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5話 哀しみの時渡り②

 アルティさん、大丈夫? 精霊にでも出会ったような顔をして……。え? 確かにおっしゃる通りね。今はカラフルな鎧兜も増えたみたいだけど、当時はコバルトブルーの鎧兜なんて珍しかったわね。


 そうねえ……。リリアナさんを、もう少し大きくした感じだったかしら。鎧兜の形は全然違うけれど……。雰囲気がよく似ているの。


 ごめんなさい。死んだ人に似ているなんて言われても嬉しくないわよね。でも、その優しげな眼差しや、まっすぐに伸びた背中がとても……。


 夫も……フェリクスもとても優しい人だったわ。代々兵士の家の生まれで、剣や氷魔法に長けていたけど、本人は虫一匹殺すのすら嫌がる性格だった。だからなのかしら。不思議と魔物にも懐かれてね。周りの人間からもとても愛されていたわ。あなたもきっとそうね。その鎧兜を見ればわかるわ。


 え? 虫は殺す? やあねえ。リリアナさんったら真面目な顔で……。ああ、久しぶりに笑ったわ。いいのよ、それは。持ち主のことを想って作られた鎧兜を着ているわねってことよ。


 フェリクスの鎧兜は彼の友人が作ったものだった。デュラハンの防具職人で、エドウィンという名のヒト種の青年よ。私たちはエドって呼んでいたわ。


 真っ黒な髪に、宵闇みたいな濃紺色の瞳が印象的でね。フェリクスと同い年だったけど、私たちの中で一番子供っぽかった。いつもフラフラ出歩いていて、気になったものがあるとすぐにどこかに行っちゃうの。首輪が必要なんじゃないかしらって、フェリクスとよく話していたわ。


 でも、腕は天才的だった。もちろん、まだ若かったから熟練の職人に比べれば荒削りではあるんでしょうけど……。なんて言うのかしら。エドの作ったものには人の心を動かす何かがあるのよ。


 特にフェリクスはエドの腕に惚れ込んでいて、彼が作るものはなんでも喜んでいたわ。だから鎧換装の儀のときも、エドに一式作ってもらったって――ああ、この兜ではないの。これは、ここに来てからエドが新しく作ったものよ。


 私はこっちの方が好きなんだけどね。今思い出しても、美しい鎧兜だったわ。光に当てると空の色を映し取ったように輝いて……。私はデュラハンの防具には詳しくないけど……ドラゴンの鱗みたいな籠手も、全面に施された金色の装飾も、まるで芸術品みたいだった。


 ただ、工房の中では不遇な扱いを受けていたみたい。身寄りがなかったのもあるし……何より、人って嫉妬する生き物だから。


 会うたびにエドは言っていたわ。俺は鳥になりたい。鳥になって、自由に広い世界を飛んでいきたいって。だから屋号紋……職人が自分の作品に残す模様にも風切り羽を使ってた。


 フェリクスが火食い鳥の風切り羽をプレゼントすると、とても喜んでね。愛用の金槌と一緒に、常に身につけていたわ。鎧兜の色がコバルトブルーなのも、エドが空を見上げるのが好きだったからよ。


 あの夏の間中、フェリクスはお屋敷を、エドは工房を、そして私は叔母の家を抜け出して遊んでた。三人でダンジョンにも潜ったりしたわね。思いつく限りのことはしたんじゃないかしら。青春。そう、青春だったわ。


 でも、そんな日々も長くは続かなかった。夏休みが終わりに近づいて、私が魔法学校に戻る日が目前に迫った頃、フェリクスに結婚の話が持ち上がったの。


 早い? そうよね。でも、当時はそれが当たり前だったのよ。一般人の私やエドと違って、フェリクスは良家の長男だったからね。お相手もそれなりの良家のお嬢さまだった。


 悲しかったわ。どれだけお互い好き合っていても、何の地位もない他種族の私が、フェリクスと結ばれるはずがないもの。彼の邪魔になりたくなかったし……。夏の淡い恋。切ない初恋。そう自分に言い聞かせて身を引こうとしたの。


 ただ……フェリクスはそう思っていなかった。結婚するなら私としたいと言って、ご両親を説得しようとしたのよ。……まあ、うまくいくわけないわね。案の定反対されて……改めて別れを覚悟する私に、フェリクスは言ったの。


 僕と逃げてくれって。


 結果はご覧の通りよ。私は彼の手を取った。


 とはいえ、無計画に逃げてもすぐに連れ戻されるのは明白だった。だから、詳しくは言えないけど……フェリクスを死んだように見せかけて、当時はリッカ家が管理していたここに駆け落ちしたのよ。エドも当然な顔をしてついてきたわ。


 今思えば、とても大胆で残酷なことをしたものよね。表向きはしれっと彼の葬儀に参加しておきながら、何食わぬ顔で魔法学校に戻ったんだもの。彼のご両親や、まだ小さかった弟さんの嘆き悲しむ声は、まだこの耳を離れないわ。


 その一件が元で、私も親族から追放された。身の程をわきまえずに悲劇の種を蒔いた愚か者は許せないって。


 ……それでも、フェリクスのことは絶対に手放したくなかった。傲慢よね。醜い独占欲が湧いてくるたびに、私も青い目のエルフだったんだわって思い知ったものよ。


 学校に戻った私は、必死で勉強して飛び級して……十八歳で魔法学校の教師の職を得たわ。そして、二人が建ててくれたこの家で新生活を始めることにしたの。


 おかしかったのが、エドも一緒に暮らし始めたことよ。この家の敷地内に勝手に離れを作っていたの。信じられる? 普通は遠慮するわよねえ。でも、フェリクスも承知の上だったし……。あなたたち、どんなに仲がいいのよって嫉妬しちゃったわ。


 フェリクスは剣技の才能を買われて、小さな商会に就職して御者として働き始めた。エドはデュラハンの防具職人をやめて、依頼があれば生活用品でも武具でもなんでも作る職人になったわ。いつの間にか屋号紋も入れなくなって……。気に入ったお客さまにだけは、たまに入れてたみたいだけど。


 エドがフェリクスに新しい鎧兜を作ってくれたのもその頃よ。少しでも動きやすいように全身に溝を入れて……配送の途中で盗賊に襲われることもあるから、怪我をせず無事に戻れますようにって、どこかで調達してきたドラゴンの爪もつけてね。


 子供には恵まれなかったけど……三人で寄り添うように暮らしてた。とても幸せだったわ。だけど、その幸せも十年で終わりを告げたの。モルガン戦争が起きたからよ。


 私たちはみんな居場所を捨てたものたち。だから、そのときもルクセンに逃げようなんて話してた。でもね、ついに過去が追いかけてきたのよ。そう。彼の弟さんが、フェリクスが生きていることに気づいてしまったの。


 ……どうして気づかれたのか、今でもわからない。デュラハンって顔がないでしょう? たとえ姿を目撃されたとしても、本人だと知る術はないもの。駆け落ちしたとき、弟さんはまだ子供だったし、十年も離れていて、声を覚えていたとも思えなくて……。


 とにかく、弟さんは必死にフェリクスを説得したわ。魔王を倒すのに力を貸してくれって。良家のお坊ちゃんなのに土下座までしてね。それでもフェリクスは首を縦に振らなかった。僕たちのことはそっとしておいてくれって、そう返事をしたの。


 でも……行ってしまった。あの人、行ってしまったのよ。想像できる? 朝目覚めると、隣で眠っていた夫がいないのよ。私、半狂乱になったわ。エドも追いかけていって……。


 そして、二度と戻ってこなかった。


 この兜はね……戦争が終わったある朝、家の前に置かれていたの。誰が置いたかなんて――フェリクスがどうなったかなんて一目瞭然だったわ。そうでしょ? もし生きていれば、どんなに時間がかかっても必ず二人で帰ってきてくれたはずよ。


 あの日から、私の世界は色を失って……気づけばこの姿になっていたわ。ヒト種のエドも、きっともう……。


 ごめんなさい。こんな話をして。でも、どうしても聞いてもらいたかったの。私が死んだら、二人のことを覚えている人はもういないんだもの。そう思うと、とても耐えられなくて……。


 ううん。自分でもわかるの。もう長くないって。たとえ一千年生きるエルフといえども、希望がないと未来まで歩いていけないのよ。私の足はもう動かない。だって、フェリクスもエドもいない世界なんて、生きていても辛いだけなんだもの……。


 悲しまないで。私は満足してる。ほんの少しの間だったとしても、あの人と生きてこられて本当によかったわ。あなたたちも、そうでしょう?


 ああ、いけない。紅茶が冷めちゃったわね。新しく淹れ直すわ。いいの。そうさせて。こうやって誰かをおもてなしするのも久しぶりだから。


 え? フェリクスの愛称?


 フェルよ。






 ミルディアが淹れ直してくれた紅茶を飲みながら、アルティは荒れ狂う自分の心を抑えるので必死だった。


 彼女が語ったフェリクスは、おそらく王城の武具保管庫で見た鎧の持ち主だ。そして、彼の鎧兜を作った職人はマリウス――クリフの師匠で、アルティの大師匠に違いない。


 出会った頃のリリアナが着ていた鎧兜もマリウスが作ったものだろう。ドラゴンの鱗みたいな籠手に、金の装飾が施された芸術品の鎧――隣に座るリリアナも気づいたはずだ。現に、カップを持つその手は微かに震えている。


 この事実を話すべきか。しかし、確証は何もない。マリウスはエドウィンとは名乗らなかった。クリフの前では、一度も屋号紋を入れなかったというし。


 それに、話せばリリアナの素性も、フェリクスが無惨な最期を遂げた事実も知られてしまう。哀しみのあまりに自らの寿命を縮め続けるミルディアにとどめを刺すなんて――とてもできない。


「この兜もね……。本当は綺麗にしてあげたいの。でも、シエラ・シエルにはエドほど腕のいいデュラハンの防具職人がいなくて……。首都にはクリフ・シュトライザーという職人がいるみたいだけど、ここを離れるのもね……」


 リリアナがハッと顔を上げた。考えることは一緒だ。視線を合わせて頷きあう。きっとマリウス――いや、エドウィンも、孫弟子が触れるなら許してくれるはずだ。


「よろしければ、俺に直させてくれませんか。俺はアルティ・ジャーノ。国一番の腕を持つクリフの弟子で、師匠たちの想いと技術を受け継いだ、デュラハンの防具職人です」

マリウス=風切り羽の職人=エドウィン。

フェリクスの弟の子孫が、トリスタンやリリアナです。

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