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9話 その胸に宿る炎

「王さま……?」

「アレス国王だ!」


 周囲からざわめきが起きる。アレスの背後にはパーシヴァルが直立不動で控え、避難民たちを睨め付けていた。魔物にやられたのだろうか。バケツヘルムがぼこぼこにへこんでいる。


 もの言いたげに見上げてくる職人や避難民一人一人に微笑みかけながら、アレスは彼らの真ん中で立ち止まると、朗々と声を上げた。


「みんな、魔王を倒したくないの?」


 しばし間が空いたあと、一斉に非難の声が上がる。


「できるわけない! 百年前だって、歯が立たなかったのに!」

「あなたは当時を知らないから、そんなことが言えるんです!」

「立ち向かったものが何人死んだか……! あんな惨劇はもうたくさんだ!」

「でも、倒せたよね? 今回もそうだと思わない?」


 笑顔を崩さないアレスに、避難民たちが顔を真っ赤にして声を荒げた。


「それは人間だったからだ! 魔力しかない化け物相手に、どう戦えばいいんだ!」

「その通りだ! いくらセレネス鉱石があったって、魔王にはかなわない!」


 アレスはしばらく彼らの言葉を黙って聞いていたが、徐々に静かになっていくのを機に、ゆっくりと口を開いた。


「そっか。百年前の魔王よりも強いから、自分たちには力がないから――だから、みすみす諦めるのか!」


 アレスの口調が一変した。


 いつもの笑顔は消え去り、彼の青い両目には激しく燃え盛る炎が揺らめいていた。怒りや憎しみではない。これは――情熱の炎だ。


「悔しくはないのか? 恐怖に負けて、自分を蹂躙した相手に黙って頭を垂れるのか! 隣を見ろ! 昨日まで笑い合っていた家族や友人を奪ったのは誰だ? 昨日まで住んでいた家を、お前たちのかけがえのない日常を奪ったのは誰なんだ!」


 うう、とあちこちから呻き声が漏れる。噛みしめた唇から血を流す彼らの周りには、物言わぬ遺体が幾人も横たわっている。悲痛な光景から目を背けることなく、アレスはさらに言葉を紡いでいく。火のように、熱を帯びた言葉を。


「思い出せ! お前たちは鉄だ! 人生という砥石に磨き上げられた剣であり槍だ! 打たれるたびに強くなり、その切先は数多の敵の首を落とす! 見ろ! あの炉の火を! 煌々と燃える熱き炎を! 我らはまだ滅びてはいない!」


 避難民たちは、ただ黙ってアレスが指差す炉の炎を瞳に映している。今このとき、何を思っているのだろうか。泣くもの、怒るもの、怯えるもの――その顔には様々な感情が張り付いている。


「魔王がなんだ! そんなものに我らの日常を、安寧を、思い描く未来を奪わせはしない! 百年前だってできたんだ! 今回も必ずやれる! 今こそ、胸に火を灯せ!」


 魂を込めた演説に、返ってきたのは沈黙だった。肝心の職人たちも、みんな俯いてアレスから目を逸らしている。


(これでも駄目なのか)


 焦燥感に駆られたとき、避難民たちの中から声が上がった。


「胸に火を!」


 凱旋式の日に、リリアナに抱き上げられていた子供である。傍らに父親の姿は見えず、左腕と右目に包帯をしている。


 それでも小さな右手を空に突き上げ、澄んだ瞳でまっすぐに前を見据えていた。彼の胸にはきっと、凱旋式でリリアナと交わした誓いが燃えているのだ。


 耳が痛いほどの静寂の中、ぽつぽつと拳が上がり始める。それはどれも震えていたけれど―― 何かを掴み取るように、強く強く握りしめられていた。


「……む、胸に火を!」

「胸に火を!」


 たった一人の子供から上がった声は、やがて大きなうねりとなって広がっていく。


 頬に当たる熱気は炉のものか、それとも彼らが発するものか。


 アルティは炎を見た。雄々しく燃え盛る炎を。


「……百年前と同じだね」


 レイがぽつりと呟く。


「多くの種族が魔王に首を垂れる中、ヒト種だけは最後まで諦めなかった。だから僕たちは、ヒト種を王に戴くと決めたんだよ」


 演説を終えたアレスがこちらに戻ってくる。その表情はいつもと変わらぬ穏やかなものだった。


「ありがとうございます、王さま」


 アルティの言葉にアレスは相貌を崩し、


「ちょっと格好つけすぎちゃったかな?」


 と笑った。






 五日ぶりに足を踏み入れた首都は、見る影もないほど荒廃していた。無惨に倒れ伏した死体、切り捨てられた魔物、そして崩れ落ちた数多の建物――火事が起きたのか、焦げ臭い匂いも漂ってくる。


「もう一度、この光景を見るとは思わなかったよ」


 そう呟くレイの目は暗い。彼の目には百年前の光景がまざまざと浮かんでいるのだろう。鮮やかなステンドグラスに彩られた小窓の向こうには、皮肉なほど眩しい夏の日差しが降り注いでいた。


「いやー、暑いよネ。氷魔法が使えるリヒトシュタイン侯爵がいてくれてよかったヨ」


 教会の隅でのんびりとアイスを食べながら、アルフォンスが独りごちる。彼の視線の先では、リリアナ、ハンス、トリスタン、ルイ、ラドクリフ、エスメラルダのデュラハン組が、女神像の下で再会を噛みしめていた。


 周りの避難民や兵士たちも、セレネス鋼製の武器を手にしながら、めいめい何かを食べている。堂の入ったことだ。とても戦場の真っ只中とは思えない。


「こういうの馬鹿にならないのヨ。前線で正気を保つにはいかに日常を維持できるカ。これにかかってるのよネ。何か食べるコト。何か作るコト。大事ヨ。覚悟さえ決まればなんでもできるノ」

「仕事は適度にする主義じゃなかったんですか?」

「意義のある残業は別なのヨ」


 アルティたちの元に、顔を真っ黒にしたドワーフ二人が近づいてきた。ハウルズ製鉄所のガンツとパドマだ。二人とも製鉄所の職員たちとともに、ここで立ち向かうことを選んだらしい。


「よう、アルティ。またご大層なもん作ったんだってな?」

「すごいね。鎧を二重にするなんて。よく三日で作れたね」

「みんなが不眠不休で頑張ってくれたおかげですよ」


 アレスの演説で奮起した職人たちと協力して作り上げた鎧兜は、初めて会ったときのリリアナが着ていたものによく似ていた。


 というのも、リリアナがガラハドに預けていたコバルトブルーの鎧兜を解体して、使える部分は使ったからだ。


 大部分は新しくなったが、それでも、ところどころにエドウィンがフェリクスのために作った鎧兜の面影を感じられる。これを見て、エドウィンはどう思うのだろうか。


「アルティ、お待たせ」


 話を終えたリリアナが足音を響かせて駆け寄ってきた。セレネス鋼製の鎧兜を覆い隠すためとはいえ、随分とガタイがよくなってしまった。けれど、アルティにとっては、いつもと変わらぬ美しい戦女神さまだ。


「もういいんですか?」

「うん。王城内の詳しい様子も聞けたし、みんなとまた会えただけで十分だよ。でも、その……。父上が『戻ったら覚えてろよ』って……」

「……リリアナさん、なんて言ったんですか?」

「孫の顔が見たければ踏ん張れって」


 それとなく話すと言ったのに直球をぶち込んだようだ。女神像に目を向けると、トリスタンがものすごい目でこちらを睨んでいた。


「よし、じゃあ、地下通路の闇を解くネ。潜入組はこっち集まっテ」


 魔物の侵入を防ぐため、転送魔法装置の部屋からこの教会に続く地下通路中に闇魔法を充満させているのだそうだ。光の魔素に弱いので外では使えないが、闇の魔素が多い地下なら十分に効力を発揮する。


「エミィをよろしくね」


 エドウィンに入り込まれるのを避けるため、ラドクリフはここでアルティたちの帰りを待つ。鎧を脱いでついていくと随分ごねていたのだが、エスメラルダに嗜められて渋々留守居役を引き受けた。いつの間にか立場が逆転してしまったようだ。


「じゃあ、エミィちゃん。入ってくれる?」


 頷いたエスメラルダが、ウルフが生んだ闇の中に入っていく。彼女もまた、全身をセレネス鋼製の鎧で覆っていた。こちらは各地から転送魔法でかき集めて手直ししたものである。


「よし、行こう!」


 地下通路を抜け、慎重にドアを開ける。部屋の中に魔物の気配はなかった。残されたセレネス鋼製の剣のおかげかもしれない。退却の際に誰かがドアに突き刺したらしい。暗闇の中で淡く光るそれは、まるで灯火みたいに見えた。


 レイたちの必死の抵抗が功を奏し、エドウィンは最初にいた会議室がある区画に閉じ込められていた。通路という通路を闘技祭で使用したセレネス鋼製の壁で塞ぎ、魔法紋で結界を張ったそうだ。とんだ力技だが、やれることはなんでもやるという心意気を感じる。


「抜けようと思えばいつでも抜けられると思うけどね。きっと、魔力を温存してるんだ。長引けば長引くほど、こっちが不利になるのがわかってるから」


 慎重に壁の向こうへと足を踏み入れる。その瞬間、身体中をぞわぞわとした感覚が走り抜けた。


『待ってたぜ』


 足元の床が崩れ、浮遊感が体を包んだ。咄嗟に伸ばした右手に柔らかいものが触れる。その正体を確かめる余裕もないまま、アルティは奈落へと落下していった。


「アルティ! 連隊長!」


 頭上から降り注ぐレイの声と、近づく魔物たちの足音を最後に、アルティの意識はふっと途切れた。

奮起した避難民たちは、首都の周りで魔物を狩っています。次回エドウィンと対峙します。

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