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閑話 共に歩むということ

 リリアナが来ない。


 手にした懐中時計に目を落とし、アルティは何度目かわからぬため息をついた。シエラ・シエルから戻ってきて半月。ようやく溜まっていた仕事が片付いたから、今日は昼休憩をここでとると言っていたのに。


 もしかして、事故に遭ったのだろうか。いや、それなら誰かが知らせてくれるはずだ。何か用事ができたか、ハンスに怒られたのかもしれない。だから抜け出せない状況なのかも。


 そわそわしながら取り留めのないことを考えていると、玄関のドアベルが鳴った。同時に、鎧が擦れ合う音が近づいてくる。


「いらっしゃい、リリアナさん。コーヒーと紅茶、どっちにします?」

「どっちもいらん。お前が淹れたものなんて飲めるか」


 工房に顔を出したのは、リリアナの父親トリスタンだった。


「な、なんであなたがここに……」


 トリスタンは答えずに、対面のパイプ椅子にどかっと座った。リリアナよりも遥かに立派な体格に負け、椅子の背が嫌な音を立てる。


 足と腕を組んでアルティを睨みつける姿は、いつにも増して威圧感がやばい。新年祭以降、王城で酒盛りした覚えもないし、何故ここに来たのかわからない。いや、それよりもリリアナはどうしたのか。


「あの……。リリアナさんは?」

「なんでお前が気にする」


 いけないと思いつつも、正直イラッとした。気に入らないのはわかるが、いちいち噛みついてこなくてもいいだろうに。リリアナの気持ちが分かった気がする。


「そりゃ気にしますよ。リリアナさんは大事なお客さまで友人です。約束したのに突然来なくなったら心配するに決まってるじゃないですか。逆に聞きますけど、あなたは気にならないんですか? 娘の姿が急に見えなくなったら」


 捲し立てるアルティに、トリスタンは一瞬だけ引いた様子を見せると、低い声でぼそぼそと呟いた。


「……あいつはメルクス森の調査に行ってる。さっき、また地震があったからな。だから今日はここには来ない」

「え……。まさかリリアナさんがあなたに伝言を……」


 最近、雪解けが進んでいるとは思ったが、そこまで仲よくなったのか。目を丸くするアルティに、トリスタンがない舌で舌打ちをした。


「違う。俺はあいつにそこまで信用されてない。たまたま、部下が巡回のついでに言付けを頼まれているのを見たから……」


 悲しいことを言うトリスタンの手には、くしゃくしゃになった紙が握られていた。そこには『今日は行けなくなった。ごめんな。また近いうちに会いに行くから』と書かれていた。部下から奪い取ったんだろう。誰かはわからないが、相当怖かったはずだ。ハンスじゃないことを祈ろう。


「……わざわざどうも」


 紙を受け取り、作業着のポケットに入れる。これで用件は済んだはずなのに、トリスタンに立ち去る気配はない。


「クリフはどうした」

「組合の定例会議に出かけてますけど……。もしかして、お仕事のご依頼……」

「そうか。好都合だ」


 トリスタンが腰に手を伸ばす。何が好都合なのか。まさか消されるのか。


 身構えるアルティの膝の上に、何かが放り投げられた。よく見ると、リリアナがシエラ・シエルで買っていたお土産の短剣だった。


「この鞘、お前が作ったんだろ?」


 答えないアルティに、トリスタンが剣呑な目を向ける。確かに作ったが、何故気づいたのか。リリアナはアルティが作ったとは話さないと言っていたのに。


 しかし、これでようやく謎が解けた。トリスタンはクレームを入れに来たのだ。きっとボロクソ言われるに違いない。


 再び身構えるアルティに、トリスタンは予期しないことを口にした。


「このベルト、俺には少し短い。調整しろ。ついでに投擲用のナイフもいくつか作れ。素材は鉄でいい。費用はこれぐらいか?」


 今度は金を投げ渡される。さすが貴族だ。相場より遥かに多い。まさかの調整依頼と新規の製作依頼に、アルティは思わず素の自分を曝け出していた。


「ええ……。ベルトはともかくナイフは……。俺、防具職人なんですけど……」

「最近、いろいろ手を出してるんだろ。リリアナがマリーと話しているのを聞いたぞ。そもそも、娘に作れて俺に作れないってなんだ。お前は客を差別するのか」


 そう言われると、職人のプライドに賭けて「はい」とは口に出せない。渋々金をポケットに捩じ込み、鞘を手に立ち上がった。






(なんで、こんなことになったんだろうな?)


 額からも心からも汗を流しつつ、赤々と燃える炉の前で金槌を振るう。さくっとベルトの調整を終えて、ナイフを作っているところである。


 最初こそトリスタンはあれこれとうるさかったが、アルティが作業を始めるとすぐに静かになった。逆にじっくりと観察されているようで居心地が悪い。普段、作業中にこちらから話しかけることはないのだが、このままでは精神が持たない。


「あの……。なんで俺に依頼を? リヒトシュタイン家なら専属の職人がいるでしょうに」

「いない。昔、誰かが不祥事を起こしたとかで、出入り業者は極力避けることになっている。今、取引してるのはハーフエルフの魔法紋師だけだ」


 ミルディアとエドウィンのことだろうか。そして取引しているのはレイだ。トリスタンがどこまで知っているのかわからないので、黙って聞いておく。


「お前、リリアナのことをどう思ってる」

「どうって……。大事なお客さまで友人ですよ。さっきも言ったじゃないですか」


 また舌打ちされた。一体なんなんだ。


「質問を変える。女としてどう思ってる」


 思わず金槌を振り下ろす手を止めた。トリスタンは何を言っているのだろう。もしかして、娘の周りにいる男は全て悪い虫に見えているのか。アルティなんて、視界にすら入っていないと思っていた。


 それとも、今まで男性体として育ててきたから、娘の将来に不安を感じているのだろうか。リリアナが本気になれば、相手はよりどりみどりなのに。


「素敵な人だと思いますよ。いつだって凛々しくて、頼もしくて、優しい。豪快なところもありますけど、可愛いところだって数えきれないほどあります。あなたが心配しなくても、お婿さんには困りませんよ」


 半ば呆れ気味で返すと、トリスタンはじっとアルティを睨み、重々しく言葉を続けた。


「婿になりたいと思うか」

「正気ですか? 俺じゃ、とても釣り合いませんよ」

「マルグリテの長女にも言っていたようだがな。釣り合うようになったら考えるのか」

「そんなこと、考えたことも……」


 言いかけて言葉を飲み込んだ。トリスタンの目が、いつもアルティを見つめるリリアナの目とそっくりだったからだ。


 この目の前では嘘はつけない――何故嘘だと思うのかはわからないけど。


「じゃあ、考えろ。仮定でいい。お前は貧弱なヒト種だ。そんなお前がデュラハンの娘と共に歩むということは、どういうことなのか」

「……もしかして、ご自分の経験を話してます?」


 トリスタンは答えなかった。この不毛な問いにどんな意図があるのか少しも理解できなかったが、アルティは正直な気持ちを話すことにした。そうしないといけない気がしたからだ。


「もし万が一そうなったとして……。俺は絶対にリリアナさんを残して死にません。石に齧り付いてでも生きてやりますよ。ついでにあなたのことも見送ってあげます。最後まで諦めないのが、俺の才能ですからね」


 正面から喧嘩を売っているような回答だが、トリスタンは満足したらしい。「まだできないのか」と理不尽なことを言ってきたので、作業を再開することにした。


 リリアナの短剣を作った経験が活きたのか、トリスタンからのプレッシャーがいい方に働いたのか、あまり時間をかけずに済んだ。自分の成長に満足しながら、ナイフをトリスタンに手渡す。


「お待たせいたしました。投擲用のナイフ三本です。ご確認ください」


 出来上がったナイフを見て、トリスタンは大きく顔を歪めた。付き合いは短いが、感情が読めるようになったのはリリアナの父親だからだろうか。


「……おい。なんだこのデザインは。投擲用だと言っただろ。なんで、柄をコバルトブルーに着色する?」

「素材以外のご要望はお受けしなかったので。単純に、可愛い娘がそばにいると思ったらやる気出ません?」


 しれっと返答すると、一瞬の間のあと、トリスタンがふっと息を漏らした。


「えっ、今笑っ……」


 がし、と頭を掴まれ、容赦なく力を込められる。前に白虎の獣人に掴まれたより遥かに痛い。つい悲鳴を上げる。


「いたたたた! やめてください! 頭潰れますって!」

「うるさい。これぐらいでガタガタ言うな」


 いや、言うだろ。そう心の中で反論したとき、ようやく解放された。一気に血流が再開した頭をさすりながら、トリスタンの様子を伺う。


「ご満足していただけましたか……?」

「ふん。こんなちっぽけなもので満足するわけないだろう。思い上がるなよ」


 そう言いつつも、トリスタンの目は嬉しそうに細められていた。こんな表情もできるのか。いつも不機嫌そうな姿しか見ていないから不思議な気持ちだ。今度リリアナに話しておこう。


 トリスタンはナイフを修正したばかりのベルトに差し込むと、何度か具合を確認したあと、パイプ椅子から立ち上がった。


「だから、今度はもっと大きなものを作れ。わかったな。アルティ」

「……かしこまりました。またのお越しをお待ちしております」


 頼むからもう来ないでくれ、と思いながら粛々と頭を下げるアルティに、存在しない鼻を鳴らし、トリスタンが颯爽と去っていく。


 初めて名前を呼ばれたと気づいたのは、その大きな背中が完全に見えなくなってからだった。

ちょっかい出しにきたツンデレパパでした。

次回、物語は急展開します。最後までよろしくお願いいたします。

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