閑話 魔法学校の思い出
「え? ミルディア先生に会ったの?」
シエラ・シエルのお土産を持って店を訪れ、ミルディアの名前を出した途端、レイは目を丸くした。
ミルディアがレイを覚えていたように、彼も恩師を覚えていたらしい。ねだられるままシエラ・シエルでの出来事を一部始終話すと、レイは深い深いため息をついて、アルティをじろりと睨んだ。
「君って本当にエルフたらしだよねえ……」
どういう意味かは教えてくれなかった。
レイは「なんだか飲みたい気分になってきた」と呟くと、アルティが持ってきたお土産――シエラ・シエル名産のウイスキーをコップに注ぎ、昼間にもかかわらずあおり始めた。
流れでアルティももらったが、とても飲む気にはなれない。このあと溜まった仕事を片付けなければならないからだ。
「ちょっと、僕の酒が飲めないの?」
「ええ……。持ってきたの俺なんだけど……」
「いいじゃん。どうせ、買ってくれたのリリアナ連隊長じゃないの? 技術交流会なんて面白そうなイベントで、君が悠長にお土産買う時間を確保できるわけないもん」
全て読まれている。エルフの勘か、それとも今までの付き合いからか。
いつになく絡んでくる友人に、アルティは何か地雷を踏んでしまったと気づいて、大人しく酒を口にした。悔しいけど美味しい。
「懐かしいなあ、この酒。よく研究室のみんなと飲んだよ。ちょっと樽の香りがきついんだけど、それがまたいいんだよね」
「ああ、リリアナさんがミルディアさんから教えてもらった銘柄だって言ってたけど、それでか。レイの好みを覚えてたんだ」
「そうそう。あの頃はみんな貧乏学生だったからね。お金を出し合って、ちょっといいお酒を買って、実験の合間にちびちび飲んでたものさ。たまにミルディア先生が夜食を差し入れてくれたりしてね。楽しかったなあ……」
コップの中の琥珀色の液体に目を落とし、レイは一瞬泣きそうに顔を歪めた。過去の情景が目に浮かんだのかもしれない。ミルディアは戻ってこなかった生徒もいたと言っていた。きっと、レイも悲しい別れを幾度となく経験しているのだろう。
そして、アルティもいつかレイを置いていく。どことなくしんみりした空気が漂ったとき、顔上げたレイが一際明るい声で言った。
「しっかし、すごい偶然だね。大師匠さんが先生の友達だったなんて。そういえばいたなあ。黒髪で紺目のヒト種の男の人。いつもコバルトブルーの鎧兜を着たデュラハンと一緒にいたよ。そっか……。あのデュラハンが先生の旦那さんだったのか……」
「幸せそうだった?」
「そりゃあね。先生ってさ、十八歳で教師になったから、僕たちとあんまり歳が変わらないでしょ? だから、教壇ではいつも張り詰めた感じだった。でも、あの二人と一緒にいるときだけは、なんというか……空気が緩んでるみたいでさ。普通の女の子みたいに見えたよ。だから、研究室のみんなとよく言ってたんだ。『本当に同一人物?』ってさ」
アルティの知るミルディアは落ち着いた大人の女性だから、正直想像がつかないが、レイが言うのならそうなのだろう。もし叶うなら、彼女の授業を受けてみたかった。
「レイはミルディアさんのこと、どう思ってたの?」
純粋な疑問だったのだが、答えにくい質問だったかもしれない。レイはウイスキーを口に含んで少し間を置いたあと、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「ハーフエルフってさ、エルフたちから見ると『可哀想な子』扱いなんだよ。エルフに生まれておきながら、寿命が半分だからね。正直、余計なお世話なんだけど……まあ、向こうからしたらしょうがないよね。でも、先生だけはそうじゃなかった。いつだって、僕のこと一人の生徒として見てた」
そこで言葉を切り、レイはアルティの顔を見つめた。翡翠色の瞳が大きく揺らいでいる。不思議なことに、それは初めて会ったときのミルディアと同じ表情だった。
「ちょっと長くなるけど、よかったら聞いてくれる? 僕の思い出」
頷くと、レイは目を細めて静かに語り始めた。
僕ねえ、百年前は尖ってたの。いや、別に不良だったわけじゃないけど。あるじゃん、なんか。そう、若気の至りっていうの? 僕が魔法紋を極めてやる! みたいな。
んー。トップを取ってやろうとか、そんなんじゃなくて……。ああ、あれだ。王城の依頼を受けたときの君みたいな。あっ、痛っ。ちょっと、暴力反対だよ! いいじゃん、別に。あれぐらいの黒歴史、大したことないって。これからもっと重ねていくんだから。
ええと、何を言いたかったんだっけ。ああ、そうそう。繰り返し言うけど、僕は尖ってたんだよ。何しろ、魔法紋って新しい技術だったし、その頃の魔法学校は純血のエルフが多かったしさ。どうやったら世間に認められるものを生み出せるのか、そんなことばっかり考えてた。
授業は受けられる限り詰め込んだし、休憩時間も一人で図書館とか通って……。人付き合いってものをまったくしなかったね。学校は友達を作るところじゃない、なんて馬鹿なこと考えてたからね。正直、クラスでも浮いてたかな。成績がよかったから余計にね。
そんな僕を心配して、ミルディア先生が何度も話をしにきてくれたけど、聞く耳を持たなかった。おかしいよね。エルフの耳ってさあ、精霊たちの声をよく聞くために長くなったって言い伝えがあるのにね。
今思えば、焦ってたんだね。ハーフエルフっていう負い目もあったのかな。周りは寿命が長い分、のほほんと勉強しているみたいに見えたから、余計頑なになっちゃってさ。先生のことも、歳が近いからってみくびってた。
最終的には授業にも出ずに、独学で勉強を始めたんだよ。そんなんだから、あっという間に限界が来て、何もできなくなっちゃった。魔法も、魔法紋も、その文字を目にするのすら怖いと感じるようになって、ベッドから出られない日が続いてね。クラスメイトも寮生も僕のこと心配してくれたけど、今さらじゃん? とても素直に頼れなくてさ……。
え? そうだよ。僕、アルティと同じ状態に陥ってたの。だから、なんでも相談しろって言ったじゃん。先輩の言うことはちゃんと聞くものなんだって。
それでね、そんな状態が続いたある夜。僕、魔法学校から逃げようと思ったんだよね。みんなを起こさないようこっそりと荷造りして、ドアを開けたんだ。そしたら、部屋の前に魔法書がぽつんと置かれてた。ご丁寧に付箋まで挟んで。
実はその本ってさあ、僕が魔法紋の道を志すきっかけになった本だったんだよ。ルミナス・セプテンバーっていう、魔法紋の創始者の本なんだけど……。うん、知らないよね。聞いた僕が間違ってた。
で、本題はここから。僕、その本を読んで魔法学校に来たこと、誰にも話してなかったんだよね。
だって、尖ってたからさ。そんなこと恥ずかしくて話せるわけないじゃん。だから、不思議に思いつつも本を開いたんだよ。そしたら、こう書いてあった。
『夜明けは必ずくるもの……。探究者よ、歩みを止めるな。己の情熱に誠実であれ』って。
え? 意味わかんない? ちょっと、雰囲気ぶち壊しじゃん。まあ、いいや。要はさ、好きなら簡単に諦めてんじゃねーよってこと。
身も蓋もなくて笑っちゃうよね。確かに読んだはずなのに、なんで忘れてたんだろうね。
ルミナス・セプテンバーもさ、何度も挫折しながら魔法紋理論を構築したんだよね。魔法学の大家に生まれながらエルフの血を受け継げず、学会から追放されそうになったりさ……。うん。あの時代、ヒト種が魔法学を志すってことは、それだけ不利だったんだよ。
それに比べて僕はハーフエルフだ。魔力に乏しいヒト種にもできたんだから、諦めさえしなければ、いつかきっと魔法紋を極められる。だから、肩の力を抜いていこうって思えたんだよね。最低な考えだってわかってる。でも、当時はそう思わなきゃ立ち上がれなかったんだ。
もちろん、今は思ってないよ。ヒト種のこと、本当に尊敬してる。こうやって君と友人やってるのが、その証拠でしょ。
それからは授業に復帰して、友達もちゃんと作るようになって、毎日青春してた。そんなある日、ミルディア先生が僕に言ったんだ。
「あの本、そろそろ返してくれるかしら?」って。
ああ、この人、歳は近いけど先生なんだ。かなわないなあって思ったの。それからかな。ミルディア先生のこと、本当の意味で先生って呼ぶようになったんだよ。
……あー、なんか恥ずかし。とても素面じゃいられないよ。店閉めるから、本格的に飲まない? つまみだって作るし、お師匠さんには僕から謝るからさあ。助けると思って、もうちょっとだけ付き合ってよ。
ねっ、お願い。僕たち親友じゃん?
散々、尖ってた時代の話を聞かされて断れるはずもない。渋々頷くアルティにレイは満面の笑みを浮かべ、本当に店を閉めると、手早くつまみを作ってくれた。
「本当によかったよ。先生が立ち直って。旦那さんが亡くなってたなんて、知らなかったから」
「一度も連絡しなかったの?」
「結局、魔法学校には戻らなかったからね。どの面下げて会いに行けると思う? それにさ、僕も怖かったんだ。もし先生がいなくなってたらどうしようって。君もそうじゃない? 大師匠さんのことをお師匠さんに打ち明けるの、怖がってるでしょ」
また図星である。実は何度か話そうとは思ったのだが、下手なことを言って日常が壊れてしまうのが怖かったのだ。
「今度、会いに行こうかな。先生は僕の初恋の人だったから」
クリフのことを考えていたので、一瞬、何を言ったのか分からなかった。
慌てて顔を上げると、レイはいつも通りの笑みを浮かべていた。
次回、トリスタンが襲来します。




