。好きなものを観た方がいいだろう? 後ろの席だから、少し観づらいかもしれないけど」
ミアの顔には、泥団子をぶつけまくったあの時みたいな、満面の笑みが浮かぶ。
「ありがとう!!」
キャッキャと喜び、ギュウとしがみつかれる。
……うん。婚約破棄も、悪くはないかもしれない。
栗色のつむじに軽く唇を落とすと、そのままさりげなく肩を抱き、薄暗いホールへと向かった。
案の定、舞台はつまらなかった。
だけど隣にミアがいて、楽しそうにしてくれるなら。それだけで特別な時間に思えた。
一緒に舞台を観たあの日から、僕は婚約破棄モノの小説を読み漁った。
政治、復讐劇、推理……始まりは同じでも、なかなかバラエティーに富んでいて。
何より彼女を笑顔にしてくれるものだと思えば、少しずつ苦手意識が薄れていった。
そんなある日、新作を買おうと立ち寄った本屋で、ふと一枚の貼り紙に目が留まる。
『舞台化もされた “ 歌う婚約破棄 ” が大ヒットのキャマーナ氏、待望の新作! 明朝9時より、サイン入り単行本と、記念グッズを先着100名様に販売』
舞台化もされた “ 歌う婚約破棄 ” ……ああ、この間ミアと一緒に観たやつか。その作者の新作、しかも限定グッズ付き。きっと喜ぶに違いない。
店員からどの程度の人気かをリサーチすると、僕はお宝を入手すべく、一気に戦闘態勢になった。
翌朝、4時に本屋に着いた時には、もう長蛇の列が出来ていた。
これは……読みが甘かったか……
微妙な位置に並ぶと、ドキドキしながら開店を待つ。
9時、開店と同時に、店員が客をさばいていく。一人、二人……と、ほくほく顔で店から出てくる客達。
何とか95番目にお宝を入手出来た僕は、ミアの笑顔を思い浮かべ、天にも昇る心地だった。
家に帰るとそれらを綺麗な袋で包み、可愛いリボンで結ぶ。
うん、初めてのラッピングにしてはなかなか上出来じゃないか? と頷いた。
数日後、ミアが屋敷にやって来るなり、すぐにそれを渡した。
どのタイミングで渡そうか悩んだ末、最初から幸せな気持ちで一日を過ごしたいと考えたからだ。
「わあっ……素敵!」
ラッピングに目を輝かせるミア。中身はもっとすごいぞ、ほら、早く開けてとわくわく待つ。
「あっ…………」
取り出した本を見るなり、彼女は微妙な顔を浮かべる。続いてグッズを取り出すが、やはり表情は冴えない。
「嬉しくない?」
ストレートに訊いてしまう。ミアは慌てて笑顔を作ると、「ううん! 嬉しい! ありがとう 」と嘘を吐いた。
「それ、好きじゃないの?」
誤魔化せないと思ったのだろう。栗色の眉毛を可哀想なくらいに下げると、しどろもどろに答え始める。
「ううん、好きじゃなくないの。むしろお話はすごく面白くて……」
「もう読んだのか?」
「うん。雑誌で連載中に読んだの」
「ああ、だからもう単行本は要らないのか。……グッズも?」
「ううん! 雑誌で読んでも単行本は欲しいわ。グッズも……この手鏡もコームも、すごく可愛いし」
じゃあ何故? と首を傾げる僕に、彼女は泣きそうな顔で口を開く。
「悲しくなるの……このお話」
「え?」
「だって婚約破棄を宣言する令息が、レナード様そっくりなんだもの。見た目も、身長も、名前まで同じで。だから、自分が婚約破棄された気になって、すごく悲しくなってしまうの」
「……僕に婚約破棄されたら悲しいの?」
「もちろんよ! 小さい頃から好きなのに。虫をくれた時から、ずっとずうっと大好きなのに……う、うっ、うえぇん…………!」
キラ、キラララン☆
心の水面に、鮮やかな魚がパシャリと跳ねる。
水色にピンク。
ははっ、何て美しい景色なんだ!
まるで僕が選んだラッピングみたいだな。
泣きじゃくるミアを抱き締め、 赤ん坊みたいな背中を優しく撫でる。
やがて落ち着いたのか、潤んだ瞳で見上げる彼女。
腰を屈め、涙で濡れた唇に、熱い想いを落とした。
……うん。婚約破棄、最高かもしれない。
◇◇◇
ミアが十八になった誕生日に、僕達は夫婦になった。
共に食事をし、共に眠り、共に起きる。
それがただ繰り返される、最高の毎日だ。
夜、濡れた栗色の髪を、柔らかなタオルで乾かす僕。赤ん坊の世話は色々あるけれど、この仕事は特に誰にも譲れない。
タオルのもふもふの下で、ミアは新しい本を開いている。
ふふ、楽しそうだな。
綺麗な髪に唇を落とし、終わったよと声をかけると、可愛い笑顔がくるりとこちらを向く。
「ねえ、このお話、すごく面白いわ!」
「婚約破棄の新作?」
「ううん! 白い結婚!」
ありがとうございました。