6話 受け継がれたもの
「で? 無償で引き受けたの? シエラ・シエルまで来てよくやるね。君たち、国から派遣された立場だってこと忘れてない?」
ラドクリフが呆れた声を上げた。正論は時として痛い。隣のエスメラルダは、そんな叔父に苦笑している。
ここは彼らのホテルにほど近い、シエラ・シエラ名物を出してくれる個室の食事処だ。ラドクリフの前には空になった皿が山積みになっている。そしてリリアナの前にも。
「わたしはアルティたちに賛成。綺麗に直してあげて。生きる希望が湧いてくるぐらいに」
「エミィちゃん……」
「こんなの悲しすぎるよ。ラベンダーの花言葉は『あなたを待っています』なの。ミルディアさん、きっと今も旦那さまやエドさんの帰りを待っているのよ。だから……」
涙まじりの声で話すエスメラルダに、ラドクリフが兜を掻く。
「……まあ、気持ちは分からなくもないけどね。でも、リリィの素性やエミィのことを明かすのは絶対に禁止だから。昔はリッカ領でも、今は他国なんだからね。頑張って夫婦の設定を貫いてよ」
ラドクリフの許可を得たところで、ちょうど食後のササラスカティーとデザートのプリンがきたので、話を中断してしばし舌鼓を打つ。
ササラスカティーは綺麗な青色をしたハーブティで、レモンを絞るとピンク色に変わる不思議な飲み物だった。東方のアッカムティーも美味しかったが、こちらの方がさっぱりとしているので、アルティには飲みやすい。
気づけば色んなところで色んなお茶を飲んでいる。感慨深いものだ。
「それにしても、ミルディアさんの旦那さんがリヒトシュタイン家の人間とはね。侯爵は知ってるの?」
「確認したけど、父上も詳しくは知らないって。私も、高祖父さまに兄がいたとは聞いたことがなかったよ。うちの家系図からは名前が抹消されてたし……」
そこで言葉を切り、リリアナは首を捻った。
「駆け落ちする前に着ていた鎧兜が首都の屋敷にあったのは、戦後に移住するときに誰かが運んだんだろうなあ。愛されてたって言ってたし、領地に置いていくのが忍びなかったのかもしれないな」
「名前が抹消されるってことあるんですか? 直系の家族ですよね?」
アルティの疑問に、ラドクリフが「よくあるよ」と答えた。
「貴族って評判が命だから、罪を犯したとか、表立って言えない事情があると、その人の存在ごと消しちゃうんだ。ミルディアさんたちがどうやって死を偽装したのかわからないけど、たぶん結婚を反対されて世を儚んだって形にしたんだろうね。そうなると、貴族としては隠蔽せざるを得ないから」
「え、じゃあ、リリアナさんも……」
「もし何かやらかすと、百年後には父上に子供はいなかったとされているだろうな」
背筋がぞっとした。まさか生まれてきた事実すら消されるとは。平民でよかった。
「エドさんがアルティの大師匠さんだっていうのも、すごい偶然だよね。おねえさまが昔着てた鎧兜もそうだけど、ミーナさんのところの鎧も、バルバトスさんのところの短剣も、エドさんの作ったものなんでしょ?」
「うん。屋号紋が同じだし、あれだけの腕を持つ職人は他にいないと思う。師匠が話していた大師匠の姿や性格にも共通点があるし」
そして、武具保管庫でアレスから聞いた、デュラハンの遺体に縋りついていたヒト種の男も。
大切な親友を守れなかったエドウィンの気持ちを思うと、胸が押しつぶされそうだ。ミルディアの元を離れて国中を放浪していたのは、フェリクスの面影を探すためだったのだろうか。
「クリフさんにはお話しするの?」
「まだ迷ってるんだ。大師匠の行方がわかったわけでもないし」
「そっか……。過去を知ったら、逆に悲しませちゃうかもしれないよね……」
切なげに目を瞬かせるエスメラルダの兜を撫で、ラドクリフがあとに続く。
「でもお師匠さん、リリィの鎧何度も見てたよね? 気づかないもの?」
「師匠が出会った頃には、大師匠の腕はさらに上がっていたはずです。同じ職人でも、十代で作ったものと四十代で作ったものでは全然違いますからね。俺は屋号紋を見たから同一人物だと気づいたんです」
もしかしたら既視感はあったかもしれないが、クリフはそれを素直に出せる性格ではない。こんなことになるのなら、もっと風切り羽の職人について話しておけばよかった。
「それに、凱旋式のときには籠手も足鎧も変えてましたし、銅鎧も体型に合わせて調整してましたよね」
「うう……下手にいじらずにそのまま取っておけばよかったな。あの鎧兜、今は領地にいる叔父上に預けてるんだよ。倉庫に入れておくのも忍びなくてさ。もし必要なら返してもらうから、いつでも言ってくれ」
リリアナの言葉に頷き、アルティは高々と宣言した。
「とにかく、俺は交流会が始まるまでの間、ミルディアさんの家に通うことにしました。仕事に支障は出ないようにしますので、何卒よろしくお願いします!」
「好きにしなよ。言っとくけど、今の君の顔、お師匠さんにそっくりだからね」
ラドクリフが肩をすくめる。同時に、リリアナがこっそり頼んでいたデザートのお代わりが届いた。
翌朝、アルティたちは早速ミルディアの家を訪れた。昨日は気づかなかったが、確かに敷地内にもう一つ家……というか小屋みたいなものがある。あれがエドウィンの住んでいた離れだろう。
ドア脇の紐を引くと、中でベルが鳴った。すぐに軽やかな足音が近づいてきて、ドアが内側に開く。
「いらっしゃい。本当に来てくれたのね」
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
「あらやだ。お願いするのはこちらなのに」
微笑むミルディアは昨日よりも顔色がよく、声も明るかった。自分たちの存在が少しは彼女の気休めになっているかと思うと、さらにやる気が湧く。
「朝食は召し上がった?」
「はい。結構量があって、お腹がパンパンになりました」
「そうか? 私はまだ物足りないけどな」
「いいわね。たくさん食べられるのは元気な証拠よ」
笑いながらキッチンに通され、家と離れの鍵を渡される。
ミルディアはこれから仕事のため、家を一日使わせてもらうことになったのだ。出会ったばかりの人間に鍵を預けるとは思い切ったことをする。
信用されている証なのか、それともシエラ・シエルはよほど治安がいいのか。昨日放置したキャリーケースも無事だったし。
「ごめんなさいね。本当はご一緒したいんだけど、夏休み前はどうしても出勤しないといけなくて……」
「いいえ。無理を言ったのはこちらですから。もし出かけるときは必ず鍵をかけていきますね」
「ありがとう。何かあれば魔法学校に連絡して。魔法紋学科のミルディアと言ってもらえば、すぐに繋いでくれるから」
ミルディアは今も魔法学校の教師を務めているという。アルティは初等学校しか行っていないのでわからないが、期末テストやら卒業式やらで忙しいのだろう。
それにしても、まさか魔法紋の教師だったとは。もしかしたら、レイも教え子だったりしたのだろうか。今度、時間があったら聞いてみよう。
「出かける前に、離れもご案内するわね」
ミルディアのあとについて庭を抜け、離れに向かう。本宅と同じく煉瓦造りで、屋根は鮮やかなコバルトブルーだった。
素朴な木のドアを開けると、嗅ぎ慣れた匂いが鼻をついた。金属と塗料とコークスの匂いだ。部屋の中はシュトライザー工房よりも遥かに狭かったが、工具も資材も十二分に蓄えられていた。
向かって右側には小型の炉と作業台があり、向かって左側には資材をぎっしり詰め込んだ棚があった。その上に無造作に置かれているのは、アルティも使っているサンドペーパ―だ。よほど愛用していたのか、粒度違いのものがいくつもある。気に入ったメーカーのものを買い込むのは、職人あるあるなのかもしれない。
部屋の中央には主人を失った金床がぽつりと置かれ、その奥の壁際には小さなソファベッドがあった。ここで寝起きしていたらしい。壁にかけられたエプロンや作業着も、とても百年が経過しているとは思えなかった。
「中にあるものは好きに使ってくださって結構よ。保護魔法をかけているから、劣化していないはずだけど……」
「保護魔法をお使いになれるんですか?」
「魔法紋師ですもの。……フェルの兜は間に合わなかったけど」
保護魔法は劣化する前にかけなければ効果がない。夫と友人を失い、ミルディアが今みたいに動けるようになるまで、どれだけの時がかかったのかはわからないが、決して短くなかったはずだ。
もし、すぐに魔法をかけていたとしても錆の発生は止められなかっただろう。血は錆を誘因する物質だから。
「任せてください。必ず綺麗にしますから」
胸を叩くアルティに、ミルディアは優しげに目を細めた。
「ミルディアさん、そろそろお時間ですよね。魔法学校までお送りします。下で買いたいものもあるので」
リリアナがミルディアを優しく促す。
彼女は観光客に偽装するためにアイスブルーのカツラを被り、白いシャツとピンクベージュのズボンを身につけていた。既視感がありすぎる。デュラハンが鎧兜を脱ぐと逆に目立つとやんわり言ったのだが、よほど気に入っているのか、聞き入れてはくれなかった。
「いいわよ、そんな。申し訳ないわ」
「遠慮なさらず。腕っぷしは強いので、用心棒がわりに!」
力こぶを作って力説するリリアナに、ミルディアの表情も緩む。
「というわけで、あとは任せたぞアルティ。すぐ戻ってくるからな」
「頑張ります。よし、早速やるか!」
気合いを入れるために両手を打ち鳴らす。それを見たミルディアが頬に手を当て、感心したように言った。
「不思議ねえ。エドもその仕草よくしてたわ。仕事の前にやると、気合いが入るんだって言って。職人さんってみんなそうするの?」
「……どうでしょう。俺も師匠を真似ただけなので」
こちらの動揺は気づかれなかったようだ。
リリアナと共に坂を下りていったミルディアの背中を見送り、両手のひらに目を落とす。受け継がれたものは想いと技術だけではなかったらしい。
ぐ、と強く拳を握りしめ、アルティは胸の炉に火を灯した。
次回、兜の修理に入ります。




