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9話 遥か先の未来へ

「うう、もう限界だ……」


 船の甲板に備え付けられたベンチの上で、アルティはぐったりと項垂れていた。旅の疲れが一気に押し寄せてきたからである。


 船員たちの「出港―!」という威勢のいい声と共に汽笛が鳴り響き、シエラ・シエルの街並みが少しずつ遠ざかり始める。あの港に足を踏み入れてから二週間。ついに帰郷のときが訪れたのだ。


 おかげさまで講演会も交流会も大盛況だった。研究者たちはアルティのデザインや、クリフから受け継いだ技術に興味津々で、次から次へと質問が飛び交ったし、アルティはアルティでこの一週間交流会に入り浸り、最先端の技術を思う存分吸収できた。


 ただ、少々盛り上がりすぎたのがいけなかった。関係のない分野にも顔を出すアルティを見て「こいつは同類だ」と認識した研究者たちが、交流会を終えて解散したにも関わらず、帰りの船が出港するギリギリまで離してくれなかったのだ。


 正直なところ楽しかったし、アルティ自身も時間を忘れて応対して、もう少しでみんなに置いていかれそうになったので自業自得ではあるのだが、問題が一つ。


「お土産買いそびれた……」


 アルティの荷物は来たときと同じ重さのままだ。クリフが「薄情な弟子め」と言うのが目に浮かぶ。レイは気にしないと思うが、「お土産買ってくるね!」と宣言した手前、手ぶらで戻るのも非常に気まずい。


 最後にミルディアに挨拶する時間もなかった。リリアナは途中でアルティのお守りをラドクリフに任せて会いに行っていたようだが、アルティは兜を渡して以降、ミルディアがどう日々を過ごしているのか知らないままだ。もちろん、レモンタルトを焼いてもらうお願いもできていない。


 リリアナは「笑顔が増えたよ」と嬉しそうに言っていたが、できることなら自分の目で確認したかった。


「……あなたの期待に沿う仕事はできましたか?」


 足元のリュックから覗く金槌に問いかける。当然だが、何も聞こえてこない。コバルトブルーの空に浮かぶ太陽の光を反射して、きらきらと輝いているだけだ。


 エドウィン――アルティの大師匠。親友たちを愛し、誰よりも優れた腕を持ちながら、歴史の中に消えていってしまった職人。彼はどうしてクリフのそばを離れたのか。そして、どこへ行ってしまったのか。


 ミーナの鎧やバルバトスの短剣のように、国中を探せばもっと彼の痕跡が見つかるだろうか。


「旅か……」


 リリアナと出会ってからウルカナだ、トルスキンだ、シエラ・シエルだ、と続けて遠出しているが、アルティに旅の経験はほとんどない。貧乏田舎暮らしでは旅行する余裕なんてなかったし、首都に来たら来たでずっと工房に閉じこもっていたからだ。


 今まではそれでもよかったが、クリフの言う通り、もっと広い世界を見てもいいのかもしれない。仕事があるからすぐにというわけにはいかないし、エドウィンみたいに何年も放浪しないだろうけど。


「でも、いつかきっと……」

「ああ、アルティ。こんなところにいた」


 ぽつりと独り言を漏らしたとき、背後からリリアナの声が聞こえた。振り向くと、両手に紙袋とキャリーケースを抱えたリリアナが、ほっとした目をしてアルティを見下ろしていた。


「ラドクリフさまとエミィちゃんは?」

「さすがに疲れたみたいで、着くまで客室にいるってさ。なかなか船に乗ってこないからヒヤヒヤしたぞ。ラッドは置いていこうとか言うし」

「その気配を察知したからギリギリ飛び乗ったんですよ。心配をおかけしてすみません」

「間に合って何よりだよ。交流会、お疲れさまだったな」


 アルティの隣に座り、リリアナは紙袋の中身をキャリーケースの中にしまい始めた。エドウィンの離れで話していたものは無事ゲットできたようだ。結局、トリスタンには短剣にしたらしい。


「リリアナさんはお土産買えたんですね」

「なんとかな。でもなあ、父上が喜ぶかどうか……。あ、そうだ。アルティが鞘を作ってくれよ。私の短剣じろじろ見てるし、気にはなってると思うんだよな」

「逆に怒りを買いませんか? 喜ぶ姿が欠片も思い浮かばないんですけど……」

「報酬はこれだ。滅多に手に入らない貴重な品だぞ」


 やんわり断ろうとしたアルティの眼前に、リリアナが箱を突きつける。ちょうど大皿一枚分ぐらいの大きさの箱だ。


 箱の表面には見覚えのある魔法紋が書かれていた。帰るまで痛まないように、保護魔法をかけてくれたのだろう。こうしてる間にも、とてもいい匂いが漂ってくる。何度も嗅いだ、爽やかな酸味の奥にある甘い匂いが。


「これ、もしかして……」

「ミルディアさんのレモンタルトだよ。一日だけ、ラッドと護衛を交代しただろ? そのときに頼んどいたんだ。レイさんへのお土産も買っといたぞ」

「リリアナさま、ありがとうございます! ご依頼、謹んでお引き受けいたします!」

「態度が百八十度違うじゃないか。現金なやつだなあ」


 頭を下げるアルティの両手に箱を乗せ、リリアナが肩を揺らして笑う。


「ミルディアさん、何か言ってました?」

「アルティと会えないことを残念がってたよ。あと、『ずっと待ってる』ってさ」


 その一言で全てが報われた気がする。破顔するアルティに、リリアナが優しげに目を細める。そして、何故かもじもじと体を揺すると、思い出したように荷物の整理を再開した。その手つきは微妙に覚束ない。


「ひょっとして、他にも何か言ってました?」

「……こ、今度は子供を連れてきてね。だそうだ」

「えっ」


 そういえば夫婦設定は生きているままだ。顔を赤らめるアルティに、リリアナも上擦った声で言葉を続ける。


「ま、まあ、子供はともかく。行くときはまた二人で行こう。その方が喜んでくれるだろうし」

「そうですね。リリアナさんが嫌でなければ、ぜひ」

「嫌じゃない! 嫌じゃないぞ!」


 食い気味に話すリリアナに笑みが漏れる。それをきっかけに二人の空気も緩む。


 リリアナは荷物を整理し終えると、ベンチの上で大きく両手を伸ばした。


「なんというか……濃密な二週間だったな。エミィも見違えたように大人になっちゃって。塔の聖女と立派に渡り合っているのを見て、思わず泣きそうになったよ」


 ラドクリフと一日だけ交代した日のことだ。アルティの交流会と同じく、エスメラルダも一週間に渡って、塔の聖女から聖属性の扱いをレクチャーされていた。塔の聖女は真っ黒な髪に黒曜石みたいな瞳を持ち、異世界やニホンジンなど、リリアナにはよくわからない話をしていたそうだ。


 ただ、絵物語が好きなエスメラルダは塔の聖女と意気投合して、今後も文通する約束をしたらしい。そして、やはりエスメラルダの聖女としての才能は本物で、いずれラスタの結界の管理を任されるだろうとのことだった。


「初めて会うミルディアさんにも臆さなかったし、もうエミィは大丈夫だな。あの子は本当に強くなったよ。人はみんな、こうして変わっていくんだなあ」


 護衛として任された以上、エスメラルダを一人にはしておけない。ミルディアの元には、ホテルで知り合った子供だと嘘をついて連れて行ったらしい。道理でその日、エスメラルダがご機嫌だったわけだ。


「……そうですね」


 生きている限り、人は成長していく。自分も、リリアナだってそうだ。


 アルティはリリアナに、さっき新たに決意したばかりの、いずれ世界を見て回りたいと思ったことを話した。


「……首都を出ていくのか?」

「いや、そういうわけじゃないです。俺の帰る場所は首都だと思うし、それに……」


 あなたのそばにいたいから、という言葉は飲み込んだ。


 リリアナはじっと膝の上で汲んだ両手を見下ろしていたが、やがて顔を上げると、真剣な眼差しでアルティを見た。


「あのさ……。別に修行の旅じゃなくとも、新婚旅行で各地を回るという手もあるぞ」

「え?」

「何も、一人で旅に出なくてもいいじゃないか。アルティがいれば、奥さんだって喜んでついていくさ。もし子供ができたって、家族旅行として連れて行けばいい。色んなところに行けるなら、子供たちだって喜ぶだろうし」


 それは考えもしなかった。確かに、誰かと回れるのなら楽しそうではある。しかし、残念ながらアルティに決まった相手はいない。


 そう告げると、リリアナはその場に勢いよく立ち上がった。


「あ、相手なら、私が――」


 そのとき、空に一輪の花が咲いた。年末年始に見たのと同じ、魔法で打ち上げた花火だ。甲板にいた船員たちが、何事かという顔で港の方を見ている。


 彼らの視界の先、小さくなった波止場の先端で、美しいプラチナブロンドが風に翻っていた。


「ミルディアさんだ!」


 目のいいリリアナが甲板の先端に駆け寄る。続いてアルティも柵に取り付き、ミルディアに向かって声を張り上げた。


「必ず、また会いに行きます! それまで、エドウィンさんの……俺の大師匠の兜をよろしくお願いします!」


 それに応え、ミルディアも大きく手を振った。


「アルティ、アルティ。見てみろ、ほら」


 リリアナが近くの船員からもぎ取った双眼鏡を渡してくれる。


 最初に目に飛び込んだのは満面の笑顔だ。そして、その瞳はまっすぐにアルティたちを――遥か先の景色を見つめていた。

工具があるので、アルティはリュックとキャリーケースの二個持ちで来ました。

次回、ミルディアから見た7部+フェリクスとエドウィン存命時の思い出話です。

8部ではラストに向けて一気に物語が動き出しますので、引き続きよろしくお願いいたします。



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