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7話 職人が見た景色

 部屋の中に金属音が響く。


 外は大雨だ。今までの快晴を全て帳消しにするように朝から降り続いている。


 炉の火が煌々と照らす中、エドウィンが残した金床の前に座り、金槌を振るう。作業を開始してから六日目。一通りの修理を終え、リベットで組み立てているところである。


 リリアナは初日から草むしりだ、掃除だと忙しなく働いていたが、六日目ともなるとやることも無くなってしまったようで、奥のソファベッドの上で、恋愛小説を手に窮屈そうに寝そべっている。


 相変わらず鎧兜は着ていない。今日のコーディネートは藤色のシャツに細身のクロップドパンツだ。ブーツを脱いでいるので、足首が見えてはらはらする。素手に続いて素足まで見たとバレたら、トリスタンに八つ裂きにされてしまうかもしれない。


「……リリアナさん、足首見えちゃってますよ。隠さなくていいんですか」

「んー? アルティだし、別にいいよ。最近なあ、デュラハンってなんで素肌を隠してるんだろって思うんだよ。別にヒト種とそう変わらないだろ? 比べてみるか?」

「あっ、こら! 駄目です! 簡単に脱がないでください!」

「なんでだよ。新年祭では止めなかったくせに」


 それはそれ、これはこれだ。小説を腹の上に乗せ、手袋を外そうとするリリアナを必死で押し留める。リリアナはムッと目を細めたが、アルティが引かないのを見て、手袋から手を離した。


「アルティのケチ」

「ケチってなんです、ケチって。危ないからこっちに手を伸ばさないでくださいよ」


 リリアナはソファベッドにうつ伏せになって頬杖をつき、足をぶらぶらさせていたが、作業に戻ったアルティの手元を覗き込んでぽつりと呟いた。


「なあ、アルティ。エドウィンさんは、どうして完全に直してから置いていかなかったんだろう? エドウィンさんの腕なら綺麗に直せただろ?」

「やりたくてもできなかったんだと思いますよ。戦後すぐだと、工具を一から手に入れるのも大変ですし、革や鉄は真っ先に復興資材に回されますから。血を拭い取るので精一杯だったんでしょう」

「ああ、そっか……。駄目だな。戦場を離れると感覚が鈍ってしまって」

「いいじゃないですか。もっと鈍ってください。俺はあなたに傷ついてほしくありません。できれば戦場なんて二度と立たないでほしいです」


 ソファベッドからばさりと本が落ちる音がした。顔を上げると、目を大きく見開いたリリアナがわなわなと震えているところだった。


「あっ、すみません。兵士の方に言うべき言葉じゃありませんでしたね」

「いや、その……。女兵士に『戦場に立つな』と言うのは、プロポーズの意味があってだな……」

「えっ」


 顔がかあっと熱くなった。国軍の間では、代々職場結婚を申し込む男性兵士たちの決め台詞になっているらしい。動揺するアルティに、リリアナがソファベッドから体を起こして忙しなく両手を振った。


「だ、大丈夫。その気がないって、ちゃんとわかってるさ。アルティは兵士じゃないもんな。私のことを心配して言ってくれたんだろ?」


 確かにそうなのだが、最初から否定されるのもまた面白くない。胸に湧いたもやもやを振り払うように兜に目を落とし、金槌を振り上げる。


 リリアナは完全に小説を読む気が失せたようで、ソファベッドから床に腰を下ろし、アルティをちらちらと見つめている。


「なあ、なんか怒ってる?」

「別に怒ってません。それより、いいんですか。ずっと俺に付き合ってて。あいにくの雨ですけど、観光してきてもらって構いませんよ」

「いいに決まってるだろ。私はアルティの護衛だぞ。それに、一人で観光したってつまらないじゃないか。行くなら一緒がいいよ」


 純粋にそう思っている様子に、さらにもやもやが増す。交流会の話を聞いたときに、エスメラルダが言った言葉が頭をよぎった。


「リリアナさんには素敵な人がいるんでしょう? いくら仕事とはいえ、勘違いされませんか?」

「は? 何を言ってるんだ?」

「だって、エミィちゃんが……」


 本当に心当たりがなさそうなリリアナに、言葉を飲み込む。ひょっとしたら、エスメラルダは何か勘違いしたのもしれない。ハンスを筆頭に、治安維持連隊は男性の部下が多いから、そう見えただけなのかも。


 それに、トリスタンが目を光らせている限り、リリアナに変な虫がつくことはないだろう。王城での謂れなき暴力を経て、アルティはトリスタンのことを、ラドクリフが言う通り、ただのツンデレだとわかるようになっていた。


「いや、なんでもないです。忘れてください」

「おかしなやつだな。疲れてるんじゃないのか? ちょっと休憩するか? ミルディアさんがおやつ用意してくれてるって言ってたし」


 笑いながら立ち上がったリリアナが離れのドアを開ける。そして、右腕を払う仕草をしたと同時に、ぱきぱきと枝を折るような音が響き、目の前に透明な膜が出来上がった。雨を凍らせて、本宅まで続く氷のトンネルを作ったのだ。


「よし! 行ってくる!」


 トンネルの中を全力ダッシュしたリリアナは、あっという間に戻ってきた。右手にはポットとマグカップ二個、そして左手にはレモンタルトが乗った皿がある。


「紅茶はまだ熱々だぞ。タルトも出来立てみたいだ。魔法紋って本当に便利だよな」

「本当ですね。早速いただきましょう」


 兜と金床を脇によけ、空いたスペースに小箱を逆さにして置く。臨時のミニテーブルだ。エドウィンもそうしていたらしい。小箱には紅茶をこぼした跡がいくつかあった。


「うわ、美味しい。初めて会ったときも美味しいと思ったけど、もっと美味しい」

「あー……疲れた体に沁みる……。俺、甘いものあまり食べませんけど、これはいくらでも食べられるな。師匠も喜びそうです。お土産に持って帰れないかな……」

「ミルディアさんに頼んでみたらどうだ? もし無理だったら、帰るまでに店で当たりをつけとくといいよ。最終日に少し時間を取ってもらおう。私もお土産買いたいし」

「リリアナさんは何にするんですか?」

「んー……。マリーには化粧品とガラス細工、セバスティアンには万年筆……他の使用人たちにはお菓子かな。父上は……まあ、なんか適当に見繕うよ」


 雪解けは順調に進んでいるようだ。トリスタンは素直に喜ばないと思うけど。


「交流会も会談も、一週間の延期で済んで何よりでしたね」

「優秀な薬師と医者がいてよかったよな。さすが学問の国シエラ・シエルだよ。兜の修理もなんとか間に合いそうだし。あとは微調整したら終わりだろ?」


 リリアナが金床の上に乗せた兜をちらりと見る。


 初対面のリリアナが被っていた兜――フェリクスが駆け落ち前に被っていた兜は、四枚の鋼板を組み合わせて作ったものだったが、こちらは一枚の鋼板を丁寧に曲げて作られていた。全体に溝は入れているものの、以前はあった頭頂部の装飾はなく、鎧と同じでとてもシンプルな形状になっている。面頬にも目立つところはない。


 しかし、アルティはエドウィンがあえて芸術性を抑えたのだと思っている。フェリクスが早く世間に溶け込めるように、そしてきっと――ミルディアの好みに沿うように。


 エドウィンは二人を心から愛していたのだ。兜を修理している間、それがひしひしと伝わってきて、アルティは何度か涙をこらえるのに必死だった。


「錆が内部にまで広がってなかったおかげです。大師匠は相当考えてこの兜を作っていますね。通常は内張りに魔法紋は刻みません。劣化したら取り替える部分だからです。きっと、自分がずっとそばにいて、すぐに直せると信じていたんだと思いますよ」


 血で汚れた内張りを外したとき、兜の内部が腐食していなかったことに驚いた。


 周囲から風の魔素を取り込み、乾燥させる魔法紋。水分を弾く魔法紋。そして、油分を通さない魔法紋――などなど。錆止めのために思いつく限りの魔法紋が、内張りと鋼板が触れ合う部分にびっしりと縫い留められていたのだ。


 これはミルディアも知らなかったようで、外した内張りを見て、「エドったらいつの間に勉強したのかしら……」と目を丸くしていた。


「今日、ミルディアさん帰れなくて残念だったな。完成するまで進捗も見ずに楽しみにしていたのに」

「こんな雨の中、泊まりがけの野外演習の引率なんて大変ですよね」

「朝一番に見せてやろうな。きっと喜んでくれるぞ」


 そう、明日。明日でこの生活も終わりを告げる。交流会が始まれば、ミルディアの家を訪れる余裕もなくなるだろう。


 アルティはまだ迷っていた。エドウィンの孫弟子なのだと打ち明けるべきかどうか。


 リリアナの素性やフェリクスの最期を伏せて話すには、マリウスがエドウィンだったと証明するのが一番だ。だが、黒髪紺目のヒト種は他にもいるし、その時代の作品が手元にあるわけでもない。


 何かいい手はないだろうか。


 そう思ったとき、ふいに兜と一緒に金床に乗せていた金槌が床に落ちた。予期せぬ大きな音に、リリアナの肩がびくっと揺れる。


「うわ、びっくりした」

「すみません。置き方が悪かったかも」


 金槌に伸ばしかけた手がぴたりと止まった。


 何故、すぐに気づかなかったのだろう。リリアナの兜のときと同じだ。近くにあるものほど見えにくい。確証はすでに、この手の中にあったのに。


「ああ、見ろ、アルティ。雨が止んだぞ」


 リリアナに続いて離れの外に出る。あれだけ分厚かった雲はすっかりと晴れ、夏の色を取り戻した青空には、眩い光を放つ太陽が声高に存在を主張していた。


 鮮やかなコバルトブルーに輝く兜を日差しにかざす。


 きっと、エドウィンもこうして出来栄えを確認しただろう。百年前と同じ景色を、今、アルティは見ているのだ。

いつの間にやら2人で過ごすことが当たり前になっているアルティたちです。

次回、兜の納品です。

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