邪竜、襲来
「総員起床!総員起床!最悪の古竜が!邪竜デスペラードが来たぞ!」
部屋の外では、そう逼迫した声が聞こえる。隼人はその騒がしさに目を覚ました。
「……一体なんだ?」
隼人が窓から外を見てみると、なんと地平線の一部が青白く燃えていた。正確には、数キロ先にある別の守備基地が炎上していたのだ。それも青く。
「……!またワイバーンか?でも、火が青いような……」
隼人が窓を開けようとしたとき、部屋の扉が勢いよく開いた。
「ハヤト!いるか!」
それはシルクだった。シルクは隼人を見るなり、壁にかけてあったパイロットスーツ一式をひっつかむと、隼人に押し付けた。
「着ろ!ハヤト!」
「着るって……またワイバーンが?」
「違う!そんなもんじゃない!邪竜が、邪竜が来たんだよ!相手は国家クラスの力を持つ古竜の中でも最強、邪竜デスペラードだ!」
コルクは困惑するハヤトに、何とか事の重大さを伝えようとしていた。
「もう首都の予備軍10万が迎撃のため動員されている!それくらいの相手だ!」
「そ、そんなに!」
「ああ、だからこれを着て、F-2に乗って首都に逃げろ!あそこなら結界が守ってくれる!」
「で、でも再離陸にはAPU(補助動力装置)が……」
「仕組みは分かってる!だからこれを持っていけ!制御術式は簡易だが刻んでおいた!」
隼人はシルクから半透明の石を渡されると、背中を押され、格納庫へと走り出した。
「……またな、ハヤト」
その頃、上空2000メートルでは、どす黒い鎧を着こんだ人型魔族が、これまたどす黒い巨大な竜の頭に立ち、青い炎を纏って燃える守備基地を睥睨していた。
「ふん。くだらんな」
そう吐き捨てる彼の目には、炎から逃げ惑う生存者たちの姿が詳細に映っていた。
「久方ぶりにワイバーンが堕とされたと聞いて赴いたが、やはりマグレか。どのような魔術を使ったか知らんが、往く先々にそれらしいものは無し。飛行機械とやらも、相変わらず吹けば消えるような脆弱ぶり。やはり奴等が空で我等に勝つことは永劫訪れぬだろう。」
魔王軍将軍、ゼロス・タルコスは兜を霞のように消すと、魔防壁も展開せずその顔を晒した。その顔はおよそ人とは形容しがたく、ツンと尖った耳に白い髪と灰褐色の肌、そして暴力的なまでに鋭い瞳は血のような赤に染まっていた。
「虫ケラどもめが。余が往く手間をかけさせおって」
(駄賃代わりに首都を取り巻く基地を全て落としてくれるわ)
ゼロスはデスペラードに命じると、次なる目標を定めた。
そして首都でも、邪竜襲来の報せを元に、迎撃部隊が編成され始めていた。
「ゴリアテ中将!よろしいでしょうか!」
ゴリアテと呼ばれた男は、窓から目を逸らし、2メートルもあろうかという屈強な体と、気品と野性にあふれた漆黒の毛並みを揺らしながら部下を見下ろした。
「なんだ」
「首都航空隊の編成が終わりました!何時頃出撃させましょうか」
「ふむ、航空隊か」
ゴリアテは腕を組み、思考した。その顔は、まるで狼の様に、いや、狼そのものであった。それもそのはずで、彼は軍上層部唯一の、獣人であった。そしてゴリアテはこれまた大きな尻尾を少し動かすと答えた。
「……そのまま待機させろ」
「よろしいのですか?」
「結果は目に見えている。ワイバーンでさえ危ういのに、よりにもよって邪竜とゼロスと戦わせるなど、わざわざ兵を死にに行かせる様なものだ。南方前線の例もある」
「その通りでございます……」
部下は悔しそうに同意した。
「ではその様にしたまえ。それと、聖騎士団の方はどうだ」
「法儀礼が終わり次第、長弓隊から出撃できるかと」
「うむ、認識した。下がっていいぞ」
「は、」
部下を下がらせてゴリアテは、はるか遠くに見える青白い光を見つめ、思わず呟いた。
「……ゼロスめ。2度も単騎で首都近郊まで攻め入るとは、どれだけ我々を舐めれば気が済むのだ…!」
そしてゴリアテは、人の頭を掴んで潰せるほど大きな掌を強く握り込んだ。その拳には、彼にしか計り知れない憎悪が込められていた。
格納庫に辿り着いた隼人は、肩で息をしながらもその扉を開け、パイロットスーツを着た。
(スクランブルと同じ要領だ。それを1人でこなす…!)
スーツを着た隼人は、機体を時計回りにぐるりと回り各所の異常が無いか点検した。
「異常、ナシ!」
そして折りたたみ式のタラップを展開すると、機体上部を点検したのち、キャノピーを開けて操縦席に乗り込んだ。隼人はヘルメットを被りながら考えた。
(機体に異常は無い。でも、どうやってエンジンを始動させる?)
隼人がそう思った時、ふと胸に違和感を感じた。
(……胸が熱い?)
それは、胸ポケットに入れた半透明の石だった。石は先ほどとは変わって発光し始めており、さらに熱を帯びていた。
(一体なんなんだこの石……それに、何か紋様のようなものが刻まれている)
その時、周囲に違和感を感じた。周りの景色が動き始めたのだ。それはつまり、機体が前進を始めたのだった。
「な、なんで1人でに!」
戸惑う隼人をよそに、今度はメインエンジンが始動した。
(まさか!補助電源も圧縮空気も無しで……)
一瞬の間、隼人は気付いた。
(……そうか!この石、魔結晶だ!それにこの紋様は魔術刻印!恐らくこの刻印によってタービンが始動したんだ!)
そうと分かれば隼人は、ブレーキを踏みつつ主電源がオンになっているのを確認すると、すべての搭載機器の電源を入れ、システムのチェックを開始した。まずAPU系の確認をすっ飛ばしてスピードブレーキの格納を確認すると、油圧計を見た。
(ドンピシャ、40PSI…!コンディションは良さそうだ)
そして警報灯と警告灯に表示が無いのを一瞥すると、最後に射出座席レバーを下げた。
(結構省略したけど……)
「オールクリア」
隼人は遂に機体を始動させた。あって無いような誘導路を過ぎ、滑走路に進入する。
滑走路は相変わらず短く、ガタついていた。側には放置された無人の複葉機が一機だけ。隼人は機体を滑走路方位に正対してラインアップすると、離陸推力をセットして停止した。
(着陸と離陸じゃ訳が違う。F-2はSTOL機じゃ当然ないし。この短さじゃ、アフターバーナーを吹かすしかないか……)
隼人は燃料計を確認する。
(案外残ってるな)
「……よし、行けそうだ」
(やっぱり、中尉にはお礼を言わないとな)
そして隼人は、ペダルブレーキを離すと、操縦桿を優しく引いて離陸姿勢をつくり、スロットルを限界まで押し下げた。その瞬間、エンジン出力は最大になり、アフターバーナーが空気を焦がした。そして、隼人を乗せたF-2戦闘機は離陸した。
(首都はここから北。多分一際明るい点がそうだろう)
隼人は上空1000メートルから雲の下をぐるりと旋回しつつ進路を確認していた。そして、
(中尉や中佐たちはもう逃げ始めているだろうか……)
真夜中でも明るい基地建物からは、今まさに数台のトラックが出発しようとしていた。
(よし、大丈夫そうだ)
隼人は機体を首都に向けると、基地上空から離脱しようとした。その時だった。
突如、青い光が機体を掠めたかと思うと、真下で眩い閃光が走った。
「……!なんだこの光!」
その眩さに、隼人は目を細めながら機体を傾けた。そして絶句した。守備基地は無くなっていた。正確には、消し飛んでいた。大きく抉れたクレーターを青い炎が覆い、トラックは全て薙ぎ倒されて黒焦げに変わっていた。そこに生命の痕跡は無かった。
「は、え?」
隼人は上手く状況が飲み込めていなかった。だが、それも長くは続かない。殴られた痛みが遅れてやってくる様に、隼人は何が起きたのかをゆっくりと理解し始めた。そして絶望した。
(もしかして、みんな死んだのか?シルク中尉も、クリス大佐も、整備兵たちも、みんな?)
信じられなかった。
(今の一瞬で、死んだのか?瞬きするような、なんとも無い一瞬で全員?)
あり得なかった。だが、現実だった。
「ウッ…!」
隼人は思わず嘔吐しそうになった。操縦桿を握る手が震える。隼人は肩で息をしながら、なんとか落ち着きを取り戻そうと、ぐるぐる行き場の無い思考を繰り返した。そしてある一つの事実に辿り着いた。
(あの青い炎……邪竜か?邪竜がやったのか?)
そう、守備基地を消し飛ばし、基地の人間を皆殺しにしたのは、邪竜デスペラードが放ったブレスだった。
不意に隼人は操縦桿を握りしめた。
(邪竜が、中尉たちを…!)
隼人はその時、生まれて初めて激怒した。たった1日の付き合いだった異世界人のために。それは、隼人が初めて戦争というものを認識した瞬間だった。
「よくも、あんなにいい人達を塵のように殺したな…!」
(俺が仇を取ってやる!)
気づくと隼人は、落ち着きを取り戻していた。頭を支配する激情は、隼人の思考にある指向性を持たせたのだ。
(邪竜を殺す!これ以上被害が出る前に!)
隼人は燃料も確認せずスロットルレバーを押し込むと、機首を目一杯上げ、急激な負荷とともに垂直に飛翔した。それは、剥き出しの魔結晶と簡易的な魔術刻印から漏れる魔力の輝きを伴い、神々しくさえある軌跡を残して天を貫いた。その光は、遠く離れた首都にまで達していた。