7話 嘆いている場合じゃない
今回、少し長めです。
「エドウィン……って誰のことだい?」
首を傾げるガラハドに、アルティはシエラ・シエルでの出来事を語った。隣で涙を拭ったリリアナが「そんな……」と声を上げる。
「なんでエドウィンさんが……。確かな証拠でもあるのか?」
「意識を失う前、あいつ、俺をちびすけ二号って呼びました。師匠をちびすけと呼んでいたのはエドウィンさんだけです。工房で金槌を振り上げたときも息を飲んでいました。それもそうですよね。自分の金槌だったんだから」
工房で何かを探しているように見えたのは、クリフがいなかったから。金床を蹴ったのは、そうすればアルティが怒るとわかっていたからだ。
同じ職人だ。越えてはいけないラインをよく知っている。手を出させて無理やり追い出そうとしたのだろう。
「……そうだ。工房を取り上げたのも、師匠を首都から出すためだったんだ。たとえ壊したところで、師匠は絶対に出て行かない。だから、あんなまどろっこしい真似をして首都に愛想をつかせようとしたんだ」
クリフは一度故郷を飛び出している。国中に名が轟いた今なら尚更、嫌気が差した土地に固執しないだろう。それこそ新天地をすぐに見つけるはずだ。
「エドウィンさんには、師匠への情が残ってる……。シエラ・シエルは今どうなっているんですか?」
「魔物は押し寄せているようだけど、シエラ・シエルには壊滅的なダメージは与えられていない。侵攻を阻む大河と魔法学校があるからだと思っていたんだけど、話を聞くとどうも違うようだね」
「ミルディアさんがいるから……?」
リリアナが消え入りそうな声で呟く。
魔王がエドウィンであれば、リリアナを狙ったのも偶然ではないかもしれない。フェリクスを戦場に連れて行ったのはリヒトシュタイン家だ。それに、リヒトシュタイン家を引っ掻き回せば、間違いなく国の重臣たちが出張ってくる。
王城でも言っていた。『お偉いさんたちを一網打尽にするつもりだったのに』と。もしリリアナが地下に潜らなかったとしても、操った人間を利用して、いずれは辿り着いたはずだ。
「魔王が討たれたとき、エドウィンさんはその場にいた。死の直前、エドウィンさんの体に魔王の魔力が――取り込んだ魔の魔素が入り込んだ可能性は? 魔属性に取り憑かれて、フェリクスさんを失った悲しみと憎しみが増幅されたのだとしたら?」
「でも、赤目はどう説明するんだ? お師匠さんと出会ったときは紺色の目だったんだろう?」
「エミィちゃんは魔力を抑えることで、セレネス鉱石が光らなくなった。同様に赤目も抑えられるんじゃないですか? リリアナさんを操っていたときに赤かったのは、魔力を使っていたからだ。師匠と別れたのはメルクス森の中です。そのあと神殿の地下に行ったのなら、あの鎧兜の主がエドウィンさんでも辻褄は合う」
神殿の地下には闇の魔素が充満していた。ハンスが『嫌な気配がした』と言っていたから、魔の魔素も充満していたはずだ。古代人は、あの小部屋を封印するために神殿を建てたのかもしれない。
「そうだとしても百年近く経ってるんだぞ? ヒト種が生きていられるわけがない。それにあんな姿……。まだ新種の魔物だと言われた方が納得できるよ」
「魔物だったら、結界のある首都には入れません。でも、きっと純粋なヒト種でもないんだ。エドウィンさんは一度亡くなったあと、大量の闇と魔の魔素を取り込んで生き返った。この世界には、同じように発生した種族がいますよね」
「まさか……」
リリアナの声が震えている。アルティ自身も荒唐無稽だとはわかっているが、もうそれ以外に考えられない。
「そのまさかです。あの人はデュラハンになったんだ! フェリクスさんと同じデュラハンに!」
重苦しい沈黙が降りた。ガラハドも、リリアナも身動き一つできないでいる。ここにレイがいたら、アルティにどう答えるだろう。
「僕もそう思うよ」
「あれが同族とは信じたくないけどね」
聞き慣れた声に、息が一瞬詰まった。その場にいた全員が、開け放たれたドアの外を一斉に見る。
「レイ! ラドクリフさま!」
二人は血と泥で汚れてひどくぼろぼろだったが、しっかりと自分の足で中に入ってきた。一気に目頭が熱くなる。アルティと共に駆け寄ったリリアナが、ラドクリフの腕を掴んだ。
「ハンスは⁉︎」
「首都に残った。あの子は強い子だよ。『連隊長の留守を守るのは僕の仕事です』だって。今もリリィのことを信じて待ってるよ」
「侯爵も首都に残ってるんだね」
レイが頷く。
「アルフォンス君と一緒に、逃げ遅れた職員や市民を連れて、首都の教会に立てこもってる。あそこはセレネス鉱石を使っているから、魔属性に取り憑かれた魔物は近寄れない。王さまとルステン宰相の指示で、転送魔法装置の部屋と地下通路で繋げてたんだってさ」
「抜け目ないなあ……。王さまの行方はわからないの?」
「わからない。ロイデン騎士団長が首根っこを引っ掴んでるのを見たから、王城からは脱出したはずだけど……。そっちも、お師匠さんは?」
「それが……。首都からは出たみたいなんだけど、通信機が繋がらなくて」
「そっか……。駐屯地から手当たり次第に飛ばしてるから、どこに避難したのかわからないな……」
唸るレイの横で、今度はラドクリフがリリアナの肩を掴んだ。
「エミィはどう? 目を覚ました?」
「……まだだ。精神ダメージが深かったみたいでな……」
腕を下ろし、ラドクリフが悔しそうに目を伏せる。
行方がわからないのはクリフだけじゃない。ガンツやパドマ、近所の職人たちはどうなったのだろう。アルティの家族も生きているのだろうか。今まで出会った全ての人の顔が、次から次へと浮かんできて、呼吸が苦しくなる。
そんなアルティに、レイが「しっかりしな」と発破をかける。
「最後まで諦めないのが君の才能なんでしょ。僕たちは魔王を倒すことを考えよう」
「……うん!」
それをきっかけに、ソファにめいめい腰を下ろす。最初に口火を切ったのはレイだった。
「原始のデュラハンは魔生物に近い存在だった。魔生物っていうのは、ダンジョンにいる動く人形みたいなやつだね。今まで魔法で動いているとされていたけど、実はモノが魔素を取り込んで発生した種族だとわかった。エスメラルダちゃんのぬいぐるみもそうだったんだよ」
「……前に一度だけ動いているところを見たことがあるんだよね。秘密にしてほしそうだったから、エミィには黙ってたけど」
あのぬいぐるみは――マーガレットは命を賭けて主人を守ったのだ。ばらばらになった姿を思い出して胸が痛んだ。
「肉体がないから水も食事も必要なく、魔力を維持する魔素さえあれば活動できる。ただ、連隊長の体の中には入り込めなかった。あれは、あくまでデュラハンであって、純粋な魔素じゃないからね」
「リリアナさんが意識を取り戻せたのも、外側から操ってたからか。でも、肉体がないとなると……やっぱり聖属性で浄化するしかないよね?」
「百年前も聖属性以外は通用しなかったからね。でも、そのときは精神エネルギーだからだと思ってたんだよ。もっと早く、聖属性と魔属性の力の元が魔素だとわかっていたら、あれだけ蹂躙されずに済んだのに……」
当時を思い出したのか、レイが深いため息をつく。
魔素を絶てばいずれ消えるのかもしれないが、現実的ではない。魔属性は他の属性を飲み込んで自分の魔力にしてしまうからだ。モルガン王は肉体があったからこそ、倒せたとも言える。
「……リリアナさん。シエラ・シエルで『どうしてデュラハンは素肌を隠すんだろう』って言ってましたよね」
「ア、アルティ、それは……!」
「リリアナ、お前そんなこと言ったのかい? 兄さんが聞いたらまた怒るよ」
呆れた目をするガラハドに、リリアナがしゅんと肩を落とす。こういうときだが可愛いと思ってしまうのは、きっと惚れた欲目だ。
こほんと咳払いし、話を続ける。
「それは、原始のデュラハンは鎧がないと形を保てなかったからじゃないですか? 鎧を脱ぐのを嫌がるのは、その習性を引き継いでるんだ。俺は俺だと認識しているし、されているから俺なんです。自分を縛るものがないと、自己は保てない。エドウィンさん……あいつもリリアナさんから引き剥がされたとき、鎧からは離れませんでしたよね」
「肉体の代わりに鎧を着ることで、自己と他者の境界線を引いている。そういうことだね」
レイがアルティの言葉を補足してくれた。
「じゃあ、鎧を脱がせたらいいのか。でも、どうやって近づく? 父上でも軽くあしらわれたのに」
リリアナの言葉に、その場にいたデュラハンたちが唸った。トリスタンの実力をよく知っているからだ。
「近寄らなくても脱がせる方法はあります。リリアナさんの鎧兜はルクレツィア鋼製ですから、高火力で溶かせる。鉄との合金なので融点は高いですが、二千度もあれば……」
「俺の青火の魔法なら……。でも、生き残りがいると巻き込んじゃうな。あれは他の魔法みたいに調整が効かないんだよ」
「つまり、俺の出番ってことか?」
窓の外から聞こえた声に、全員目を丸くした。紺色のブリガンダインを着たドラゴニュート――バルバトスが空中に浮いている。その腕には疲れた顔をしたウルフが抱き抱えられていた。
「二人とも、無事だったんですね!」
「ミーナは? そばを離れて大丈夫なのか?」
窓に駆け寄って二人を中に入れたアルティとリリアナに、ウルフはにっこりと微笑んだ。
「補給のために、闇魔法使いはドラゴニュートと一緒に各地を回ってるんだ。ミーナは村を守ってる。大丈夫。エトナさんとピーちゃんもいるし、兄ちゃんたちだって、ああ見えて強い獣人だからね。俺たちはウルカナの狩人。魔物には負けないよ」
「エトナさんとピーちゃんも無事なんだね」
「荷運びの途中で、たまたま村にいたんだ。アルティさんのご家族も無事みたいだよ。それが……田舎すぎて魔物もスルーしてるって……」
無事で嬉しい。嬉しいのだが、少し複雑である。
「まあ、よかったじゃねぇか。ラドクリフんとこも、姉さんが無双してるってさ」
「お前のとこはどうなんだよ。バネッサさん一人だろ」
「こっちにはドラゴンがいるんだぜ? わけねぇよ」
高らかに笑うバルバトスに、その場の空気も少し緩む。
「で? 話の続きを聞かせろよ。鎧溶かすんだって?」
「それが……」
こちらに駆け寄ってくる足音が聞こえた。部屋の中に駆け込んできたのはハイリケだ。全力疾走してきたのだろう。銀縁の眼鏡がずれてしまっている。
「エスメラルダさんが目を覚ましました!」
ぞくぞくと仲間たちが集まってきました。
セレネス鉱石のおかげで、百年前ほど悲惨な状況には陥ってません。
マリアとハロルドはウィンストンに居ましたが、魔王復活の連絡を聞いて、自領であるマルグリテ領に飛びました。




