1話 崩壊の足音
「最近、リリアナ連隊長来ないねえ」
レイの何気ない一言に、アルティは肩をぴくりと揺らした。
トリスタンが襲来した日から一週間が経つが、リリアナはまだ工房を訪れていなかった。地震の影響でメルクス森の神殿に地下への入り口が見つかったとかで、発掘調査の警備責任者として駆り出されているのだ。
なんでも、森の奥にある広域のダンジョンに繋がっている可能性があるらしく、王城の魔学研究所の職員や、探索者組合の有識者を総動員しての大騒ぎになっていると、疲れた顔をしたハンスから聞いた。
エスメラルダがシエラ・シエルで聖女から教えを請えたのは僥倖だったと言うべきだろう。魔力をうまくコントロールできるようになったおかげで、神殿へ聖の魔素を補填しに行かずに済むようになったからだ。意識的に魔力を抑えることで、セレネス鉱石に触っても無闇矢鱈に光らなくなったらしい。
それどころか、最近では魔属性に取り憑かれた人間や魔物を浄化して回っているそうだ。アルティの周りにも、エスメラルダが聖女に匹敵する聖属性の使い手だということが少しずつ知れ渡ってきた。今はまだ小規模な範囲に収まっているが、そのうちエルネア教会に正式に許可を取り、大々的に聖女としての活動を始めるだろう。
まだ子供だというのに本当に頭が下がる。初めて会ったときからは考えられない成長ぶりに、アルティは舌を巻く思いだった。
(そういえば、そろそろ一年経つのか)
リリアナと初めて出会ったのは真夏。そして、エスメラルダと出会ったのは秋口だった。ついこないだ年が明けた気がするのに、時が過ぎるのはあっという間である。
外は夏真っ盛りだ。容赦のない日差しが窓から入り込み、工房の中もえげつないほど暑い。店の冷風機はなんとか稼働しているものの、変な音がするようになってきた。今も時折ばりばり唸っている。壊れるのも時間の問題かもしれない。
「なんか寂しくない? 連隊長がいると、いつも賑やかだったじゃん」
「仕方ないよ。仕事なんだから」
「ふーん。仕方ないって思うんだ。なんだかんだ言って、会えないのが残念なんだね」
含みのある言い方だ。レイを筆頭に、みんなアルティとリリアナをくっつけたがっているような気配を感じる。
確かに、そばにいたいとは思う。一緒にいれば楽しいし、安心もする。他に誰かいい人がいるのではと思うともやもやするし、ほんの一瞬だけ共に歩む未来を想像したりもした。
しかし、それが友情なのか恋情なのかは正直アルティにもはかりかねている。何しろ初めての経験なのだ。もし、これが恋愛感情なのだとしても、せめて自分で答えを見つけるまでは、この気持ちを誰かに引っ掻き回されたくはなかった。
それに、建国祭のときの二の舞はもうごめんである。下手に噂が広まって、リリアナの足を引っ張りたくはない。世界が壊れるような非常事態ならともかく、できる限り、このささやかな日常を保っていたかった。
「あれ、静かになっちゃった。よかったら店番しててあげようか? 会いたいなら、会いに行けばいいじゃん。何も連隊長が来るのを大人しく待たなくても」
「……からかって楽しんでるだろ」
精一杯の怒りを込めて睨むと、レイは我慢できずに吹き出した。
「いや、だってさあ。まさか侯爵が来るとはさあ。君、めちゃくちゃ見初められてんじゃん。どんな顔してここに座ってたの? 気になる〜」
「デュラハンに顔はないよ! いいから手伝って! あの人、急に無茶振りしてくるんだから!」
作業台の上に広げた金属板に錆止めを塗りながら叫ぶ。
今回のご依頼は、屋敷の新入りの傭兵に着せるという、コートオブプレート五着だ。コートオブプレートはバルバトスに作ったブリガンダインに似た鎧で、金属板を革の内側ではなく外側に取り付ける。納期は二週間しかない。十着じゃないだけ、クリフより優しいのか。
「部位によって重力軽減の魔法紋と、重力負荷をかける魔法紋を刻むなんて正気じゃないよ。そもそも、そんなことできるの? 効果を打ち消し合わない?」
「有効範囲を指定すればできるよ。でも、正直おすすめしない。記述をミスると、どっちかだけが効果が大きくなっちゃって、まともに機能しなくなるし。当然、本人にかかる負担も大きくなるしね。まあ、それに目を瞑れば、弱いところだけを重点的に鍛えるには効果的かもね。たまに士官学校からも同じ依頼きたりするよ」
「魔法紋ってなんでもできるんだなあ……」
「あっ、興味でてきた?」
漏らした呟きに魔法紋オタク――もといレイが反応した。止める間もなく、湯水のごとく蘊蓄が流れ出す。
「この世界は一つの生命体。故に言葉で定義できるものはなんでもできる。それが魔法紋の創始者ルミナス・セプテンバーの考えだよ。言葉で縛ることで世界の無意識下に共通認識を与えて事象を発現させるんだね。君だって、みんなからアルティと認識されて、自分でもそう認識してるからアルティなんだよ」
「よくわかんないよ……」
「うーん、ミルディア先生みたいにはいかないなあ」
レイが頭を掻いたと同時に、玄関のドアベルが鳴った。来客だろうか。しかし、何やら様子がおかしい。複数の足音が騒々しくこちらに近づいてくる。
「全員その場から動くな!」
鈴の音のような声が工房中に響き渡った。
現れたのはメルクス森に駆り出されているはずのリリアナだった。珍しく面頬を全て下ろし、手には抜き身の剣を携えている。何故か髪留めも短剣も身につけてくれていない。その後ろではハンスや警備隊の部下たちが、おろおろとリリアナを見つめていた。
「リ、リリアナさん? 一体どうしたんですか?」
「この工房は本日をもって閉鎖。本来の持ち主に返還後、国が買い上げることになった。つまり、ここはもうお前たちのものじゃないということだ」
「えっ、ちょ、ちょっと待ってください! 本来の持ち主ってどういうことですか! ここは師匠のものですよ!」
思わず椅子から立ち上がる。そのままリリアナに駆け寄ろうとしたが、剣を突きつけられて身動きできない。神殿でしこたま怒られたことはあれど、こうして剥き出しの殺気を向けられるのは初めてだった。
「所有権移転登記手続きはなされていない。名義人が亡くなった今、土地の売買には相続人全員の了承がいるんだよ。今朝方、相続人の一人から異議申し立てがあった。不服がある場合は弁論士を通じて裁判を起こすんだな」
「そんな。八十年もここで営業してるのに、今さら……」
「わかりやすいように言葉を言い換えてやろうか。これは接収なんだよ。お前らに選択の余地はない。それに中庭の屋根、違法建築だろう? 今すぐしょっぴかれたいか?」
確かにそうだが、リリアナがそれを言うのか。天気のいい日なんて、一緒にお弁当食べてたのに。
何かおかしい。おかしいが、理由がわからない。もしリリアナの言っていることが本当だとしても、こんな脅すようなことなどせず、きちんと筋道を立てて話してくれるはずだ。
それに……これは自惚れかもしれないが、リリアナがこの工房を積極的に潰そうなんてするはずがない。それだけの関係性を自分たちは築き上げてきたはずだ。
何か事情があるなら、教えてほしい。そんな想いを込めて見つめたが、リリアナはアルティの目を見返してはくれなかった。その姿に胸がずきりと痛む。
どうしてこうなったのか。シエラ・シエルにいたときは、お互いあんなに笑い合っていたのに。
「どうした。大人しく出ていくのか、出ていかないのか」
「せ、せめて師匠が戻るまで待ってください。この工房の主人は師匠です。俺には決められません。ただの弟子なんですから!」
「抜かせ。お前が一切を取り仕切ってるんだろうが。これ以上、つべこべ言うなら実力行使するぞ! いっそ更地にされたいか?」
近くにあった金床を蹴飛ばされて、カッと頭に血が上った。いくらどんな事情があろうとも、職人の魂を足蹴にするなんて許せない。
「やれるもんならやってみろ! ここは俺たちの工房だ! たとえ更地になろうが、何度だって建て直してやる! 脅しが怖くて金槌が握れるか!」
吠えるように叫び、ベルトに下げていた金槌を振り上げる。リリアナは一瞬ハッと息を飲んだが、すぐに気を取り直し、剣の柄を強く握り込んだ。
「言ったな。じゃあ、お望み通りにしてやる!」
「あーっ! ちょっと待ってください!」
悲痛な声を上げたハンスが、剣を振り上げたリリアナと憤るアルティの間に割り込んだ。その隙に、警備隊の面々がリリアナの体を抑えにかかる。
ハンスはアルティを庇うように立つと、両肩に手を乗せて力を込めた。まるで聞き分けのない子供を宥めるみたいに。顔があれば、きっと必死の形相を浮かべているだろう。闇の中に漂う青白い光は、しきりに揺らいでいた。
「アルティさん。ここは一旦引いてください。僕も何がどうなってるのか、全然わからないんです。あとで話し合いましょう」
「でも……!」
「そうだよ、アルティ。国家権力に正面から逆らうとやばいよ。とりあえず、僕の店においで。近所の職人連中には言伝てしとくからさ」
友人二人から説得されて、少しずつ頭も冷えてきた。ハンスの背後のリリアナは、じっとこちらを見つめている。しかし、その瞳はやはりアルティの目を見ていない。
何故だろう。ここにはない何かを探しているような気がする。
(どうして、俺を見てくれないんだ)
蝉の鳴き声がやけにうるさく響く。
苦々しい気持ちで金槌をベルトに戻し、店を去るしかなかった。




