クリフの思い
『ジル機撃墜、ロールが甘いぞ』
『グラスマン機撃墜、あと20ノット速度を上げろ。日和るなよ』
『ピーター機撃墜、横風に強引に突っ込むな。スピンするぞ』
隼人の訓練が始まってはや一か月強、隼人は今日も、F-2戦闘機に乗り実戦形式の飛行訓練を行っていた。
(腕は確実に上がっている。みなF-2の速度に反応を合わせてきたな)
「だけど、まだ足りない」
隼人は高高度から急降下する。その先にはクリフ機がいた。隼人は照準を定める。その時だった。隼人の背後、ちょうど太陽のあたりに黒い機影がチラリと映った。
「……!」
(クリフは囮か!)
その頃、レオン機は太陽にかぶさるようにしてF-2に狙いを定めていた。
「今日こそ…!」
レオンは照準器を覗く。が、その時。急に隼人の機体が縦に180度回転し、逆さまの状態でレオンの機体にぴったりと機首を向けた。隼人の無線が響く。
『レオン機撃墜、上手い戦法だったが詰めが甘いな』
(気づかれていたのか。それにしても……)
「………」
レオンは今のF-2の機動に呆気に取られていた。
そして第一航空隊と第二航空隊の飛行訓練が終わり、夜も更けたころ、レオンは隼人に話しかける。
「少佐」
「なんだ」
「先ほど見せた機動、あれは一体どうやるんです」
「宙返りか。あれは偏向推進ノズルが無いと出来ない。つまりプロペラ機ではあの動きは不可能なんだ」
「ですが、仕組みが分からなければ貴方を倒せません」
「俺を倒すのもいいが、最終目的は竜の殲滅だぞ?」
「だからこそです。俺が目的を蔑ろにしたことなんて、一度もありませんよ」
「……ではなぜ俺にこだわる」
「掴めそうだからです。貴方に、F-2に勝つことがもたらす感覚的な何かを」
「自信、か?」
「そうかもしれません。でも、実際の戦場でそれは、どんな防御術式よりも役に立つ」
レオンは戦争初期からの生き残りである。
(蔑ろには、できないな)
「……分かった。まずはだな……」
隼人の解説は1時間に及んだ。
「どうだ、参考になったか?」
「はい。さっそく明日からコツを掴んでみます」
「そうか。じゃあ……」
隼人が部屋に戻ろうとしたとき、レオンはそれを引き留めた。
「少佐」
「まだ何か質問が?」
「いえ、折角明日は祝日ですから、カイルたちと呑みにいきませんか?」
「……」
(レオンから呑みの誘いなんて、初めてだぞ?というか、この世界で初めて……)
「……まあ、いいか」
レオンの誘いで隼人は、エリュシオン通りに面する酒場に来ていた。そのテーブル席で、レオンたちは生ビールを頼んでいる。
「お前たち、程ほどにしておけよ?トラブルを起こされて困るのは俺なんだから」
「そういう時は少佐も呑めばいいんですよ!」
カイルが笑顔で言う。とても楽しそうだ。
(まあ、この頃息抜きをする機会なんて無かったし、少しぐらいは……)
「……すみません。生一つ」
「お!ノッてきましたね少佐!」
「じゃあ俺と呑み比べしましょうよ」
グラスマンが言う。
「お前じゃ弱すぎるっての。レオンさん、頼みますよ」
「レオン、お前酒が強いのか?」
「負けなしですよ。……まさかとは思いますが少佐、逃げませんよね?」
「言っとけ」
そして2時間後、
「アホか!それは水じゃなくてビールだよ!」
「はあ?ふざけたこと言わないで下さいよ、クソガキ少佐!」
「もう一杯だ!あと一杯でお前を倒してやる!」
「あ!今わざとビールこぼしやがったな?」
2人はガタンと椅子から立ち上がる。
「ちょ、ちょっと二人とも!」
それに慌ててカイルが2人の間に割って入る。
「ここで殴り合いなんて懲罰モノですって!もういいから店を出ましょうよ」
「でもなあ……」
「まだ決着が……」
「いいから!おいグラスマン、少佐の肩持ってやれ」
「はいはい」
酒場を出て、カイルたちはやっとのことで近くの公園のベンチに二人を下ろした。
「全く、少佐はまだ24なのに一気に呑みすぎ。レオンさんはもう31なんですから適量考えてください」
「焚きつけたのはお前だろ……うっ」
レオンがその場にうずくまる。
「……どうするか、グラスマン」
「とりあえずありったけ水を買ってくるわ。あと解毒薬」
「解毒なんているかあ?この人たちただの酔っ払いだぜ?」
「何言ってんだよ、少佐はともかくレオン隊長は危ねえトシだろ」
「俺は、ジジイじゃねえ……」
レオンがうめく。
「……まあお前に任せる。俺はここにいるわ」
「オーケー」
グラスマンを見送ると、カイルはベンチの端に腰を下ろした。
「……すまない、カイル」
「いいんですよ、少佐。それに、俺たちは貴方の事を誤解していたんだ。今日はそのお詫びというかなんと言うか……」
「カイル」
レオンが何か言いたげに呟く。
「レオンさんだって言ってたじゃないですか。『少佐はパイロットとしての腕だけじゃない、俺やお前たちの事をよく見てくれている』って」
「それは……」
「……そうか。俺は、上手くやれてたか」
(大隊長として、教官として、俺は受け入れられ始めているのか)
隼人の視界が滲む。どうも酒のせいで涙もろい。
「もちろんです。実は、俺とレオンさんは南部戦線で一緒だったんですよ。でも、その時の指揮官は俺たちをワイバーンの群れの中に置き去りにした。3個小隊の内、生き残ったのは俺とレオンさんだけ。もう二度と同じ目はごめんなんですよ。そんな時に少佐の大隊に編制された」
「……その指揮官は、今どうしているんだ?」
「死にましたよ。格納庫ごとワイバーンに焼かれて」
「そうか……」
「でも、少佐は同じ目には合いませんよ。だって……」
そうカイルが言いかけた時、不意に後ろから声をかけられた。
「おい」
「立てよ、兵隊サンたち」
そこには、6人ほどのチンピラのような男たちが薄ら笑いを浮かべて立っていた。そしてその内の一人が、なんと顔面が血だらけになったグラスマンをドサリと地面に落とした。
「こんな時間にこんな場所で、危ねえでしょ」
(コイツら、尾けてやがったな!それでグラスマンを……)
「……こっちのセリフだ。汚ねえチンピラ野郎が」
クリフはその場に立ち上がる。それを見て笑いが起きる。
「アハハハハ!バカかよお前!この雑魚と酔っ払いのアホ2人の面倒みるだけあるわ」
「あ?」
クリフは拳を握りしめる。だが、レオンがそれを止める。
「……おい、クリフ。流石のお前でも6人は無理だ。俺のサイフはここにある」
「何言ってんですか!アンタも少佐もバカにされてるんだ!それにグラスマンは!」
「いいから」
レオンはよろよろとその場に立ち上がる。そして隼人に小声で言う。
「少佐、この公園を真っ直ぐ抜けると警察署があります。合図したらそこまで走ってください」
「……分かってるよ」
隼人も吐きそうになりながら上体を起こす。
「で、どうすんの。俺らと戦う?逃げる?まあ逃げてもボコすけど」
「……その必要は無いな」
レオンが答える。
(ハッタリでもいい。少佐を逃がす隙を作れれば)
「後ろを見て見ろ」
レオンが指をさす。それを見た隼人が走り出そうとした。その時だった。
「……あれ、誰だ?」
街灯の奥、暗闇の中に一対の光る黄色の目があった。それは段々とこちらに近づいてくる。そして街灯に照らされたその身体は、黒い毛並みとピンと立った耳、そして2メートルもあろうかという体躯を持っていた。レオンは思わず言う。
「あ、貴方は……」
「オイ、あれがお前のツレか?あの犬畜生が?」
「……」
レオン達は答えない。その沈黙をチンピラたちは正解であると解釈した。そしてまたもや大笑いした。
「ヒヒ、アハハハ!そうかそうか、あれがお前たちの切り札ってわけか。でもよお、こっちにも獣人、いるワケ。なあグリム」
そう言って男は隣の狼族の男を見る。だが、
「……」
グリムは縮こまり、耳を畳んで尻尾はだらりと垂れ下がっている。
「……おい、グリム。お前の出番だぞ」
「終わりだ……」
「あ?」
その時、後ろの黒い獣人は言った。
「ここで何をしている」
「そんなこと、てめえで考えろや!」
男は振り向くと拳銃を取り出し、その獣人に向けた。だが、彼はひるまない。
「なんともない散歩のつもりだったが……。昼間この公園は、児童たちの遊び場として重宝されている。市民たちの憩いの場としても。そして、私の娘もまた、この公園を利用している……」
「はあ?知るかよ!てめえのブスな娘の事なんざよお!それよりお前、撃つぜ?」
どこかから握りしめるようなミシリ、という音がする。そして一歩、また一歩と黒い獣人は歩みを進め始めた。だが、遂に銃声は響かない。
(な、なんで。なんで体が動かねえんだよ!)
男の拳銃を持つ手は震えていた。男の目は、近づいてくる彼の、突き刺すような鋭い獣の目に釘付けにされていた。そして彼は男の目の前に立つ。
「お、お前……」
「黙れ」
黒い獣人は男の手を掴もうとした。そこに隼人の声が響く。
「中将閣下!」
その瞬間、男の手ではなく、持っていた拳銃の銃身がぐにゃりと曲がっていた。
「ここは、貴様らのような者が立ち寄る場所では無い」
ゴリアテは言う。
「お、おい!お前ら、加勢しろよ!」
男はグリムたちに呼びかける。が、
「………」
「クソ!使えねえ!」
(ここは一旦逃げる!)
男はひしゃげた拳銃を手放すと後ろを振り向く。そして目の前には、クリフの繰り出す拳があった。
その次の瞬間、ドカっという鈍い音がしたかと思うと、男はその場にうつぶせに倒れていた。
「ふん。俺たちをさんざバカにした罰だぜ」
それを見て他のチンピラたちも蜘蛛の子を散らすように逃げていく。だが、ゴリアテはその内の一人の名前を呼ぶ。
「待て、グリム・シェーラ」
「……!」
グリムと呼ばれた獣人はその場に立ち止まる。
「久しぶりだな、グリム。ここで何をしている?」
「それは……」
「キライエの家から抜け出してきたのか?」
「……」
「はあ、全く……」
「あの、中将閣下」
「お前たちの説教は後。グリム、私が族長会議に話を通しておくから、早くセルカロスに帰りなさい」
それに、グリムは咄嗟に叫ぶ、
「でも族長!俺の親父は戦争にいかされて行方知らずだ!それにお袋は男作って俺を置いてっちまったんだ!」
「……だがやはり、帰りなさい」
「なんで……」
「君の父親、クルトは生きているよ。ちょうど昨日、兵役を終えたばかりだ」
「な…!」
「私の言っている意味は分かるな?」
「……はい」
「分かれば行きなさい。今回のみ不問とする」
グリムはしばらくして黙って頷くと、首都の中心部に向かって走り始めた。
「最近はああいった仲間たちが増えた……」
ゴリアテはため息をつく。どこか悲しそうである。
「あの、」
だが、やはりゴリアテはゴリアテだった。
「それでだ。タカミネハヤト少佐、この場でいいから状況を説明したまえ」
(いつものゴリアテ中将だ……)
「まず前提としましては……」
「説明せよ」
言い訳無用、である。
「……はい」
次の日、建国記念日に隼人とレオン、そしてクリフは格納庫の掃除を行っていた。
「そこ、拭き残しがありますよ」
グラスマンは椅子に腰かけ航空雑誌片手に言う。その顔は包帯でぐるぐる巻きにされている。
「クソ、クリフが呑み比べなんて言わなけりゃ……」
「乗ったレオンさんと少佐が悪いですよ」
「いいからもう、早く終わらせるぞ……」
格納庫の掃除は、夕方まで続いた。
そしてその一週間後、隼人は陸軍総司令部に呼び出されていた。グレイストーン大臣は言う。
「君の大隊の赴く戦線が決定した」




