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コバルトブルーの空を見上げて②

「僕、恋に落ちちゃった」


 始まりはそんな一声だった。こいつ頭イカれてんのかなと思ったが、どうやら本気のようだった。


 なんでも家庭教師の姪っ子と引き合わされた瞬間、身体中に電撃が走り、祝福の鐘が鳴ったのが聞こえたそうだ。


 馬鹿か。


 しかし実際、会ってみるとミルディアはいい女だった。内心はどう思ってたか知らねぇが、俺の境遇を聞いても顔をしかめることなく、かといって下手な慰めをすることもなく、ただそばにより寄ってくれる。


 いつの間にか、俺とフェルの間にはミルディアがいるのが当たり前になっていた。


 青春。そう、あれが青春ってやつだったのかもな。三人でいろんなことをして、いろんなところに行った。


 ダンジョンなんかにも潜ったな。スライムしかいねぇ子供騙しみてぇなダンジョンだったが、それでも冒険なんてもんには縁遠かった俺には、どんな絵物語よりも楽しかった。


 フェルから火食い鳥の風切り羽をもらったのも、あの夏だったな。あれだけ嫌がってた剣を握って、俺のために仕留めてくれたんだ。「これで火を起こして、また何か作ってね」なんて照れ隠しのおねだりが、俺にとって一番のプレゼントだった。


 遊び疲れると、俺たちはよく湖のほとりを散歩した。エメラルドグリーンに輝く広大な湖。周りを囲むように生い茂る青々とした針葉樹。夏の暑さにも負けずに咲き誇る花々。


 足を踏み出せば、ブーツの下で草がさくさくと鳴る。


 コバルトブル―の空を横切るのは火食い鳥だ。


 目の前には空と同じ色の鎧兜を着たフェルと、その隣で肩を並べて歩くミルディアがいる。それを眺めながら、これは夢なんじゃねぇかって思ったりした。次の瞬間には目が覚めて、またあの路地裏で転がってるんじゃねぇかって。


 そのとき、ミルディアが振り向いて、俺に大きく手を振った。隣のフェルも俺を見て声を上げて笑った。


「なんで泣いてんの!」


 ああ、この瞬間、俺は死んでもいいって思ったんだ。






 楽しい時間ってのは、あっという間に過ぎる。夏の終わりが近づいたある日、血相を変えたフェルが工房のドアを叩いた。


 あいつと出会ってから一度もなかったことだ。リヒトシュタイン家の後継ぎがごろつきまがいの職人と懇ろなんて変な噂をたてられねぇように、絶対に来るなと釘を刺していたからだ。遊ぶときだって、いつも街の外に出ていたのに。


「どうしよう。僕、結婚させられちゃう」


 聞けば、成人したのを機にフェルの地盤を固めようって目論みらしかった。相手は同等格の貴族のご令嬢で、腕っぷしも確かなデュラハン。結婚すれば間違いなくリヒトシュタイン家は安泰だろう。


 けどよ、そんなもん納得できるわけねぇよな。いくら家のためとはいえ、顔も知らねぇ――まあ、デュラハンに顔はねぇけど、そんなやつと結婚しろっていきなり言われても、フェルにはすでに惚れた女がいる。ミルディアっていう、運命の女が。


 事情を知ったミルディアは気丈にも身を引こうとした。想いを貫いてフェルの人生を壊しちまうのを何よりも恐れたんだ。でも、フェルは諦めなかった。俺の鎧兜を認めさせたときと同じく、ミルディアとの結婚も認めさせようとした。


 まあ、結果は惨敗。そりゃそうだ。どこの世界に、身分違いの他種族との結婚を認める親がいるんだって話だろ。進退極まったのはフェルだ。ミルディアは別れる覚悟を固めていたし、着々と魔法学校に戻る準備を進めていた。


 そして、三日三晩悩みまくって、フェルは俺たちをあの湖のほとりに呼び出した。


 笑えるぜ。どんな陳腐なお伽話だってんだよな。約束された未来と、出会ったばかりの女への情。天秤にかけるまでもなく、どっちを取るかなんてわかってんだろ。なのにあいつ、なんて言ったと思う?


「僕と逃げてくれ」


 だとよ。


 あんな真剣な目で見つめられて、嘘なんてつけるわけねぇぜ。心を丸裸にされちまったミルディアは、フェルの震える手を取った。


 さあ、問題はこれからだ。ただ街を出たって、すぐに連れ戻されちまう。それぐらいリヒトシュタイン家の力は大きかったし、金も頼るものもねぇ俺たちが太刀打ちできるとも思わなかった。


 だから、俺たちはフェルの死を偽装することにした。


 貴族にとって、醜聞は何よりも秘すべきものだ。失恋で命を絶ったとなれば、どれだけフェルを愛していたとしても、家族は隠蔽に走らざるを得なくなる。


 計画はシンプルだった。フェルの氷魔法で体を仮死状態にして、焼かれる前に灰を詰めた人形と入れ替える。遺体は骨が残らねぇように焼くもんだし、死因は毒の小瓶かなんかを転がしておけば十分だ。あの頃は検死技術も進んでなかったしな。


 ただ、デュラハンの顔の闇は死ぬと消える。それにフェルは魔力のコントロールが下手だった。頭を悩ませる俺たちに、ミルディアは決意に満ちた目で言った。


「私に任せて」


 フェルの葬式はひっそりと行われた。表向きは事故として処理されたが、家族しか参列できねぇ時点でお察しだった。結婚を反対して息子を追い詰めた後悔からか、ミルディアだけは参加を許されたみたいで、しれっとした顔で出かけて行った。


 女ってやつは強ぇよな。俺は招かれるわけもねぇから詳しくは知らねぇが、家族はすげぇ嘆きようだったらしい。特に弟なんて失神するまで泣き喚いていたそうだ。


 ともあれ、俺たちの目論みはうまくいった。俺が作った鎧兜を残して、家族も地位も全部捨てて、フェルはミルディアについていった。俺? 当然ついていくに決まってんだろ。フェルがいねぇ街なんかに用はねぇよ。


 西へ西へ逃げた俺たちは、ミルディアが通う魔法学校のあるシエラ・シエル……当時はまだリッカが管理していた港町に腰を落ち着けた。土地勘があるやつがいた方が早く馴染めるし、将来を考えれば、きちんと卒業しておいた方がいいとフェルが主張したんだ。


 今思うと、一人残されるミルディアを心配していたのかもしれねぇな。長命種と短命種の間には越えられねぇ壁があるから。


 とにかく馬車馬のように働いたぜ。三人分の生活費を捻出しなきゃならなかったからな。工房にいたときは、あれだけ嫌だったのに不思議なもんだ。 


 シエラ・シエルはデュラハンが少なかったから、俺は防具職人をやめて、生活道具でも他種族の武具でもなんでも作る職人になった。


 作品に風切り羽の屋号紋を入れるのもやめた。別にもう誰かに認められる必要なんてねぇと思ったし、俺はただ、俺が作ったもんで客が喜んでくれればそれでよかった。客がいてこそ職人は職人なんだってことが、ここに来てよくわかったんだよ。


 つっても、俺も人間だから、気に入った客の作品にはあえて入れることもあった。


 特にあいつら――ウルカナ家が管理する大森林の中の、湖の出城を任されてるっていうマーピープルと、東方にあるエクテス家の跡取り息子のドラゴニュート。あの二人の依頼は今まで手がけた仕事の中でも最高に面白かった。


 マーピープルは惚れた女を落とすために全身金ピカの鎧が欲しいって言うし、ドラゴニュートは生え変わった角を記念にとっておくために武器にしたいって言うし、その上、二人とも気風がよくて、今度会ったら酒でも飲もうな、なんて約束したりもした。


 ミルディアが魔法学校の教師の職を得たのも、そんなときだった。


 とはいうものの、魔法紋ってのが一体なんなのかよくわからなかったし、教師って職業もピンとこなかった。そんな俺に、ミルディアは優しく噛み砕いて教えてくれた。


 魔法紋ってのは、言葉で縛りをつけることで思い通りの事象を発現させる技術で、フェルの魔力をコントロールして仮死状態を保てたのも、顔の闇を見えなくできたのも、ミルディアが魔法紋を書いたかららしい。あと、教師ってのは金を払って集まってきたガキたちに技術や理論を教えるやつのことなんだって知った。


 ああ、そうか、と思ったよ。俺が近所の連中に小金を払って勉強していたのが授業で、教えてくれたあいつらはセンセイだったんだ。俺は知らねぇ間に、学校ってやつに通ってたんだな。


 教師ってのはすげぇ職業だよ。人を作っちまうんだもんな。巣立っていったやつらが、いつか俺と同じ職人になるかもしれねぇと思うと、胸が熱くなった。


 同時に、ミルディアに教えてもらえるガキたちが羨ましくなったよ。


 フェルは今まで働いたことがなかったから、なかなか定職にありつけずに随分苦労したみてぇだが、最終的に小さな商会に御者として雇ってもらえることになった。皮肉にも腕っぷしを買われたわけだ。


 フェルの強さは他のデュラハンよりも際立っていたが、危険な仕事には変わりない。もし盗賊や魔物に会っても無事に戻って来られるように、できるだけ鎧を軽くして、ここぞとばかりにゲン担ぎを仕込むことにした。必要なドラゴンの爪は、エクテスの跡取り息子に頼んで送ってもらった。


 兜の内張りに魔法紋を縫ったのもそうだ。ミルディアが教師になったのをきっかけに魔法紋に興味を持った俺は、こっそり勉強した成果を注ぎ込むことにした。ミルディアに教えを請わなかったのは、ただの俺の意地だ。フェルの鎧兜だけは、俺一人の力で作り上げたかったから。


 そうこうして、十年の月日が流れた。子供にゃなかなか恵まれなかったが、俺たちは幸せだった。フェルと力を合わせて作った家に住み、汗を流して働いて、夜には笑い合って食事を取る。こんな生活がずっと続けばいいと思っていた。


 思っていたのにな。


 いつだって日常が壊れる日は突然なんだぜ。


 ラグドールの魔王が魔物を従えてグロッケン山を越えたと情報が入り、ラスタは滅ぶか滅びないかの二択を迫られることになった。とはいえ、俺たちは身寄りがねぇ人間だ。隣のルクセンに逃げちまうか、なんて話していた。


 そんな最中、やってきたんだ。


 ゲオルグ・レヴナント・リヒトシュタイン。


 フェルが生きていると気づいた弟が。

アルティが夢で見たように、エドウィンにとって、三人で過ごしたあの夏の日は、魔王になっても最後まで残っていた美しい思い出です。

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