12話 あなたの頭、お作りします!
首都から離れたメルクス森の中。神殿の地下の小部屋で想い人は待っていた。
「すみません、遅刻して……」
「いいよ。工房の片付けをしてたんだろう。忙しいのに呼び出してごめんな」
アイスブルーのカツラを被ったリリアナは、夏らしい白いシャツと桃色のズボンを身につけ、石棺というには粗末な長方形の箱の前で座っていた。その脇には小さな紙袋が置かれている。
完全に明るくなって初めてわかったが、ここは古代人の玄室だったらしい。箱の蓋は少し開いている。調査隊が閉め忘れたのだろう。気にはなったものの、アルティに戻す力はない。
「中身はもうないよ。完全に朽ちていたみたいだ。闇と魔の魔素も、もう残ってないってさ。魔学研究所とエミィが太鼓判を押したから大丈夫だよ」
手招きするリリアナの隣に腰掛け、小部屋の中を見渡す。調度品は何もなく、ただ色褪せた壁画が四方に描かれている。
ここでエドウィンは命を絶った。
魔学研究所に残っていた鎧兜と短剣に屋号紋は刻まれていなかったが、その代わりに、兜の内張りの中に製作日が刻み込まれていた。鎧兜はクリフと出会う直前に作られていたのだ。
最後の作品だと言ったのは、きっとクリフと出会ったからだろう。命を絶つまでの二年間、彼はマリウスとして生きていたのだから。
「ここで見つかった鎧兜、工房を再建したら引き取るんだって?」
「一応、大師匠の形見ですからね。工房で師匠を見張っててもらいますよ。また急にいなくならないように」
「どうだろうなあ。ミルディアさんとお師匠さんの話によると、エドウィンさんも放浪癖あったんだろ。むしろ応援するんじゃないか」
当たり前のようにエドウィンを名で呼ぶリリアナに、じわりと胸が熱くなる。「魔王」が消滅したあの日から、彼の名を口に出すのは憚られる空気を感じていた。あのクリフでさえも。
あわや第二のモルガン戦争を起こしかけた魔王の正体は、今も不明のままとされている。きっと未来には魔物の暴走事件として片付けられているはずだ。
それは国の温情なのか、それとも、フェリクスを戦場に立たせ、一人の職人を悲しみの淵に追いやった負い目があるからなのか、アルティにはわからない。
「……エドウィンさんが旅をしていたのは、デュラハンになれる場所を探すためだったんでしょうか」
「そうだろうな。これだけの闇と魔の魔素だまりがあるところは、そうそうないから。でも、マリウスさんが旅をしていたのは、きっと別の理由だと思うぞ」
「別……?」
「ただ『ちびすけ』と旅するのが楽しかったんだよ。探していたのは、自分の進む道だったんじゃないか」
ああ、そうだ。確かにそう言っていた。魔力が消えそうになるほど楽しかったと。
ぽた、と雫が頬を滑っていく。声もなく震えるアルティの頭を、リリアナが優しく撫でる。王城では我慢できたのに、もう止まらなかった。
「ここに葬られた誰かも、悲しい思いをしたのかなあ」
魔の魔素が充満していたのは、その誰かのやるせない想いが残っていたからだろうか。
エドウィンがどうやってここを見つけたのかはわからない。もしかしたら、彼の身に宿る魔の魔素が引き合わせたのかもしれない。
けれど、もう確認する術はないのだ。彼はもう、旅立ってしまったのだから。ミルディアの伝言を携えて。
鼻を啜るアルティを優しく見つめ、リリアナが「会えてるといいな」と囁く。決して肯定してはいけない願い。それでも、頷くことを許してほしかった。
「……あんまり泣くと、傷に障るぞ。ごめんな、父上が。帰ったらきつく言っておくから」
「いえ、いいんです。俺も娘ができたら、同じことをすると思います」
涙を拭って微笑むと、リリアナの顔の闇がぽっと赤くなった。最近では、ヒト種と同じぐらいに顔色がわかるようになっていた。想いを交わしたからだろうか。
「む、娘といえば、聞いたぞ。エミィのぬいぐるみ、直してやったんだってな。その上、また動き出したって?」
「そうなんですよ。思わず悲鳴上げちゃいました」
リヒトシュタイン領で丁寧に保管されていた体と、エスメラルダの魔力が染み込んだショートベールを組み合わせて直してみたところ、ぬいぐるみは見事な復活を遂げた。原始のデュラハンと同じく、魔生物の彼女は魔力さえ尽きなければ生きていけるらしい。
「エミィちゃん、本当に喜んでくれて……。どこに行くのも一緒だそうです。目を離すと何故かラドクリフさまにくっついてるみたいなんですけど」
「あいつ、モテるって言ってたけど、ぬいぐるみにモテるのか」
玄室の中に笑い声が響く。
石棺にもたれたまま、お互いの近況を話し合う。暇を見つけては顔を合わせていたものの、そばには常に誰かがいたし、こうしてゆっくり二人になれる時間はなかなか取れなかったのだ。久しぶりの逢瀬に、アルティもリリアナも時を忘れて会話を楽しんだ。
「そうだ。ずっと教えてほしいことがあったんだ。私が王城で目覚めたとき、なんで、いい夢を見れたかって聞いたんだ?」
「リヒトシュタイン領で目覚める前、俺、見たんです。夢の中でエドウィンさんの記憶を」
今も目を閉じれば思い出す。美しい湖畔での一シーンを。
アルティが覚えている限り、彼らの生きていた証は決して消えやしない。アルティがいなくなったとしても、ミルディアが千年先まで共に連れていくだろう。
「だから、リリアナさんも見てたらいいなあって。本当に幸せそうだったから」
「……そうか。うん、そうだな。きっとエドウィンさんも、アルティに覚えててもらいたかったんだな。だって、大事な孫弟子なんだから」
「最後までダメ出しされる不肖の弟子ですけどね」
ふいに沈黙が訪れた。
嫌な空気ではない。二人の間には穏やかで、温かな空気が流れている。
これからどうしようかと考えていると、もじもじと体を動かしたリリアナが、脇に置いていた小さな紙袋を胸に抱えた。
「アルティに渡したいものがある」
「はい」
何故だか緊張してしまう。強張った体をほぐすため、リリアナに気づかれないよう、そっと息を吐いた。
「まずは一つ目だ。目を閉じて手を出してくれ」
素直に差し出した両手に、何か乗せられた感触がした。ゆっくりと目を開くと、そこにあったのは炉に灯る火のように真っ赤な鳥の羽だった。
「火食い鳥の羽……」
「エドウィンさんのは朽ちてしまったようだから、改めて仕留めてきた。金槌を受け継いだのなら、それも必要だろ? シュトライザー工房の屋号紋だもんな」
さらっとすごいことを言っているが、リリアナにとっては近所へ買い物に行くのと変わらないのだろう。戦女神さまの本気に恐れ慄きながら、ありがたくいただく。
「もう一つは……アルティが自分の手で開けてくれ」
渡された紙袋の中には、長方形の箱が入っていた。そっと蓋を開けると、見慣れた白銀色の輝きが目に飛び込んできた。セレネス鋼のインゴットだ。それも最高純度の。
リリアナはこほんと咳払いすると、居住まいを正してアルティと向かい合った。
「二十歳の誕生日おめでとう、アルティ。プレゼントは私だよ。それで私たちの結婚指輪を作ってくれ」
ぶふ、と思わず吹き出した。腹を抱えて笑い転げるアルティに、リリアナが顔を真っ赤にして腕を振り上げる。
「な、なんで笑うんだ! 三日三晩悩んだんだぞ! マリーにも太鼓判を押してもらったのに!」
「い、いえ。ありがとうございます。今まで生きてきた中で最高の誕生日プレゼントですよ。謹んでお受けさせていただきます」
「もう! 一世一代のプロポーズが台無しだよ!」
頬あたりの闇を膨らませたリリアナが、拗ねたようにアルティの胸に飛び込む。その肩を抱きながら、アイスブルーのカツラに頬を寄せた。
「新年祭での約束、覚えててくれたんですね」
「盛大に、っていうのは無理だったけどな。本当はケーキとかも用意したかったんだけど、何しろこの状況だろ? 材料が揃わなくて」
「それは来年に期待しておきますよ。楽しみにしてますね」
リリアナは微かに頭を上げ、嬉しそうに目を細めた。
「そうだな、また来年」
その約束は、きっと毎年更新されていくだろう。二人の前には、これから積み重ねていく未来が――日常が待っているのだから。
「まさか、リリアナさんの方からもプロポーズしてくれるとは思いませんでしたよ。ひょっとして、侯爵にインゴットおねだりしました?」
「うん。それが一番確実かと思って。駄目だったか?」
「いいえ。それで謎が解けました」
腫れた頬を撫でる。道理で前より痛くなかったわけだ。泣く子も黙る鬼司令官も身内には甘いと見える。ツンデレめ。
「落ち着いたらアルティの実家にも行こうな」
「うちはいつでも大丈夫ですよ。魔物もよりつかない田舎ですからね。必要なのは復興より村おこしです」
せめて地図には載ってほしい。そうこぼしたアルティに、リリアナが楽しそうに笑う。
「それで、その……。既婚者には既婚者の装いというものがあってだな。独身時代よりも落ち着いた色味の鎧兜になるんだよ。結婚式はドレスを着るとしても、お色直しは鎧兜を着たいんだよな。新婚旅行に行くなら、旅用の兜――いや、帽子も必要だろうし。もし子供ができたら、お揃いのカツラや鎧兜もほしいし……」
アルティの女神さまは強欲だ。きっとミルディアのように、レモンタルトの最後の一切れを食べる妻になるだろう。
けれど、それでいい。それが幸せの形というものだ。
「なんなりと、ご注文をどうぞ。大切なお客さま」
こんなこともあろうかと、用意しておいてよかった。作業着のポケットに入れていたアンケート用紙を差し出し、高らかと叫ぶ。
「あなたの頭、お作りします!」
本編これにて終了です。お読みいただきまして、本当にありがとうございました。
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次回よりエドウィン視点の外伝となります。
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