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2話 店なき子のブルース

 本に埋もれた店の真ん中で、アルティは頭を抱えていた。カウンターでは呆れ顔のレイが、ぬるくなったコーヒーを啜りながら夕刊をめくっている。


「君さあ……。反省って言葉を知らないの? 侯爵のときも、カッとしてやばいことになったじゃん。あんな修羅場で、そういう職人気質は命取りなんだからね」

「ごめん……。でも、金床を蹴るなんて……」

「気持ちはわかるけどねえ。どう考えても連隊長の本意なわけないじゃん。事情はわかんないけど、君が信じてあげなきゃどうすんの。ほら、甘いものでも食べな。こういうときはね、糖分が一番だよ」


 差し出されたチョコレートを一粒つまむ。普段なら絶対に食べないレベルの甘さだったが、友人の気遣いも相まってか、少し元気が出た気がした。


「レイは冷静だね……」

「伊達に長生きしてないからね」


 読み終えた新聞をカウンターに投げ出し、レイが金髪をがりがりと掻く。


「今日の騒ぎ、夕刊に載ってない。新聞社からすれば格好の餌なのに。ということは、民間に介入できる力があるってことでしょ。どう考えても黒幕は国だよね。連隊長に命令できるっていうと誰? 侯爵?」

「一番やりそうだけど、それなら短納期の依頼してこないと思うよ。別にかばうわけじゃないけどさ……」


 やるならまどろっこしいことをせずに、最初から魔法でアルティ諸共吹き飛ばしているはずだ。初めて会ったときも工房を更地にすると脅された。トリスタンなら、たぶんそれぐらいのことは平気でやる。


「それもそっか。でも、そうなると宰相とか王さまになっちゃうけど……。君のとこの工房、もしかして地下に金鉱脈とか埋まってる?」

「もしそうなら、基礎打ちしたときに発覚してるって……」


 二人で唸り声を上げる。どれだけ考えてもわかりそうもない。これから、どうすればいいのだろうか。なんとか金槌だけは持ち出せたが、それ以外のものは置いてきたままだ。


 入れ替わり立ち替わり励ましにきてくれた近所の職人連中の話だと、工房はまだ更地になってはいないらしい。しかし、周囲には立ち入り禁止のテープが貼られ、戸惑いの表情を浮かべた警備隊員たちが見張りに立っているそうだ。通りすがりの職人たちに罵声を浴びせられているようなので、彼らも気の毒ではある。


「師匠、まだかなあ……。早く話をしたいのに」

「組合としても一大事だからね。こんな横暴許したら、自分たちの工房も危ないかもしれないしさ。今頃、話し合ってるんだと思うよ」


 そのとき、焦茶色のドアの向こうに人影が見えた。一人ではない。複数だ。もしかして、ここにも警備隊が来たのだろうか。


「大丈夫。この店には何重もの魔法紋を刻んであるからね。たとえ魔王だって潰せないよ」


 気色ばむアルティを宥め、レイが席を立つ。彼が開けたドアの先に立っていたのは、背中に大きな荷物を抱えたラドクリフと、不安そうなエスメラルダ、そして両手に紙袋を下げたクリフだった。


「やあ、いらっしゃい。中にどうぞ。君がエスメラルダちゃんか。噂通り可愛いね」

「え、あ、ありがとうございます」

「ちょっと、レイさん。うちの姪っ子たぶらかすのやめてくれる?」

「し、師匠!」


 わいわいと中に入ってきた二人を掻き分け、クリフに飛びつく。アルティの顔を見て、クリフは眉をひそめると、無防備な額にデコピンを飛ばしてきた。


「いたっ! 何すんですか!」

「そんなしみったれた顔をしとるからじゃ。今にも泣きそうじゃないか。情けないやつじゃのう」

「工房を取り上げられたんですよ? 泣きたくもなりますよ!」

「金槌と金床と炉さえあれば、仕事はできる。常々言っとるじゃろう。たとえ店が吹っ飛ばされても、己の力で金槌を振るうのが職人じゃ」


 アルティの憂いを吹き飛ばすように大きな声で笑い、クリフはカウンターの上に紙袋を乗せた。無性にいい匂いがする。吸い寄せられるように中を覗くと、アルティの好きなカツ丼弁当が山積みになっていた。


「どうせ何も食っとらんのじゃろう。お前はすぐ飯を抜きよるからいかん。腹が減っては戦はできんぞ」

「一応、金床と……なんて言うの? ふいご? は持ち出してきたよ。あとこれ、当面の着替え。夏場に着替えなしはきついでしょ。買い直すのもお金かかるしさ」


 鈍い音を立てて床に置かれたのは、確かに工房の金床二個と差しふいご。そして、アルティたちの夏服と作業着だった。よく担いでこれたものだ。さすがデュラハンである。


「ありがとうございます、ラドクリフさま。でも、どうやって工房に入ったんですか?」

「出生証明書以外にデュラハンを区別する方法って何だと思う?」

「え? 体格と声、あと鎧……あっ」

「気づいた? ハンス君の鎧兜を借りたんだよ。体格似てたしね。声は魔機で変えた。彼、水属性だから結構きつかったよ。でも、さすがに警備隊の子たちに泥棒の真似事をさせるのは可哀想だからね」


 ラドクリフは火属性だ。水属性の鎧兜をまとうと、それだけで魔力を消耗してしまう。そこまでして自分たちのために動いてくれた事実に涙腺が緩みそうになり、咄嗟に顔を伏せた。


「アルティ、とりあえずご飯食べよ」

「うん……」


 優しく腕を引っ張るエスメラルダに続いて席につく。差し出されたカツ丼は、いつもよりもほんの少しだけしょっぱかった。






 食事も終え、窓の外がすっかり暗くなった頃、話はようやく本題に入った。とはいえ、わかっていることはほとんどない。


 リリアナの言う土地の登記について尋ねると、クリフは首を捻った。


「当時はそんなもんなかったわ。建屋は個人間の売買じゃったし、役所に開店申請すればそれでしまいじゃったぞ」

「そうだよ。僕だってこの店開いたとき、登記書なんて出した覚えないもん。よその国みたいに地税を払うわけじゃないんだからさ」


 レイの言う通り、ラスタに地税はない。代わりに出生証明書に基づく住民税や家屋の固定資産税などがあるだけだ。


「そもそも、戦後すぐなんて、何もない真っ平だったんだよ? そこに勝手に家や店を建てて、めいめい住み始めたんだからさ。連隊長みたいなことを言ってたら、首都にいるエルフやドワーフの土地は、みんな国に接収されちゃうよ」

「なんであの場で言ってくれなかったんだよ……」

「言えるわけないじゃん。そんな空気じゃなかったでしょ」

「王城も大騒ぎだよ。リリィが御乱心だって、あることないこと噂されてる。王さまもさすがにびっくりして、明日査問会開くって」


 レイと顔を見合わせる。さっき黒幕は国だと話したところなのに。


「誰かがリリアナさんに命令したんじゃないんですか?」

「そう思うよね。でも違うんだよ。まあ、詳しくは次に来る人たちに聞いて」

「次?」


 ノックの音と共に焦茶色のドアが開いた。中に入ってきたのは青色の鎧兜を着たデュラハンと、濃いグリーンの鎧兜を着たデュラハンだ。


「ハンスさん! ……と、リヒトシュタイン侯爵? 何故ここに?」

「俺も屋敷を追い出された。新入りの傭兵たちを引き連れて使用人たちを人質に取った挙句、引退して爵位を譲れと迫られてな」


 国軍のトップが何をしているのか。自然と視線も口調も剣呑なものになる。


「それで黙って出てきたんですか? あなたが?」

「さすがに見殺しにするわけにはいかないだろう。とりあえず、解放された使用人たちはリヒトシュタイン領に向かわせた。今は乳母のマリーだけがあいつのそばにいる。てっきり、お前を本気で婿に迎える気で反抗してきたのかと思ったんだがな」

「こんなときに何言ってんですか!」


 二人はレイが用意した椅子に座ると、エスメラルダが差し出した水を一気に飲み干した。今まで事態の収拾に駆けずり回っていたのかもしれない。さっきラドクリフが言っていた御乱心の意味がよくわかった。


 まさかシュトライザー工房だけではなく、リヒトシュタイン家まで取り上げようとしているとは。とてもリリアナが一人でやっていることとは思えない。


 いや、思いたくない。


「では、早速ですけど。事の経緯をご説明しますね」


 ハンスは腰のポーチから手帳を取り出すと、ページをめくりながらゆっくりと話し始めた。

人がどんどん集まってきました。

レイの店内はシュトライザー工房より狭いので、かなりぎっちぎちになっています。

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