コバルトブルーの空を見上げて③
「十年ぶりですね、兄さん」
そのときの俺たちの驚きようったらなかったぜ。それもそうだよな。まさか十年も経って気づかれるとは思わなかったし、なんでこのタイミングでって。
弟はフェルみてぇに鮮やかなコバルトブルーの鎧兜を着て、一端の男になってやがった。三人がかりで追い返そうとする俺たちに土下座してみせたんだ。「魔王を倒すために力を貸してくれ」ってな。
まあ、聞く義理なんかねぇよ。フェルも断固として首を縦に振らなかった。「僕たちをそっとしといてくれ」って突っぱねて、無理やり引き上げさせた。
なのに、まさか朝起きたらいなくなってるとは思わねぇじゃねぇか。
半狂乱になってるミルディアを宥めて、取るものも取りあえず俺はフェルを追っかけて行った。俺に戦う力なんて微塵もなかったが、召集された魔法学校の生徒たちに運よく潜り込めたから、魔物に襲われてもなんとかなかった。
特にあいつ。ミルディアが特に気にかけていたレイとかいう教え子は随分頼りになった。向こうは俺の顔を覚えてなかったようだけど。
そうして辿り着いた首都手前――アクシス家が管理する基地で、俺はフェルをとっ捕まえた。あいつは一度死んだ人間だ。リヒトシュタイン家の名誉を守るために当主の兄だってことを隠していたから、逃げようと思えば逃げられる状況だった。
それなのに、あいつ、必死に連れ帰ろうとする俺に言ったんだ。
「僕はミルディアが千年先まで生きる未来を守らなきゃならない」
馬鹿だと思ったよ。お前がいなくなったら元も子もねぇじゃねぇか。そもそもルクセンに逃げるつもりだっただろ。安っぽいヒロイズムに酔いやがって。それなら一緒に死んじまったほうが何倍もマシだ。
思いつく限りの罵詈雑言を並べ立てる俺に、フェルは続けて言った。
「エドの炉の火を絶やしたくないんだよ」
なんなんだよ。そんなこと別に頼んでねぇよ。炉なんて、いくらでも作り直せる。技術だって、失われてもいずれ新しい技術が生まれる。
でも、あいつが言っているのはそんなことじゃなかった。俺の技術を未来に残すことで、ミルディアが寂しくないようにしたかっただけなんだ。
「エド、僕の親友。君は誰よりも素晴らしい才能がある。見る人の心を惹きつけるものを作り上げる才能が。それを、今ここで失っちゃいけない。きっと百年、二百年……ううん、千年経っても君の技術は残り続けるよ。だから、お願い。僕の代わりにミルディアと歩いてやって」
その目には、揺るぎない信頼が込められていた。
もう俺に勝機はなかった。こうなったフェルに何を言っても駄目だってことは、これまでの経験でわかりきっていた。
だから、せめてものはなむけとして、なけなしの設備を借りて短剣を作ったんだ。これがあいつの身を守ってくれるように。
「ありがとう。僕はこれから首都の前線基地に移る。君はあの家に戻るんだ。ついてきたら許さないからね」
フェルに置いて行かれて途方に暮れた俺は、後発隊として基地に残っていたフェルの弟に交渉した。存分に腕を振るってやるから、俺も首都に連れていけと。
向こうも俺を逃したくなかったんだろうな。二つ返事で、兵士に支給されていた鎧兜と剣を投げてよこしたよ。
「なんで、フェルが生きていると気づいた?」
あいつはこう言った。
「今のラスタに、あなた以上に腕のある職人はいません。だから気づきました」
こんなに嬉しくねぇ褒め言葉があるか?
弟はフェルの鎧兜を本当に羨ましがっていた。ことあるごとに、鎧換装の儀を迎えたら僕にも作ってくれとねだってきた。だから覚えてたんだ。俺の屋号紋を。
召集されたエクテス家の跡取り息子が持っていた短剣を見て、俺がシエラ・シエルで生きていると知った弟は、元々は俺を連れていくつもりでやってきた。そして、そばにいるフェルの鎧兜を見て確信したんだ。あの死は偽装だったんだと。
ざまぁねぇぜ。フェルが連れて行かれたのは俺のせいだったんだからな。
初めて足を踏み入れた首都は、まさに地獄絵図だった。無惨に転がっている死体。見境なく暴れる魔物。周囲を焼き尽くす炎。そして、あちこちで上がる悲鳴。
そんな中でも、俺はなんとかフェルに辿り着いた。死臭と、禍々しい気配が充満する議事堂の一番奥で、フェルは魔王と対峙していた。
足元には事切れた弟。目の前には血に塗れて雄叫びを上げる魔王。俺の姿を見て焦ったんだろうな。あいつは相打ち覚悟で魔王の懐に飛び込んで剣を突き立てた。
その瞬間、魔王の体からあふれ出た赤黒いもやがフェルの体に入り込んだ。それで初めて気づいた。魔属性の魔力の元も魔素だったんだって。
赤目に染まり、苦しむフェルの姿を俺はただ見ていることしかできなかった。
このままじゃ自分も魔王になると思ったんだろうな。俺を守らなきゃ、なんてくだらねぇことを考えたのかもしれねぇ。あろうことか、フェルは俺に微笑むと、自分の喉に短剣を突き刺しやがった。
俺が作った短剣を。
ふざけるなよ。こんな結末ってあるかよ。
徐々に冷たくなっていくフェルの体を抱きしめて泣く俺に、微かな……本当に微かな魔力の欠片が漂ってきた。まるで、俺に命を託すように。
そのとき、確かに聞こえたんだ。「生きたい」「ミルディアと会いたい」と泣くフェルの声が。
拒絶できるわけねぇよな。いつだって、俺はあいつのそばにいて、あいつの願いを叶えてきたんだぜ。
だから俺は受け入れた。絶え間なく続く絶望――フェルを失った悲しみと苦しみを。
そのあとのことは、あまり覚えていない。
気づいたら俺はあの家の前に立っていた。俺とフィルが二人で作り上げた家の前に。
空は徐々に白んではいたが、まだ夜は明けていない。ミルディアは深い眠りについているようだった。
手の中にはフェルが被っていた兜。工具がなくてへこみは直せなかったが、血はあらかた拭い取っていた。こんな状況でも少しでも綺麗にしようとしたのは、職人のサガなのかもしれねぇな。
一瞬だけ迷って、俺は兜を置いて行った。残酷なことをしたとはわかっている。それでも、ミルディアにはフェルを忘れてほしくなかった。
それから俺は各地を放浪することにした。理由は一つ。デュラハンになれる場所を探すためだ。
デュラハンは魔属性のヒト種が、死に際に大量の闇の魔素を取り込んで生まれた種族だ。魔の魔素も同時に取り込めりゃ、なおいい。一か八かの賭けだったが、同じ条件を揃えて死ねばデュラハンとして生き返る可能性があった。
別にデュラハンに憧れがあったわけじゃねぇ。ただ、あいつができなかったことを叶えてやりたかっただけだ。生きてミルディアと再会するという願いを。
旅の途中で、前に依頼を受けたマーピープルとエクテス家の跡取り息子の結末も知ることになった。
マーピープルの方は、体を張って魔物から家族や仲間を守りきったらしい。アルテガとかいう猫の獣人が、湖の底でそいつの遺体を見つけたと聞いて、自ら鎧の修理を願い出た。俺が製作者ということは伏せて。
あいつ、満足げな微笑みを浮かべてたってさ。
エクテス家の跡取り息子の方も、首都で魔物にやられて死んじまってた。俺の作った剣だけが、故郷に戻ってきたってよ。
一緒に酒を飲もうって約束、叶えられなかったな。
この世界で生きる理由が、また減っちまった。
ようやく条件に合う場所が見つかったのは、戦争が終わって十五年ほど経ってからだった。ずっと避けていた首都近辺のメルクス森の中に、巧妙に隠された神殿があって、その床下に闇と魔の魔素が充満した小部屋があったんだ。よく見つけられたもんだと思うぜ。俺の中の魔の魔素が囁いたんだろうな。ここに仲間がいるって。
神殿には聖の魔素が充満していたが、各地を放浪して魔素を取り込みまくったからか、俺の魔力は膨大なものになっていて、素肌を隠せば十分耐えることができた。ヒト種なのに不思議なもんだよな。よっぽど魔属性と相性がよかったのかもしれねぇ。
それから俺は、デュラハンになったあとの体にするために作り上げた鎧兜に日付を刻んで、フェルの命を絶った短剣を脇に置き、闇と魔の魔素が濃くなる夜を待って決行しようと思った。
そのときだ、死にかけのガキを拾っちまったのは。
クリフ・シュトライザー。ケルミット山で生まれたハーフドワーフ。腕がいい故にやっかまれて、居場所を無くしちまった哀れなガキ。傍らに転がっていた、こいつが作ったらしい武具は、荒削りだが見事なもんで思わず唸っちまった。
そんな俺に、あいつなんて言ったと思う? 「あんた、誰だよ」だぜ。普通、助けてくれって先に言うもんじゃねぇのか。本当に生意気なガキだぜ。今にもくたばっちまいそうなのに、目だけはちっとも弱ってねぇんだもんな。
だからだろうな。あの日、路地裏に転がってた俺に重ねちまったのは。
気づいたら口走っちまってたんだよ。
「俺と一緒に来るか?」って。
馬鹿なこと言っちまったよな。自分がこれから何をしようとしてたのか忘れちまったのかよって。
でも、一度口に出したもんは戻せねぇ。あいつは俺の手をとり、俺はマリウスとして生きていく羽目になった。とんだ茶番だぜ。
ガキはもう立てねぇようだったから背負ってやって、とりあえず近場の村を目指すことにした。首都には行きたくなかったからな。
人の体温なんて久しく忘れていたが、クソ熱かったなあ。夏だったからかな。
森の中をずんずん進む俺に、ガキは夢現みたいな声で呟いた。
「……マリウス……ありがとう……」
うるっせぇなガキ。俺の邪魔をしやがって。お前なんか名前で呼んでやらねぇよ。
「いいから寝とけ、ちびすけ。着いたら起こしてやるよ」
ああ、最期にうまいもんでも食おうと神殿を出るんじゃなかったよ。
レイはエドウィンと会ったことを覚えていません。あのときはそんな余裕がなかったのです。
エドウィンは類稀なる魔属性の適性がありました。戦争時まで取り憑かれずに済んでいたのは、フェリクスとミルディアという心の支えがあったからです。




