北方ドーラ前線
新編です
ダルカ地方南部、そこにトーリカ村および北方戦線総司令部はあった。4年前は人口5000人ほどであったこの山合いの農村は強固な陣地に姿を変え、周囲を取り囲む山には観測所と固定砲台が備え付けられている。隼人はそんなトーリカ村の正面ゲートで検問に止められていた。
「……なるほど、確かにタカミネハヤト少佐でありますね。後ろの荷台を確認しても?」
検問の兵士は隼人の身分証を確認する。その後ろの兵士たちは小銃を肩から下ろしている。それを見つつ隼人は答える。
「構わないが、やけに慎重だな」
「道中で潜伏していたゴブリンが取りついていることがありますので、念入りに」
「ああ、この雪に紛れてか……」
魔王軍主要戦力の一角であるゴブリンの特徴は、その多さに加え、130センチほどの身長と、それを活かした俊敏性と機動性。そしてあらゆる環境への高い適応能力であった。そのため、全ての前線においてこのゴブリンは確認されている。
(図鑑でしか見たことは無いが、その脅威は理解できる。それに……)
魔族には恐怖が存在しない。
(それは、魔王から生み出された人工生命であるがゆえの特性。厄介だ……)
それから30分が過ぎようとしていた頃、隼人の乗る自動車の窓ガラスを兵士が叩いた。
「問題ありません。ようこそ、北方戦線へ」
隼人率いるバイパー魔導航空大隊は、まずこのトーリカ村で予備弾薬と魔結晶、そして食糧を補給する。バイパー大隊の車列は、隼人たちを下ろして村の外れの駐車場に移動する。
「それにしても、寒いな……」
隼人は村の広場で、除雪された雪の山を見る。行ったことは無いが、多分北海道ぐらいの雪量だろうか。
「いや、寒すぎますよ!」
レオンは肩をすくめてマフラーに顔をうずめる。元南方戦線所属だった彼にはこの気候は辛いだろう。他の大隊員たちも、広場の隅の焚火で他の兵士たちと暖を取っている。そこに隼人に声を掛ける人物がいた。
「おい、ハヤト少佐!」
隼人が声をする方を向くと、そこには険しい顔をした将校が歩いてきていた。階級は中佐である。
「……!貴方がミュラン中佐でありますか!」
「そうだ。知っての通りロマノフ中将は今お忙しい。そこで副官の私が代わりに君の大隊を担当する」
(ロマノフ中将には会えすらしないか……)
「……よろしくお願いします。ミュラン中佐」
「ああ、よろしく頼む」
2人は握手すると、早速駐車場横の山の山腹にある弾薬倉庫に向かった。その道中、ミュランが尋ねる。
「……大隊は広場に待機しているな?」
「ええ、指示通り」
「そうか……」
「なぜそんなことを?」
ミュランは隼人を一瞥すると言った。
「私もロマノフ閣下も、お前の実力を計りかねているのだ。邪竜を殺した異世界人で、たったの3か月であのグレイストーン大臣に認められるほどの戦闘技術を有している。それに対する私たちの反応は『未知』だ。ゴリアテ中将や賢者様は相当お前に入れ込んでいるらしいが、恐らく多くの前線の兵士たちは、お前を疑っている」
「中佐もその一人だと?」
「はっきり言って、そうだ。信用していない。ましてや、新設の航空大隊のそれも大隊長など……」
我々はあれだけ野砲の増援を申請したというのに……そうミュランは呟いていた。それを聞いていた隼人は小さくため息をつく。
(無理もないか……)
「では、中佐殿やロマノフ中将閣下を納得させる戦果を……」
「納得ではない。予想を超える大戦果をだしてもらわねば困る」
「……了解しました」
そして二人は円形の扉が並んだ弾薬保管庫の一つに入る。そこには、トンネルのような空間の両サイドに、50メートルほど先までズラリと5段積みの木箱が並んでいた。
「手前4列が航空機銃用の7.76ミリ魔導弾薬。一箱4000発だ。そして5列から8列に焼夷弾8発ずつ。9列が魔術式曳光弾1000発入りで、最後に10列目が20×102ミリ機関砲弾1000発ずつだ」
少ないですね、とは隼人も言えない。
「ありがとうございます……」
(さすがに少ないな。ロマノフ中将が出し渋ってるのか?)
そんな隼人にミュランは言う。
「そう気を落とすな。無駄遣いする弾薬が節約できてよかったじゃないか」
「……って言われたんですか?少佐」
その夜、駐車場で焚火を囲みながら、隼人とパイロットの何人かが話していた。隼人は昼間、ドーラ前線についての簡単な説明だけ受けてそのまま雑に放置されていたのだった。当然夜も手ぶらである。
そんな隼人はレオンに言う。
「仕方無いだろう?俺たちの首都での戦果はここまで伝わってないんだから」
むしろ、あの大量のワイバーンを前にして迎撃しなかった臆病者だとか思われていそうであった。だが、レオンたちにはそれが不服である。
「あーあ、これじゃあ前の戦場と同じじゃねえか。誰も俺たちに期待してねえ」
「あの時の戦いぶりを目の前で見せつけてやりたいぜ」
「少佐のF-2を見れば一発だろ」
パイロットたちは口々にそういう。さらにエリオットも、
「僕も昼間にシーカーの油圧系を覗いてたら、後ろからお尻を銃床でつつかれました。『さっさとそのオモチャを持って家に帰れよ、ガキ』って」
クリフがそれに答える。
「そりゃあお前、ガキだからなあ……」
「そうじゃなくて!シーカーを馬鹿にされたのがムカついたんですよ!特にあの魔導エンジンは、最新の術式解釈を盛り込んだいわゆるクラップ変数刻印を組み合わせていて……」
それにグラスマンがクリフを肘でこずく。
「おいクリフ、お前のせいでエリオットの長話が始まっちまっただろうが」
「そうだそうだ、お前が面倒見てやれよ」
みなも同調する。
「はあ?それはグリル大尉の仕事だろ?」
「いや、あのジイさんもう寝る時間だ」
場に笑いが起きる。それを見かねたエリオットが言う。
「ちょっと、最後まで聞いてくださいよ!」
「じゃああと1分で説明しろよ」
「え?じゃあ、ええと……」
わたわたするエリオットに、思わず隼人も笑ってしまう。
「あ!少佐まで僕をバカにして…!」
「いや、ごめんごめん」
隼人は笑いながらも思った。
(どこか懐かしい雰囲気だ。自衛隊か?同じような光景があった気がする……)
だが、思い出せない。隼人は視線を落とす。そこには雪を踏みしめる古めかしい軍靴と、カーキ色の軍服が目に写る。
「やっぱり、ホームシックなのかなあ……」
隼人はポツリとそう呟いた。
翌日、隼人たちはトラックに物資を積み込み、ついにドーラ前線へと移動を開始した。
「これがドーラ平野……」
隼人は窓越しに右側に広がる広大な白い平野を見る。その奥には恐らくドーラ山脈がそびえたっていた。
(あの山脈に氷竜が……)
隼人はその時初めて緊張を覚えた。地図で見下ろすのと、実際に見上げるのとでは実感がまるで違う。
そしてドーラ前線司令部は、ちょうどドーラ山脈とは反対側の森の中にあった。トーリカとは違い、簡素な丸太小屋が二つあるばかりである。隼人は合計19機ある機体を森を抜けた先の飛行場に移動させると、自分は小屋に入った。
「失礼します」
隼人は小屋あらため司令部に入ってまず、その汚さに驚いた。床には泥と雪でぐしゃぐしゃになった作戦図が転がっていた。
(一体いつからあるんだ……)
「高峰隼人少佐およびバイパー大隊、現着いたしました」
それに答えるのは、くたびれた軍服を肩にかけた、無精ひげの男だった。
「はい、どうもよろしく。私がドーラ前線総指揮官、ドリー大佐だ」
「よろしくお願いします」
「聞いたよ、君のウワサ。首都じゃ相当な人気らしいな」
「人気なんて……。我々は一航空大隊ですから」
「なるほどなるほど。まあそれは置いておくとして、マカロフ中将からは何か言われたか?」
「そもそも会う事すらか叶いませんでした」
隼人は正直に言う。ドリー大佐はそれを聞いて腕を組む。
「うーん、そうか。じゃあ中央の独断ってことだな」
「あの……」
「ああ、心配する必要は無い。私は航空機の投入には賛成派だ」
予想外であった。
「ほ、本当ですか!」
「もちろん。確か爆弾を積んで氷竜に体当たりするんだろ?」
「……え?」
「いや、え?じゃなくて。あの複葉機の新しい運用法って、それしかないだろう?」
ドリー大佐は本気だった。隼人はたじろぐ。
(まさか、本気でそんな事を言っているんだ!まるで俺の方がおかしいかのように、この人は困惑している!)
隼人は、あまりの認識の差に軽いめまいを覚えた。
「……とりあえず、作戦参謀の方の居場所を教えてくださいますか?」
「それなんだが、実は3日前にミケ中尉が急病で倒れてしまってな。首都から変わりの中尉が来たんだ。それも君よりずっと若いのが」
その時、後ろの扉がバタンと開いた。そして、
「大佐!表の軍用トラックの列は一体なに……」
そういいかけて止まった。もちろん隼人を見ての事であったが、それとは別に、彼は言葉を失っていた。そして、隼人も同じく言葉を失っていた。
「お前、ルーカスか…?」
そう、扉の前に立ち尽くす『中尉』。それは紛れもなく、ルーカス・ウィンチェスターだった。
「な、なんで……」
「どうした、知り合いか?」
ドリーの問いに隼人が答える。
「実は……」
「全くの初対面です!」
それを遮るようにルーカスは隼人を外に連れ出す。
「おい、ルーカス!」
「いいから!一旦状況を整理させてくれ!いや、ください!」
「それはこっちも同じだ。なんでもう前線にいる」
「飛び級だ、です。僕はとびきり成績が良かったからお父様の計らいで……」
「ああ、お前有力政治家の息子だったな」
「そう。いち早く経験を積むために」
「へえ。やっぱり性格以外は一流だな。というか、大佐を待たせていいのか?」
「あの大佐は退廃的軍人の象徴みたいな人だ。別におま、貴方が挨拶に来なくても意に返さないくらい」
(一々失礼なのも変わってないな……)
「それでも上官殿だ。戻るぞ」
「……分かりましたよ」
隼人はまた小屋に戻る。
「なんだ。積もる話でもあるのか?別に私は待つぞ」
ドリー大佐は頬杖をつきながら言う。
『退廃的軍人の象徴』、ルーカスの言った言葉が早くも想起される。
「……大佐、最新の作戦図を頂けますか?」
「中尉、君が持っているだろう」
「………」
それにルーカスは嫌々懐から地図を取り出す。
「縮尺の正確なのはそれ一枚だ。必要な分はそれを模写してくれ」
「はあ……」
「じゃあ解散。今日は荷下ろしをして、明日から実際の運用の話でもしよう。ああ中尉、少佐を飛行場まで案内しろ」
「僕ですか?」
「他に誰がいる。ほら、早く」
「……ついてきてください」
そして隼人とルーカスは、飛行場に向けて森の中を歩き始めた。




