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11話 夢の終わり

今回、長いです。

「ミルディア先生?」

「師匠! なんでここに!」


 レイとアルティの戸惑いをよそに、ミルディアとクリフがこちらに駆け寄ってきた。


 二人の向こうでは、床にうずくまったウルフが小さく手を振っている。ウルフの闇を伝って現れたらしい。アルフォンスの指示のもと、あらかじめ転送魔法装置に魔力のパターンを登録しておいたおかげだろう。


 エドウィンは声もなく立ち尽くしている。その隙にウルフとエスメラルダを回収したバルバトスが、レイと共にアルティの元にやってきた。


 エスメラルダは気を失っているようだが、命に別状はなさそうだ。ウルフも頭から血を垂れ流しているものの、意識はしっかりと保っている。


「レイ、お久しぶりね。立派な魔法紋師になってくれて嬉しいわ」


 百年ぶりの恩師の言葉に、レイは泣きそうな顔で俯いた。しかし、すぐに顔を上げ、「いい先生に恵まれましたからね」と微笑む。彼らは長い時を生きるエルフ。お互いを思ってさえいれば、百年の隔たりなど一瞬で埋められるのだ。


「アルティ、生きとるか」

「生きてますよ! 今まで何やってたんですか!」

「仕方ないじゃろ。首都を出て、ようやく駐屯地に辿り着いたと思ったらリッカに飛ばされとったんじゃ。戻ってくるのに苦労したぞい」


 あまりにもいつもの調子すぎて、つい口元が緩む。そんなアルティを優しく見つめ、ミルディアはエドウィンにつかつかと近寄って行った。


「エド! あなたって人は、なんてことをしでかしたの! 百年経っても、ちっとも変わってないわね!」

『お前、なんで俺だと……』

「わかるわよ。わからないと思う? こっちはずっと待ってたのよ! あなたの気配なんてねえ、何百キロ離れてたって気づくんだから!」

『さすがに、それはねぇだろ。逆に怖ぇわ。エルフの言うことはいつも大袈裟なんだよ』


 いつの間にか、エドウィンが生んだ闇の槍も、周囲に漂う禍々しい気配も消えていた。反撃するには絶好のチャンスだが、アルティたちは誰一人動かず、二人の日常の続きをただ見つめていた。


「まあね、さすがにそれは冗談よ。でもね、魔物たちからあなたの気配を感じたのは本当。私だけ襲われないのも不自然だしね。だから、確かめようとシエラ・シエルを出たところでクリフさんと会ったの。本当にびっくりしちゃった。こんな偶然ってあるのね。フェルが引き合わせてくれたのかしら」


 ミルディアがフェリクスの名前を口にした途端、エドウィンの肩が微かに跳ねた。それは一瞬の動きだったが、彼の感情の揺らぎを十二分に伝えていた。


「どうして、こんなことをしたの?」


 エドウィンは答えない。ただ黙ってミルディアの顔を見つめている。しかし、体の両脇に下ろした手は強く握りしめられ、小さく震えていた。


「ダンマリなんて、らしくないわね。当ててあげましょうか? さしずめ、フェルの代わりにデュラハンになったはいいけど、帰り道を忘れて暴走したってところじゃないの? 今まではフェルが手綱を引いてくれてたものね」

『おい、野良犬じゃねぇんだぞ。俺はただ、あいつの望みを叶えたくて……』

「なら、百年も寄り道してないで、まっすぐ帰ってきてよ! 私は、帰ってきてほしかったのよ。たとえ、あなた一人でも」


 潤んだ目でまっすぐに見据えられ、エドウィンが怯む。その姿に王城で感じた狂気はどこにもない。すでに彼は魔王ではなく、親友の涙に動揺する、ただ一人の男に戻っていた。


「本当はフェルのいない世界に耐えられなかっただけなんでしょ。百年前からずっとそう。あなたって人は、いつだってフェルのことしか考えてないんだから」


 エドウィンが何事かをもごもごと呟く。アルティには聞こえなかったが、ミルディアの呆れた表情を見る限り、彼女の言葉を肯定しているように思えた。


「……ねぇ、エド。私ね、あなたにお願いがあるの」


 歌うように囁き、ミルディアがエドウィンの両手をとる。エドウィンはなすがままになっている。お互いの視線が絡み合う中、ミルディアが穏やかに微笑んだ。


「この世界を壊さないで。私は、あの家でずっと生きていたい。フェルやあなたのことを、千年先まで覚えていたいのよ。だから、フェルに……もうちょっと待っててって伝えてくれる?」


 それは、とても優しい死の宣告だった。


 凪のような静けさがその場を支配する。


 一瞬だったかもしれないし、永遠のようにも感じる時の流れの中で、やがてエドウィンはミルディアの両手を振りほどくと、体を仰け反らせて顔の闇を揺らした。


『ふっ……ははっ。お前、やっぱり青い目のエルフだよ。レモンタルトが余っても、ベリーのクッキーが余っても、いつもぜーんぶ持っていきやがる。フェルと俺は指を咥えて見てるだけだった』

「あら、そんな私を好きなフェルが好きだったでしょ?」


 腰に手を当てたミルディアがウィンクすると、エドウィンはまた笑った。


『しょうがねぇなあ……』


 顔の赤黒い闇が、ぼろ、と崩れていく。


 鎧の隙間からも、徐々に、徐々に、魔力が抜けているようだった。


 ミルディアがエドウィンを床に座らせ、傍らに落ちていた兜をそっと被せる。デュラハンは兜を被るものだからだ。


 闇の中に浮かんだ両目は、もう赤くはなかった。


『……おい、ちびすけ二号』


 エドウィンはアルティをちらりと見ると、小さく手を振った。まるで、今から出かけてくるとでもいうように。


『この鎧、なかなか悪くなかったぜ。まんまと騙されちまった。まさか二重鋼板にするとはな。相変わらず磨きは甘ぇけど、さすが俺の孫弟子だよ』


 唇を無理やり引き結び、アルティは大きく頷いた。泣いてはいけない。エドウィンのしたことは決して許されることではないのだ。けれど、どうしても涙が込み上げてきて仕方がなかった。


「マリウス……」


 エドウィンに近づいたクリフが呟く。その両手は震えている。エドウィンはクリフを眩しそうに見上げると、青白い両目を三日月のように細めた。


『んだよ、すっかり爺さんになっちまって。初めて会ったときはガキだったのにな。……お前と過ごした二年間、本当に楽しかったよ。魔力が全部消えちまうんじゃないかってくらい』


 床に落ちる雫の音がやけに大きく聞こえる。肩を揺らしながら『泣き虫め』と漏らすエドウィンの声は、とても満足げだった。


『この鎧兜には、俺の技術がしっかりと受け継がれてる。よく育て上げたな。お前は、俺の最高の弟子だよ。そうだろ? なあ……』


 そこで言葉を切り、エドウィンは力なく跪いたクリフの頭にゆっくりと手を伸ばした。


『ちびすけ』


 がらんと兜が床に落ちた。


 赤黒いもやは完全に消え去り、その下から優しい闇が現れた。床にだらりと垂れ下がった籠手がぴくりと動く。


「う……」

「お帰りなさい、リリアナさん。いい夢は見れましたか?」


 お互い支え合い、助け合いながら、みんなで肩を並べて王城の外に出る。


 魔属性の魔力から解き放たれた魔物たちは、すでに己の住処に戻ったようだ。きっと彼らにだって、帰りを待つ家族がいるだろうから。


「リリアナ!」

「エミィ!」


 色とりどりの鎧兜を着たデュラハンたちが駆けてくる。顔を上げた先には、コバルトブルーの青空が広がっていた。






 後片付けというものは、いつだって大変なものだ。崩れた瓦礫の撤去、荒れた地面の整地、遺体の埋葬――数えきれないほどの仕事が次から次へと降りかかってくる。傷ついた体と心をゆっくり癒す暇なんてありやしない。


 けれど、髪や爪が伸びるように、剥けた皮膚が新たにできるように、いずれは再生を果たすのだ。


 生きてさえいれば。


「うう……。肩と腰が痛い……。すっかり年寄りみたいだよ」

「本当の年寄りを前にして何言ってんの? 百年前なんて、こんなもんじゃなかったよ。基礎が残ってるだけでも感謝しな」


 ため息をつくアルティの前には、すっかり焼けこげて崩れ落ちた工房の残骸が積み上がっている。エドウィンが旅立った翌日から、ずっと運び出しの作業をしているのだが、一向に終わりが見えてこない。そろそろ体も悲鳴を上げていた。


 無事だったのは火に強いイフリート鋼板と、セレネス鉱石、看板、レイの店に避難させていた金床とふいごだけ。


 魔王でも潰せないと豪語していた通り、レイの店は傷ひとつなかった。詳しくは企業秘密だとかで教えてくれなかったが、そのうち首都中に彼の魔法紋が普及するだろう。


「うちの工房にも書いて貰えばよかった……。最初に王城に行ったときは、まさかこんなことになるなんて思いもしなかったし」

「あのね。あれは半年かけてコツコツ書いたものなんだよ。書けと言われてすぐ書けるもんじゃないの。簡易結界には応用できたんだからいいじゃん。でも、まあ……魔物は弾けても魔王には効かなかったからね。そこは反省かな。これから、また魔法紋の研究を重ねるよ。まだまだ時間はあるんだし」


 頼もしい言葉に口元が綻んだ。アルティの弟子や孫弟子が巣立つ頃には、世の中はもっと便利になっているに違いない。


「炉さえ作れば営業は再開できるんでしょ。看板が無事でよかったね」

「うん……」


 ブルーシートの上に置かれた、夏の日差しに輝く看板に目を落とす。これだけ何故か中庭の土の中に埋められていたのだ。誰が埋めたのかはわからない。けれどきっと、この看板の屋号紋の意味をよく知る誰かだろう。クリフの想いはちゃんと届いていたのだ。


 近くで楽しそうな笑い声がした。近所の職人連中だ。みんな額に汗して働いている。道の向こうで忙しそうに駆けているのはハイリケだ。脇にはいつも通りアイナとエルザを従えている。


「あー! ちょっと、喧嘩しないでください! こんなときだからこそ、仲良くしましょうよ。ご協力お願いします!」


 今度は遠くからハンスの悲痛な声がする。彼ら警備隊も、市内のあちこちで復興にあたっていた。気の毒なことに業務量は爆増し、助っ人として参戦した、ラドクリフ率いる士官学校生と徒党を組んでいるのをよく見かける。


「大変だなあ、市内の警備も。治安が悪くなってるから、二十四時間体制で回してるんだってさ。頭が下がるよ」

「ありがたいことだね。バルバトス君とウルフ君も、故郷でバリバリ働いてるんだって?」

「うん。首都ほどは被害なかったみたい。ミルディアさんも魔法学校の教え子たちと、各地の復興の手伝いをしてるって」


 レイが「たくましいなあ」と笑う。ミルディアはエドウィンを見送って以来、一層明るくなった。その笑みが曇ることはもうないだろう。たとえその胸の中に多くの傷を抱えても、未来に進み続けることを決めたのだから。


「そう。たくましいんだよ、人は」


 エスメラルダも教会で炊き出しに参加しているというし、ガンツやパドマも早々に製鉄所を再開し、職人たちに必要な物資を届けている。誰もが、自分にやれることを精一杯やろうとしているのだ。


 前線基地だったリヒトシュタイン領も、少しずつ落ち着きを取り戻していると聞く。アルティの故郷は相変わらず認知されていないが、エトナが頻繁に物資を運んでくれているおかげで、生活に不便はないそうだ。クリフの母親ヨハンナも元気にケルミット山を取り仕切っているという。


 そして、王城に戻ったアレスや重臣たちは、一日でも早く日常を取り戻すため、職員たちと一丸となって日夜公務に励んでいた。


 この国は何度だって立ち直る。胸に灯る火が、熱く燃え続ける限り。


「おーい、アルティ。ゴミの分別ってどうすりゃいいんじゃ」

「夕方ごろに廃品回収業者が回ってくるらしいんで、来たら渡してください」


 奥で作業していたクリフが真っ黒になった顔を拭いながら近づいてきた。九十七歳とは思えないぐらい意気健康である。さすが頑丈なドワーフだ。ハーフだけど。


「それにしてもひっどい顔じゃなあ。思いっきりやられよって」

「ほっといてください……」

「まあ、仕方ないね。可愛い娘に手を出されちゃね」


 からかうような口調に顔をしかめる。腫れ上がった右頬が痛い。「戻ったら覚えてろよ」の言葉通り、襲来してきたトリスタンに容赦のない鉄拳をお見舞いされたのだ。王城の武具保管庫に行く途中で殴られたときよりも痛くなかったのは、アルティが強くなった証拠だろうか。


「そういえば、そろそろ時間でしょ。早く行きなよ」

「あっ、そうだ。レイ、あとはよろしくね!」


 手を振る友人に手を振り返し、アルティはでこぼこの石畳の上を駆けて行った。

次回、本編最終回です。

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