私はあなたの影になりたい~軍人王女と武器商人~
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魔物が襲ってくるまでフレイヤは知らなかった。
自分が誰かを守るために、平気で殺せるということを。
フレイヤは第一王女として何不自由なく育てられた。兄である王太子がいたため、勉強はそれほど厳しくはない。護身術や剣術の授業はあったものの本格的でもなかった。それなのにあの時、フレイヤが侍女や護衛とともに馬車に乗っていて魔物が襲ってきたあの時、魔物と戦いなれた騎士のように自分の体が動くとは思ってもみなかった。
護衛騎士が次々にやられる中、一人で魔物の群れを殺し、フレイヤの人生は変わってしまった。父である国王から命じられて剣術の稽古が格段に増えた。
そこから騎士団に所属して、直属の騎士団を率いるようになり、初陣は十四歳の時だった。隣国との小競り合いだっただろうか。もう数えきれないほど戦場や魔物討伐に赴いたから、最初の頃のことは覚えていない。
王家には勇者の血が流れていて、とっくにその血は弱まったと思われていたがフレイヤには強く出たらしい。勇者の血はある時をもって覚醒するのだ。魔物に襲われた時がフレイヤにとってのそれだった。
教わってもいないのに、どう動いたらいいか分かる。体も勝手についてくる。
相手の攻撃の避け方も何もかも体が覚えていて、自分で何も考えずに動いている感覚だった。
「……ここは?」
天蓋のついたベッドに、見慣れぬ白を基調とした広い殺風景な部屋。
フレイヤは起き上がろうとして体中に痛みが走った。あちこち怪我をしていることに遅れて気付く。
意識を失う前まで何をしていた? 土埃と血生臭い暗い場所にいたのではなかったのか。そっと再び目を瞑る。瞼の裏には部下の血しぶきが見えた。
そうだ、フレイヤ直属の騎士団はいつの間にか囲まれたのだ。魔物の被害が酷いと聞いて騎士団を動かしたのに、待っていたのは魔物ではなく他国の騎士たちだった。魔物被害が実は他国からの被害だったのか。それともあいつらは魔物を操っていたのか。
「お目覚めですか?」
そう言いながら部屋に入ってきたのは、見覚えのある若い男だった。正確に言えば同い年だ。
彼はいつものように綺麗な身なりだった。部屋の中だというのに刺繍を施されたジャケットまで着ていて、今すぐに外出できそうだ。
「……ギルモア商会の」
「殿下、いつも通りお呼びください。ジスランと」
「何故、そなたがここに? ジスラン」
長い黒髪を緩く後ろで束ねた男は、細い目が見えなくなるほどにこやかに笑いながらフレイヤのいるベッドの端に勝手に腰掛けた。
彼がこちらに手を伸ばしてくるので、フレイヤは体中の痛みを無視して彼から距離を取る。彼はそんなフレイヤの警戒した様子に笑みを深めると、すぐにその手で水差しを掴んで注いでグラスを差し出してくれる。
彼のことはずっと苦手だった。
ジスラン・ギルモア。
ギルモア商会の養子で後継者だが、彼が主に扱うのは武器だ。つまり、彼は武器商人。
彼が武器商人だから苦手だったわけではない。彼とは頻繁に直接やり取りをしたが、彼はフレイヤの苦手な緑の目を持っていた。あの緑の目を見ると、フレイヤの心は異様にざわつくので商談でもいつでもなるべく視線を合わせないようにしていた。
「私が魔の森からあなたを助け出しました。他の方々も」
「……ありがとう。他の皆はどこに?」
ジスランは無言で首を振る。確かに目にした敵の数は多かったが……フレイヤの精鋭部隊の騎士が一人残らずやられた? 嘘だろう?
「痕跡から察するに、相手の人数が殿下の騎士団の三倍はおりましたよ」
「では、なぜ私だけ助かっている?」
降り注ぐ矢と爆薬の匂いも覚えている。そこから記憶が飛んでいた。なぜ他国の騎士が魔の森に? いくら国境に近いとはいえ、魔の森にあの人数がいるなどあり得ない。魔の森を管轄する辺境伯は何をしていた? 監視を怠ってみすみす見逃していたのか?
「殿下は騎士たちの下敷きになっておられました。そう、まるで殿下を守り隠すように騎士たちは殿下の上に倒れていたのです。だから、殿下は敵に見つからずご無事でした」
「はっ」
フレイヤは自分を嘲笑った。
「では、私は気でも失ってのうのうと部下たちに守られたのか。部下たちは死んでまで敵と勇敢に戦ったのに」
「私が傭兵を連れて到着した頃には手遅れでした。申し訳ございません」
「なぜ、そなたが謝る。これは完全に私の失態だ」
そこでふとフレイヤは疑問に思う。
「なぜ、そなたはわざわざあの場所に傭兵を引き連れて来たのだ」
ジスランは普段通り、何を考えているのか分からない笑みを浮かべている。彼はいつもこうだ、フレイヤが無茶な注文をしても、商品をこき下ろして何も買わなくともこんな笑みを浮かべている。
「私を疑っているのですか? フレイヤ殿下」
「いや、殺すなら見殺しにすれば良かったはず。わざわざ私を助ける道理はない」
「まぁ、殿下はお得意様ですし恩を売るために助けたともいえます」
「私がお得意様なのではなく、国がお得意様だろう」
フレイヤは体の痛みに顔をしかめながら、頭の中でいろいろ考えた。
「兄に知らせを送らなければ。あの鎧はホロックス王国のものだ。かの国が我が国に侵攻を始めている。もう国境を越えているのか」
「やめておいた方がいいと思いますよ」
ジスランはベッドから下りようとするフレイヤを体で遮ってやんわりと止める。緑の目が目の前にあってフレイヤは慌てて目を逸らした。
「なぜ?」
「殿下と騎士団を魔の森に送ったのは誰でしょう?」
「父だが……兄は別に」
「殿下も薄々感じていらっしゃるのでしょう? 殿下は国民に大変人気があります。勇者の再来とまで言われていますから」
「何が言いたい」
「国王陛下と王太子殿下が結託して嵌めるために、フレイヤ殿下と騎士団を魔の森に送ったのですよ。ホロックス王国はうまく誘導されたのか、わが国と結託しているのか分かりませんが」
他人の口からそれ聞くのは辛かった。
父と兄が自分の座を脅かすのではないかという目でフレイヤを見ているのは分かっていた。フレイヤを騎士団に入れたのは他ならぬ父なのに。フレイヤが活躍すればするほど、彼らの目に宿るのは恐怖だった。
なぜそんな目で私を見るのだろう。国民を脅威から守ったのに。なぜ、そんな化け物を見るような目で私を見るのか。称えて欲しいとも感謝して欲しいとも思っていない。だって、私が間に合わずに亡くなってしまった人もいる。
フレイヤはそんな感謝の言葉が欲しいわけではない。「あなたのおかげで救われました」なんて言って欲しいわけじゃない。ただ、フレイヤは許しが欲しかった。「あなたはこれだけ救ったのだから、一握り救えなくてももう許されましたよ」という許しが。
兄と父に否定したところでわざとらしい。わざわざ「王位を狙っていません」なんて口にするのはむしろ逆の意味に捉えられかねない。だから、フレイヤは父に降嫁先を探してくれるように頼んでいたし、王位継承権だって結婚と同時に放棄すると言っていた。
しかし、民の目に触れる機会はフレイヤが圧倒的に多かった。そして人気があるのもフレイヤだった。「フレイヤ殿下を次期女王に」なんて声だってあるのは知っていた。そんなつもりはフレイヤには毛頭なかったのに。だって、フレイヤには罪があるから。
ただ、一人でも多く守りたかっただけだった。全員は難しい、でも手を伸ばせば届く距離にいる人はすべて。そう誓ったのだ、守れなかった自分に。
人身売買が行われていると密告があって、出航前の船に乗り込んで組織を制圧したことがある。しかし、フレイヤが間に合わずに死んだ子供だっていた。
フレイヤは覚えている。死んだ弟らしき子供を腕に抱いた男の子が、綺麗な緑の目でフレイヤを射抜いていたことを。
だから緑は苦手だ。あの目を思い出す。勇者の再来と呼ばれながら、お前は大して救えていないじゃないかと突き付けられるから。
「フレイヤ殿下が生きていると王太子殿下に知られたら、すぐ殺しに来ますよ。試してみますか?」
「……兄は父と結託しているか分からないじゃないか」
「そうですか? では、あなたの副団長はなぜ今回同行していないのです?」
「体調不良になったと使いが来たからで……それに次の作戦の斥候を……」
フレイヤはそう口にしながらも、語尾は尻すぼみになっていく。
「彼と王太子殿下は幼少より仲が良かったですね?」
「ヒューゴまで、私を裏切っていたというのか」
信頼していた副団長の名前を、震えながらフレイヤは口にした。
いつから? いつからだ? ヒューゴは確かに兄と仲がいいが……騎士団の情報まで流していたと? ヒューゴならフレイヤの部下の弱点をすべて分かっている。兄よりも長い時間一緒にいるから、フレイヤの行動パターンだってよく分かっているだろう。
副団長の裏切りを信じられず、目の前のジスランを睨む。
「そなただって私を人質にして他国と交渉するかもしれない。そなたは他国にも武器を売っているからな。情報なら商人のそなたが一番持っているだろう」
「私が他国に武器を売っているというお話は誰から聞いたので?」
「……父だ」
そんな会話まで父の嘘だったような気がしてきて、フレイヤはもう何を信じていいのか分からなくなった。
「我が商会も一枚岩ではないので。弟分あたりが他国にも売っているでしょうね」
「そなたは他国に売っていないと?」
「殿下の無茶ぶりに応えてきた私にそれを聞きますか? 原料くらいは売りましたが」
ジスランはしれっと答える。彼はいつもフレイヤが呼びつければすぐにやって来た。
しゃらりと彼の耳で大ぶりのイヤリングが揺れる。思わずその動きを追いかけた。フレイヤの苦手な緑だった、しかもこの国では珍しい翡翠だ。
ジスランをこき使ってきた自覚が一応フレイヤにはあったので、黙り込む。水を一気に飲み干すと、彼はすぐに次を注いだ。
水が水差しからグラスにゆっくり落下するさまをフレイヤは眺めた。
そういえば、ジスランはいつも黒手袋を身に着けていた。今日もだ。商談の場以外ではしていないと思っていたのに。
「殿下の国民を守りたいというお気持ちに共感したからこそ、私は殿下のためにいいブツを毎回揃えているのです」
「それで? 私を保護したのか、捕獲したのか知らないがどうするつもりだ」
「国王と王太子を殺しましょう。お手伝いしますよ。殿下の精鋭たちには敵わないかもしれませんが、私にも手駒はおります」
「お前は何を言っている。私に家族を殺せと?」
「殿下はその家族に殺されかけたのにお優しいことです」
「ふざけるなよ。証拠もなく」
「この結果がすべてではありませんか? 副団長はもしかしたら嵌められたのかもしれませんね。だって、あの方は殿下に戦場に出て欲しくなかったのですから。殿下だけは殺さない、今回で引退させるから、なんて言われたかもしれません。脅迫されたのかもしれません」
確かにそうだ、ヒューゴにはそう言われたことがある。「殿下自ら戦わずとも」という趣旨のことを。フレイヤはそれを一蹴した。フレイヤの脳裏にいつもちらついているのは、子供を抱える緑の目の少年。
守れなかったから、フレイヤは死ぬほどあれから鍛錬した。最新の武器だって何だって使った。
「副団長様は殿下のことを女性としてお好きですからね」
「そんなことはない」
「殿下は鈍くていらっしゃる。婚約の話もでていたのでは? おそらく、降嫁先としたら彼のところか他の数家くらいでしょう」
ジスランはフレイヤが持っていたグラスをそっと取り上げた。フレイヤももう水を飲みたい気分ではなかったから抵抗はしなかった。
「殿下。不思議だと思いませんか。殿下は国民を守るために戦っておられる」
「武器商人であるそなたが戦うのがおかしいと言うのか? 私はお得意様のはずだ」
「いいえ? 隣の家が最新の武器を持って自分の家と家族を狙っているならば、武器を備えるのは当たり前のことです。丸腰で生活できるわけがないでしょう。家族を守るために当然のことです」
それに、とフレイヤが安堵の息を吐く前にジスランは続けた。
「殿下の存在を否定すると、私まで否定されます」
「私はそなたのお得意様だからな。武器が無用の平和がくればいいが、まだ理想論だ。それに、武器は何も悪くない。使う人間が悪いのだ」
「殿下、その発言は大変嬉しいのですが。私を覚えていらっしゃいませんか」
ジスランの声音が最後にほんの少し震えた。
いつも自信満々で得体の知れない笑みを浮かべている、武器商人には見えないが胡散臭い男の気弱な様子に、フレイヤは緑が苦手なことも忘れてジスランを正面から見つめた。
彼の目は緑色というには明るかった。一番近いのは翡翠の色だ。それが記憶の片隅に引っ掛かる。
「まさか」
「ベアトリス号」
ジスランはフレイヤの顔を覗き込むようにしながら、船の名前を口にした。
フレイヤが人身売買の組織を制圧するのに乗り込んだ船の名前である。数室に子供が詰め込まれていて、他国に売られるところだった。
「お前もあの船にいたのか」
フレイヤは大きく動揺した。あの船での事件は、フレイヤに全部を救えない無力さを痛感させるには十分だった。自分よりも小さな子供の亡骸を目にするなんて思ってもいなかったから。
「私はあの時、殿下に助けられました。一緒に売られかけた子は元々弱っていたので死にましたが。だから、殿下を否定することは私を否定することなのです」
フレイヤの手は震えた。震えながら、ジスランの頬に手を添える。
そう、この翡翠色の目だった。フレイヤを射抜いていたのは。気付かなかった、こんなに頻繁に会って苦手意識を持っていたのに。
「なぜ、お前は武器商人になど……お前は普通に生きていけば良かっただろう。普通に働いて普通に結婚して……武器など作って売らずに……魔物と悪党と敵兵なら私が倒す。お前のところにもう行かせはしなかったのに」
ジスランはフレイヤの手に犬のように頬を擦りつけながら、ふっと悲し気な笑みをこぼす。
「私は孤児でして。船から殿下のおかげで解放された後、孤児院からも年齢を理由に追い出されましたのでギルモア商会に雇ってくれと行ったのです。そこで、会頭に気に入られました。ギルモア商会は実の子供に継がせるのではなく、養子にした優秀な者に継がせることもあるのですよ」
「他にも就職先はあったはずだ。騎士団にでも頼ってくれれば伝手で斡旋だって……それにあの時、私は間に合わずにそなたの弟分を死なせた」
「一緒に誘拐された子は病弱でしたから。あそこで死なずとも長くは生きられなかったでしょう」
フレイヤには何も言えない。言う資格がない。目の前にいるのはフレイヤに罪を認識させるのに十分な人物だ。家族にも裏切られ、あの時の子供が今目の前にいるとは。
「すまない」
「殿下、謝らないでください。私は殿下に救われたのです」
「そなたほど賢かったら私などいなくても大丈夫だっただろう」
「あの時、私は決めたのです。私はあなたの影になりたいと」
ジスランはフレイヤの白銀の髪を一房取ると、そっと口付ける。
「影?」
「殿下は私の光でした。だからあなたの影になりたいと。ひっそり隠れるようにあなたと一緒に存在して、生きて、見えないようで必ずあなたの側にいる。私は貴族ではなく孤児でしたから騎士の道は厳しかったのですよ。それでも光とともにいたいと思ってしまった」
フレイヤはまた何も言えなくなった。
目の前の胡散臭い笑みをいつも浮かべている綺麗な男になんといえばいいか、本気で分からなかった。フレイヤは彼の人生を意図せず変えてしまったらしい。
「殿下は国民を守るために武器を手に取って戦っていました。だから私は武器商人になったのです。光のあなたと一緒に存在するために」
「そなたの人生を、私は滅茶苦茶にしてしまったようだ」
「殿下が国民を守るように、私は殿下を尊重して守りたかった。ただそれだけです。私は戦場に立って戦う殿下に光を見たのですから、あなたに武器を与えるのは、私でありたかったのです」
フレイヤは色々言われてきた。感謝も称賛も嫉妬もすべて。
自分だけ安全圏にいるのに、戦場にはフレイヤが必ず行けばいいと平気で口にする貴族も。フレイヤに恐怖を抱きながらも頼らざるを得ずに戦場に送る家族も。戦場に立ったこともないのにフレイヤに熱狂する国民も。「自分が行けばもっと早く何とか出来た」と陰口を叩く他の団長も。
目の前のジスランほどフレイヤと同じ景色を見てくれる人はいなかった。部下は確かに同じものを見ていたかもしれないが、責任感は違う。もちろん、プレッシャーも。
しかし、ジスランは本当に影のように、誰にも知られずにフレイヤに寄り添っていた。
「しかし、現国王と王太子は国民を守るために争いをしているようには見えません。あれは単なる金儲けや領土拡大などの支配欲です。そのためにフレイヤ殿下は利用されているのです。今度はフレイヤ殿下の弔い合戦と称して徴兵し、士気を極限まで高めてホロックス王国に攻め込もうとするでしょう」
ジスランの翡翠色の目がフレイヤを射抜く。
「それだけは……ダメだ。ホロックスの国力は我が国よりも上だ」
「でしょう? 争いを好み厭わぬ者が国のトップでは、平和など夢のまた夢。武器商人や他の一部は儲かりますがね」
「そなたは、私の味方なのか」
「私は殿下の影になりたいのです。影は光にどこまでも付き従うものですよ」
ジスランはフレイヤの手を取ろうとしたが、怪我が酷いのを見てやめたようだ。その代わり、顔を近付けてくる。翡翠色の目が本当に目の前にあった。
「そなたは……あの日、間に合わなかった私を……恨んでいないのか」
「言ったはずです。殿下を否定することは私を否定すること。殿下を恨むなら、私は共に誘拐されてしまったあの子に恨まれなくてはいけません。あの子だけは逃がせば良かったと今でも後悔します。でも、当時そんな力は私にはなかった」
「そなたは悪くなどない。まだほんの子供だった。悪いのは人身売買を行う組織だ」
「私と殿下は同い年ですよ? 栄養状態が悪かったせいで幼く見えたかもしれませんが、私はあの時も殿下と同い年でした。つまり、殿下だって十四歳の子供でした」
「私はあの日、助けなければならなかった。そなたの手の中にいた子供も救えたはずだった」
「殿下は先ほど私に悪くないと言いながら、ご自身には許しを与えていないように見受けられます」
彼の目と同じ色をした翡翠のイヤリングがまたしゃらりと揺れる。
「なぜ許せると思う。私の前で今日も含めて何人死んだと」
「殿下はすべてを救いたいという優しくて傲慢な願いをお持ちです」
「それの何がいけない」
「代わりに私があなたを許します。あなたの背負った十字架のすべてを」
ジスランはさらに近づいてきて、フレイヤの額に口付けた。
「殿下がご自身を許せるようになるまで、私はあなたの影でおります」
フレイヤは最も欲しかった言葉をくれた男をぼんやりと眺めた。額への接吻を咎めることも忘れて。
しばらく、フレイヤは許しをかみ砕いた。フレイヤは目の前の男と死んだ子供に最も許してもらいたかった。あの日、まだ経験が浅く船に踏み込むのを躊躇った弱い自分を。
ジスランの唇が今度は頬に移動した。彼が涙を舐めるまでフレイヤは自分が泣いていることに気付かなかった。
泣くことなど、今までなかったのに。泣くことさえフレイヤにとっては贅沢なものだった。そんな資格はなかった。
「さて、殿下。どうされますか? おそらく魔の森を管轄する辺境伯も脅されたか何かでグルでしょう」
フレイヤの涙が止まるまで、ジスランは辛抱強く待ち口を開いた。
「……そなたの力を貸してほしい」
「仰せのままに」
フレイヤが初めて他人に助けを求めた瞬間だった。
その後、死んだと報じられたはずの王女フレイヤが傭兵を率いて王都に戻り、国王と王太子を断罪して一時国は騒然となった。フレイヤの副団長は脅迫されて協力させられており、地下牢に囚われていたため彼の証言が有力な証拠となった。
フレイヤは戴冠式で自ら冠を被り、さらに跪いた夫となる王配にも冠を被せた。
王配の外見はフレイヤよりも長い黒髪に翡翠色の目を持つ美丈夫だったそうだが、それよりも彼が孤児出身の武器商人であったことの方が国民を驚かせた。
彼の剣の腕は抜きんでてはいなかったが、ナイフ投げは右に出る者がおらず、王配になってからは暗殺者の捕縛に一役買ったり、余興で披露したりしていたと記録が残っている。
夫婦仲について詳しい資料は残っていないが、子供が三人生まれていることから険悪ではなかったはずと察することができる。
さらに、元副団長が王配に喧嘩を売る姿はたびたび使用人に目撃されていた。「陛下のためにあなたを生かしておいたのは失敗でしたね」なんて怖い笑顔を浮かべる王配も見られたという。
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