4話 哀しみの時渡り①
「ちょっとリリアナさん! 何を言ってるんですか!」
腕を引っ張って、ミルディアに聞こえないよう囁くと、リリアナも同じ囁き声で返してきた。
「仕方ないだろ! それ以外に私たちの関係性をどう説明する? 国から派遣された職人と、その護衛の兵士なんて、馬鹿正直に言うとややこしいことになるじゃないか」
「だからって……!」
「お二人は異種族婚なのねえ。昔は珍しかったけど、今はそうでもないのかしら」
「い、今はそうでもないですね! 俺たちの他にもたくさんいますよ!」
ミルディアの言う昔がどれぐらい昔かわからないが、咄嗟に相槌を打つ。おかげでリリアナとの話は有耶無耶になってしまった。
仕方ない。今さら訂正するのも不自然だし、一旦脇に置いておこう。
「あら、素敵ね。実は私の夫もデュラハンなのよ」
「ああ、だから玄関のドアが大きかったのか。天井も高いし」
リリアナが得心した様子で頷いた。デュラハンは長身なので、他種族に合わせると頭をぶつけてしまうのだ。そのため、シュトライザー工房もデュラハンに合わせた設計になっている。
この家もリリアナが言う通り天井が高く、どこも間口が広くて開放感があった。窓も大きく作られているので、よく風が通って気持ちいい。
「とても素敵なお家ですね」
天井から下がったモザイク柄の関節照明や、コバルトブルーに統一された家具が、落ち着いた色合いの煉瓦と調和して、お洒落なカフェにいるような気分になる。さっき通ってきた玄関とキッチンも、寝室と同じ内装だった。
こんなところで暮らせたらどんなにいいだろう。普段、殺風景な工房にこもっているから余計にそう思う。リリアナもアルティと同じ意見のようで、しきりに頷いている。
「嬉しいわ。夫と友人が作ってくれた家なの。私もここが大好きなのよ」
「そういえばご家族は? お仕事ですか? 帰る前にご挨拶を……」
アルティの言葉に、ミルディアは顔を曇らせた。
「この家には、もう私だけよ」
「あっ……。ごめんなさい」
「いいのよ。もう百年も経つんだもの」
百年。もしかしたらモルガン戦争で犠牲になったのかもしれない。きっと、あの墓標に弔われているのが彼女の家族なのだろう。
黙り込むアルティたちに、ミルディアは穏やかな微笑みを浮かべた。
「気にしないで。あの戦争で家族を亡くしたのは私だけじゃないもの。わかってるのよ。もうそろそろ忘れなきゃいけないって。でも……」
「忘れる必要はないと思います」
同じ言葉を、リリアナと同時に口にした。ミルディアの青い目がアルティたちを順番に見つめ――そして、今にも泣きそうに細くなる。
「……そう。そうね」
ミルディアはしばし顔を伏せて鼻を啜っていたが、そっと目尻を拭うと、気を取り直したように顔を上げた。
「そうだわ。助けてもらったお礼をしなきゃ。とはいえ、今は手持ちがなくて……。あなたたちはどこに泊まってらっしゃるの? 後日お伺いさせていただけないかしら」
「とんでもない! 大したことをしたわけじゃないですから。お気になさらず」
「でも、こんな坂の上まで運んでもらって……」
「妻はデュラハンなので体力には自信があります。見てください。びくともしてません」
「夫の言う通りです。ミルディアさんなら、あと五人ぐらいは一気に運べますよ」
リリアナと二人で必死に言い募る。ホテルに来られて嘘がバレるとまずい。
ミルディアはそれでも食い下がってきたが、こちらが一歩も引かない構えなのを見ると、諦めて小さく息をついた。
「じゃあ、せめてお茶でも飲んでいって。このままお帰しするのは私の気が済まないわ。夫に怒られちゃう」
「まだ横になっていた方が……。俺たちのことはお気遣いなく」
「もう大丈夫よ。体を動かした方が調子がいいの。お願い。おもてなしさせて。ここでお会いしたのも何かの縁だと思って」
そう言われると断りにくい。
「じゃあ、俺が淹れます。ミルディアさんは座っていてください。キッチンお借りしますね」
「お客さまにそんな……」
「アルティはお茶を淹れるのが上手いんですよ。ここは任せましょう。私たちは優雅に待っていればいいんです。お姫さまみたいに」
リリアナは茶目っ気たっぷりにウインクすると、ミルディアを支えてキッチンまで誘導し、そっと椅子に座らせた。
「ありがとう。紅茶はそこの戸棚にあるから。上の右側ね」
手を伸ばす、が、届かない。デュラハン仕様なのだろうか。こういうとき、背が低い自分が嫌になる。
「私が取ろうか、アルティ」
「いえ、背伸びすれば……。もうちょっとでいけそう……」
ぷるぷる震える手が戸棚の丸い取手に触れた途端、中のものが転がり落ちてきた。紅茶缶やお菓子の袋やスティックシュガーの箱が無惨にも床に散乱する。
「おい、大丈夫か? 怪我してないか?」
「大丈夫です。すみません、散らかして」
こちらに来ようとするリリアナを制して、床に膝をつく。どれも中身が漏れていないのが幸いだった。人さまの家で砂糖を撒き散らすなんて目も当てられない。
近くのものから順番に拾い集めて、シンク横の作業台の上に置いていく。ただ、その中で一つだけ異質なものが紛れていた。
「兜……?」
破損しないように、そっと拾い上げる。兜はところどころ大きくへこみ、表面が錆びてしまっていた。よく見れば、内張りに血が染み込んだあとがある。手入れが不十分だったのだろう。残された塗料を見る限り、元は鮮やかなコバルトブルーだったようだ。
脳裏に王城の武具保管庫で見た鎧が浮かぶ。これは偶然だろうか。兜から目が離せないアルティに、ミルディアが首を傾げる。
「あら……。奥の方にしまっていたのに不思議ね。夫も一緒にお茶したかったのかしら」
「夫?」
リリアナの問いに、ミルディアが小さく頷く。その表情はとても寂しそうであった。
「それはね、夫が最期に被っていた兜なの。ひどい有様でしょう。こんな狭いところに閉じ込めて可哀想だと思うけど、とても見ていられなくて……。かといって倉庫には置きたくないし……。だから戸棚に入れたの。あの人、甘いものに目がなくてね。私の目を盗んで、よくそこに立っていたから」
ゆっくりと立ち上がったミルディアがアルティの手から兜を受け取る。その瞳には、夫が生きていた頃の姿がありありと浮かんでいるのだろう。ミルディアは兜に一度だけ額を寄せると、顔を上げてアルティをまっすぐに見つめた。
「……よかったら、年寄りの昔話を聞いてくれないかしら。実は今日、あの人の誕生日だったのよ。だから墓地まで会いに行っていたの。おかしな話よね。あそこには何も埋まっていないのに」
目を大きく見開く。椅子に座っているリリアナも同様だ。口を開こうとしたが、何も言葉が出てこなかった。戦争を知らないアルティが何を言ったところで、ミルディアの心についた傷を癒せるわけもない。
ミルディアはダイニングテーブルの上に――さっきまで自分が座っていた席の隣に兜を乗せると、アルティに着席するよう促した。
「やっぱり私が淹れるわ。あの人、私が淹れた紅茶が何よりも好きだったもの」
はい、お待ちどうさま。熱いから気をつけてね。アイスティーにしようかと思ったんだけど、あの人、夏でも温かい方が好きだったから。
あら、美味しい? よかった。お菓子も召し上がってね。裏で取れたベリーを使ったクッキーなの。レモンタルトもあるわよ。うふふ。リリアナさん、いい食べっぷりねえ。デュラハンだからかしら。あの人も人一倍よく食べたわ。
そうね……。どこから話そうかしら。あまり長くなっても申し訳ないし……。え? 大丈夫? 最初から聞きたい? じゃあ……お言葉に甘えようかしら。
……初めてあの人と出会ったのは、今から百十年前。私が十五歳だったときよ。ふふ。びっくりしちゃうわよね。エルフの百二十五歳は、ヒト種だとまだ二十代。なのに、見た目はすっかりおばあちゃんなんだもの。
哀しみの時渡りってご存知? エルフは精神的ストレスがかかると早く老けて……あら、ご存知だったのね。あなたにもエルフのお友達がいるの。そう……。仲よくしてあげてね。他種族には達観しているように見えるかもしれないけど、エルフって案外寂しがりやなのよ。緑の目のエルフは特にそうね。寿命が来るまで森から出ない人もいるし。
でもね、青い目のエルフとはいうけれど、私は冒険心とは無縁の少女だった。周りのみんなみたいに就きたい仕事があるわけでも、夢中になれることがあるわけでもない。ただ適性があるというだけで魔法学校に入学して、一千年続く長い人生を持て余していたわ。幸か不幸か成績は優秀だったから……つまらなさに拍車をかけていたの。
あの人と出会ったのはそんなとき。初めての夏休みで、叔母を訪ねて今のリヒトシュタイン領に行ったときのことよ。
あら、どうしたの。そんなに驚いて。ああ、リヒトシュタイン領は有名だものね。とても美しいところだったわ。自然が豊かで、人も街も輝いていて。
叔母は、とある良家で家庭教師を務めていたの。お恥ずかしい話なんだけど……ええ、そうなの。叔母が教えていた青年が、後に私の夫となる人よ。
恋に落ちるときって突然ね。私たち、出会ってすぐに仲よくなったわ。まるで最初からそばにいたみたいに……。その日から、色褪せていた私の世界は一気に色づいたの。
夫の名はフェリクス。当時はまだ十八歳になったばかりだったわね。鮮やかなコバルトブルーの鎧兜に身を包んだ偉丈夫なデュラハンだったわ。
次回、ミルディアの独白が続きます。




